汚い世界
莉奈の成績はまあいい方である。
席が近く親しくなったクラスメイトに勉強を教えてくれと頼まれたことだってあった。
7クラス中12位。
それは莉奈のステータスでもあった。
運動も愛想笑いもどれだけ努力しようと一向に上手くならないが、
テストの成績だけは勉強量を裏切ることはなかった。
学年一位なんて言う肩書きもいつかは持ってみたいが
いつも煙草の匂いがするあの家では集中できても一時間。
それ以上は肺に泥が詰まったように苦しくなり、全く勉強が進まなくなるのだ。
「………であるからして…」
教師の言葉が耳から耳へと抜けてゆく。
順位が停滞している原因はここにもあるのかもしれない。
空一面を埋め尽くすねずみ色の雲。
その影が街を覆う。
ただでさえゴミだらけのこの世界がさらにくすんでしまった。
光を通さないその雲は
泥団子をびちゃびちゃと空に向かって投げつけたように汚く、どっしりと分厚かった。
そんな景色を眺めながら莉奈の心もまた曇ってゆく。
汚い大人だらけの汚いこの世界は
吸う空気がすべて有害物質にまみれている。
そんな空気を吸い続けていたら私もいつかああなってしまうのだろうか…
気がついてみればあの憎い父親と同じように
煙草をくわえながら新聞を広げているのだろうか。
このまま生きていったって何になるっていうのだろう…?
世界はどうしたら綺麗になる?
「……えき…!佐伯!」
気がつくと、六十代前半くらいの、内臓脂肪が多そうな教師が鬼のような形相でこちらを見ていた。
莉奈の席は真ん中の窓側だが、その教師が口を開く度に煙草の匂いに混じって鼻が曲がりそうなくさやの匂いがした。
『頼むから口を開かないでくれ。』
莉奈はテレパシーを送りながら気だるげに返事をした。
「あ…はい。」
こいつもだ。
担任も、数学の教師も、社会の教師も。
大人はみんなと言っていいほど有害物質に金を払っているのだ。
母さんが死んだのはこの有害物質のせいだ。
莉奈は未だにそれを繰り返し、煙草を憎んでいた。
莉奈の母親は莉奈が小学五年の時にこの世を去った。
疲労で倒れ、まもなく息を引き取ったのだ。
父親に自分で働いた金のみならず貯金までを煙草と酒につぎ込まれ、
家計を支えるために身を粉にして働いた結果だ。
自分のせいで妻が死んだというのに、あの男は「これで煙草と酒に使える金が増えた」とまで言った。
ケムリクサ
すぐそばでその香りを感じ、莉奈は必死に吐気をこらえた。
なるべく鼻で呼吸をしないようにし、黒板の数式を解く。
もういっそのこと法律で取り締まって欲しいくらいだ。
もうこれ以上、世界が汚れないように。