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それは帰り支度をしていたときのことだった。
「瀬納君ちょっといいかな」
びっくりして顔を上げる。そこには険しい表情をした奥名先輩の姿があった。
「あ、はい先輩。なんでしょう」
「ちょっと、あれどういうこと?」
「えっ、『あれ』ってなんのことですか」
「昼休みの後、あのふたりと仲よさそうに話してたよね」
昼休みの後? なんだっけ?
あ、やばい、あれだ。やっぱりあのふたり、俺以外の人にも見えてたんだ。
「い、いや。別にそんな仲がいいというわけじゃ」
「そう? そんなふうには見えなかったけど。特に美砂ちゃんなんか真っ赤になってたじゃない」
へ? 「みさちゃん」って、誰?
「えっ?」
「またどうせあの子に歯の浮くようなセリフを言ったんでしょうね。よりによって私に告白した直後だっていうのに」
えっえっ? どういうこと?
状況から推察するに、奥名先輩の言う「みさちゃん」って「天使ちゃん」のことを指しているみたいだけど。
「い、いや、それは」
「がっかりね。瀬納君が誰彼かまわず女性を口説きまくるような男だったなんて」
ちょっと待ったあ。ひどく誤解されてる。
「違いますよ。俺が好きなのは奥名先輩だけです。本当です」
「どうかしら。ひょっとするとあっちが本命で、私は保険だったんじゃないの? だから私に振られてもあんなに簡単にあの子を口説けたんじゃないの?」
「違います。口説いてませんって。彼女のことなんかなんとも思ってないです」
「『彼女』ねえ。他の人に私のことを言うときには『先輩は』とか『奥名先輩は』とか言って。他の人のことも『彼女は』なんて1回も言ったことないでしょ。あの子を特別視してる証拠じゃない」
違う、断じて違う。
ただ単に天使ちゃんの名前を知らないからしかたなく「彼女」って言っただけなのに。
俺は天使ちゃんのことなんかなんとも思ってない。まあちょっと「かわいい」とは思ってるけど。
そんなことより俺も知らない天使ちゃんの名前をなんで奥名先輩が知ってるんだ?
「違います。特別視なんかしてませんって」
「それに瀬納君は久梨亜とも仲がいんだ。そうよね。どうせ私は久梨亜ほど胸が大きくないしね」
えっ、「くりあ」? もしかして黒の悪魔のことか。
なんで奥名先輩が彼女らの名前を知ってるわけ?
もしかしてこれもあいつらが言う「記憶をいじらせてもらった」効果なのか。
「い、いや。俺あんなでっかい胸なんか好きじゃないですって。先輩ぐらいの大きさがちょうど……」
先輩の目がつり上がるのが見えた。あれ? 俺なにかまずいこと言った?
「大きくなくて悪かったわね」
「す、すいません」
慌てて頭を下げたが時既に遅し。
「まあ、あのときも言ったけど、私は瀬納君のことはただの後輩としか思ってないから。瀬納君は瀬納君で自由にやったらいいんじゃないの。私は私で自由にやらせてもらいますから」
「せ、先輩……」
「じゃあ、そういうことで。お先に」
止める間もなかった。そう言い残すと先輩はさっさとオフィスから姿を消してしまった。
畜生! あいつらのせいで奥名先輩に一日に2度も振られたじゃねえか!
もういったい全体なんて日だ!




