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先輩の問いは俺の意表を突いていた。盲点だった。まさか冷蔵庫内の食材の量を問題にされるなんて、俺ばかりでなく美砂ちゃんや久梨亜さえも思いもしてなかったから対策もしていない。
「ええっと、それは……」
言葉に詰まる。いい回答が浮かばない。いったいどう説明したらいいんだ。
「買いだめしてたのだとしてもこれじゃダメ。特に野菜。ちゃんと種類に合わせた保存法を採らないと。まさかこれ全部、すぐに食べるつもりじゃなかったんでしょ?」
いえ、すぐに食べるつもりでした。なんせ3人いますんで。ハイ。
窮地は続く。うまく説明しないと奥名先輩に疑われる。美砂ちゃんや久梨亜が俺と同居してるってばれちまう。
と、そこへ文字通り天使の救いが現れた。耳元からかわいい声が聞こえた。
「『お昼ご飯をご馳走するつもりだった』って言ってください。『それで買いすぎた』って」
美砂ちゃんの声だ。俺の耳に口を近づけ、先輩に聞こえないように小声でアドバイスしてくれているのだ。温もりと耳を撫でる微かな空気の動きに彼女の唇を感じる。思わずつばを飲む。ちょっとドキドキする。
いや、ドキドキしてる暇なんかない。返答の遅れは疑念に繋がる。
俺は素直に美砂ちゃんのアドバイスに従うことにした。
「い、いやあ。俺が先輩にお昼をご馳走するつもりだったんですよ。いろいろ食材選ってたら、つい買い過ぎちゃって」
俺はいかにも失敗したというように頭を掻いてみせた。実際は違う。昼飯は近所のファミレスへ誘う予定だったんだから。
「そうなの?」
「ええ。まさか先輩がお昼を作ってくれるだなんて思ってもいませんでしたから」
俺はひたすら“恐縮です”というように頭をペコペコさせた。先輩は疑っていないみたいだ。よし、うまくいってるぞ。さすが美砂ちゃん。さすが天使だ。
しかしことはこれで終わらない。
「ちなみになにを作ってくれるつもりだったの?」
ええっ、そう来ますか。
しかし大丈夫。俺には天使がついている。
「『野菜炒め』って言ってください。今晩それにするつもりだったんですから」
また美砂ちゃんがささやく。唇が俺の耳元で動く。実は今日の夕飯は美砂ちゃんが作ってくれることになっていた。俺が先輩の応対で疲れてるだろうという気遣いだ。うん、いい子だなあ。
ということで俺は今度もそれに従う。
「野菜炒めですよ」
「野菜炒め?」
「ええ。そんなに手間かかんないしヘルシーですからよくやるんですよ」
俺の返答。本当がひとつに嘘がひとつ。本当なのは「ヘルシー」の部分。美砂ちゃんの料理はヘルシー志向が多いのだ。そして嘘なのは「よくやる」の部分。俺が自分で作るにはなんか気が乗らない料理なんだよな。野菜炒めにも肉は入れるけど、自分で作るならやっぱ肉中心の料理がいいよね?
先輩はまだ冷蔵庫の中を見てる。メニューと中身に矛盾はないはずだ。他になにかあるんだろうか。
すると先輩は中から牛バラ肉のパックを手に取った。そしてそのまま俺のほうを振り返った。
「瀬納君、牛が好きなんだ」




