94 メフィストフェレスの館にて その4
メフィストフェレスは少し興奮しているように見えた。一方のヴァルキュリヤは静かに彼の次の言葉を待っていた。
「よいかヴァルキュリヤよ、よく聞け」
メフィストフェレスは声を一段低くした。
「おそらくその時起こることはちっぽけなものではあるまい。下手をするとまわりを巻き込んだ規模の大きめな事態となることが考えられよう。あの神のやること。大がかりなことを起こしてド派手にわしに自分の勝ちを示したがるであろうからな」
話すにつれてメフィストフェレスの興奮は増していくようだった。
「であるからおぬしがその時を見誤ることはあるまい。おぬしが『これがその時だ』と判断すれば最優先で対象者が間違った選択をせぬようサポートせよ。その際にも神に“人類滅亡”への言いがかりをつけられてはならぬ。おぬしはあくまで監視役として派遣されておることになっておるからの。おぬしの“真の任務”が対象者のサポートだとは決して悟られてはならぬのだ。対象者に間違った選択させぬためなら手段は問わん。やむを得ぬ場合は対象者の命を取っても構わん」
メフィストフェレスは言葉を切った。
「はっ、メフィストフェレス様。このヴァルキュリヤ、そのことならばひと時たりとも忘れたことはございませぬ。その時が来ましたならば、この命に替えましてもそのご命令、果たして御覧に入れる所存」
ヴァルキュリヤは再び頭を下げて静かに言葉を発した。表情に一切の変化はない。
「うむ、よし。それでこそわしが見込んだだけのことはある」
メフィストフェレスは満足そうに頷いた。
「もうよい。行け。このことはあの天使にも知られてはならぬ。大丈夫であろうな」
「はっ。メフィストフェレス様のお呼びがかかるのと同時に我が力でかの者の周りに結界を張ってあります。解くまで起きることはありませぬ」
「うむ、さすが抜かりはないな。では頼りにしておるぞ」
メフィストフェレスの最後の言葉とともに映像は闇に溶けるようにして消えた。
「ゾルゲよ、おるか」
メフィストフェレスはあの灰色の女悪魔の名を呼んだ。
「ご用でございますか、メフィストフェレス様」
すかさずゾルゲが扉を開けて部屋に現れた。先に下がって休むようにと命ぜられたはずだが、まるでそのようなことなどなかったかのように。そうすることが至極当然のように。
「おおゾルゲよ。下がれと言うた後に呼び立ててすまぬ。だが大至急じゃ。大至急ドラキュラ邸へ『明日の訪問はなくなった』と伝えるように」
「はっ、かしこまりました。して、わけはなんといたしたらよろしいでしょうか」
「そうじゃな。『上の方から急な呼び出しをくらった』とでも言うておくがよいかの。ゴチャゴチャ言うてくるようなら『約束しておった美女のブロマイド集は渡さぬぞ』とでも言うてやれ」
一礼するとゾルゲは下がった。メフィストフェレスは自分の椅子にどっかりと腰を下ろした。
「いよいよあの賭けの決着がつくのか。なんとしても“人類滅亡”は阻止せねばの。しかしあらためて口にするとやはりおかしいのう。神が人類を滅ぼそうとし、悪魔がそれに反対する。こんな話、この後千年もありそうにないことではないか」
メフィストフェレスはフフッと笑った。それはやはり難局を楽しむことに長けた悪魔のものに間違いなかった。




