思い出の時を刻んで
ベッドの上で真っ白な布団が窓から差し込む太陽の光で輝いている。清潔感の漂うそれは、薬品の臭いが鼻を突く場所に置かれていた。
「ごほっ!」
一人の女性がそのベッドの上で咳き込んだ。彼女は数か月前からこのベッドの上にいる。
女性が最初にこの病院に来た時にはとても明るく、病院と言う場所が似つかなかった。
「おばあちゃん……大丈夫?」
小さな男の子が心配そうに女性に駆け寄る。
「大丈夫よ……。大丈夫」
女性は男の子の頭を撫でて、ゆっくりと窘めていた。その様子は、自分に言い聞かせている様にも見える。
「お義母さん……」
「あら、あなたまでそんな顔をするの? 私は本当に大丈夫よ」
男の子の母親も心配そうな顔で男の子の後ろに立ったが、ベッドの上から大丈夫と微笑まれたので何も言えなくなってしまった。
その様子を穏やかな笑顔で見つめつつ、女性は思っていた。
テレビ等を通して作り上げられた現代のイメージでは、義母は義理の娘に嫌われている。
歳を経て自立生活が困難になると、施設等に入れられる事もあると言う。自分の子ども達に迷惑をかけまいとして自分からそのような場所に入る人もいるが、肉親から離れて暮らすのは寂しい事であろう。
それに対して、自分には家族が近くに居てくれる。寂しくない様にずっと近くに居ると言ってくれていた。
女性は、とても幸せだった。
「ねぇ、おばあちゃん。これ綺麗だね?」
女性の孫が頭を撫でられながら棚の上に置かれた小さな置時計を指差している。目はまるで宝物を見つけたかのように輝いていた。
その置時計は目覚まし時計よりもやや大きい程度だが、金色の装飾と見事な彫刻がとても美しい物であった。
「あらあら、気に入ったの? これはね、昔あなたのおじいちゃんが私にくれた物なのよ?」
「へー。おばあちゃんの宝物なの?」
「そうねぇ。これはおばあちゃんの大事な宝物よ」
女性は懐かしむように置時計を見つめた。
「ねぇ、おじいちゃんの事教えて?」
おじいちゃんと宝物と言う言葉に反応したのか、孫が目をさらに輝かせて話をせがんだ。
「あら、そうねぇ。それなら……少しだけ話してあげましょうね。この時計をくれたあの人の事を……」
女性は昔の事を思い出してポツリポツリと話し始めた。
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「はい、あなた。少し休憩しては如何ですか?」
女性がソーサーの上に乗ったカップを机の上に差し出した。カップからは湯気が立っており、さわやかな紅茶の香りが辺りに漂っている。
「ありがとう。いい香りだね」
男性は差し出されたカップからの香りを楽しむと、女性に柔らかく微笑んだ。
「どういたしまして。差し出がましいかもしれませんが……あまり根を詰め過ぎてもダメかと思いまして」
女性は眉根を寄せて少し申し訳なさそうに答えた。
男性はその様子を見て首を振ると、一緒に休憩しようと女性を誘った。
「もう少しで終わるんだけどなぁ……」
苦笑いをしつつ男性が女性の向かい側の席へ腰かけた。
男性は数少ない手作りの時計職人であり、特別に注文を受けた時計の設計及び制作をしている。現在は、その注文を受けている時計が特殊な為、全く新しい観点から設計図を作っていたのである。
しかし、なかなか設計を詰める事ができずに苦戦をしていた。
「私にはよくわからないですけどあなたならきっとできるわ。いつも素晴らしい時計を作っているのですもの」
女性は微笑みながら男性を励ました。
男性は照れ隠しなのか、紅茶を一口啜って深く息を吐いた。
「そうだ、少し頼みたい事があるんだけど……明日付き合ってくれないか?」
男性がふと表情を引き締めて女性に尋ねた。男性の質問に女性は少しの間逡巡したが、何も予定がなかった事を確認するとすぐに了承した。
男性は『ありがとう』と言うと、仕事場に戻り、その後は夜中までかかって設計図を完成させた。
次の日、女性は男性にどこへ行くのか尋ねる事もなく共に出掛けた。
きっと息抜きがしたいだけだろうと思った女性は、景色を楽しみながら散歩感覚で歩いていた。
「よし。ここだ」
男性は目的地に着いたらしく、建物を眺めている。
「あの……奏人……さん?」
「小夜さんなら喜んでくれると思ってさ」
小夜は少し戸惑った。
何も知らされずに到着した真っ白な佇まいの店。その店のショーウィンドウには真っ白なドレスが飾られている。そのドレスは独特な艶を持った生地や軽やかな生地で作られており、幾重にも重なったそれらはふわりとしたシルエットを形作っていた。
「ウェディング……ドレス……?」
小夜にはどこからどう見てもそれにしか見えなかった。
「そうだよ。こっそり準備していたんだ。もう結婚はしているけど式は挙げていなかっただろう?」
「え……あ……」
小夜からは言葉になりきらない息が零れるだけだった。
「……もしかして、今更嫌だったりする……?」
小夜の反応を見て奏人はなんとも情けない表情を作っが、小夜は首を横に振った。
嫌な訳がなかった。ただ単純に大きな嬉しさがふわふわとした非現実感を作り出し、喉を思うように動かなくさせていたのである。
やがて小夜を包み込んでいた非現実感が薄まってくると、小夜の目から涙が零れ始めた。
小夜も普通の女性である。愛する人と純白のウェディングドレスを着てチャペルを歩くと言う夢は持っていた。しかし、小夜が愛した相手、奏人は決して裕福とは言えない人物だった。その為、小夜は奏人に負担をかけない為に挙式を挙げる事はなく、夢も仕舞い込んでいた。
小夜はそれでも十分に幸せを感じていたから、このままでも良いと思っていた。
そんな所に奏人からのサプライズプレゼントである。嬉しさと感動は一入だった。
「本当に……嬉しい……」
小夜が声に出せたのはその一言だけだった。
それからは目まぐるしく話が進み、結婚してからちょうど一年目の日に挙式を行った。
後から聞いた話ではとある資産家の男が奏人の時計をいたく気に入り奏人に会いに来た。その際、奏人本人も大いに気に入られたのだった。
その後、どこからか奏人と小夜の事情を聞いてきたその男が、奏人に特別な時計の制作を注文した。その代り、奏人と小夜の挙式費用を提供する事を申し出た。
「小夜さん。この時計を受け取ってくれるかい?」
挙式から一年後であり、二度目の結婚記念日の日。その日に奏人は一つの時計を小夜に差し出した。
その時計は金で作られた装飾や細やかな彫刻が施されており、とても美しかった。
「この時計は……」
小夜はその時計に見覚えがあった。それは、つい最近奏人が完成させたばかりの時計である。挙式の思い出の時計でもあり、資産家の男が注文したはずの時計であった。
「実はこれ……あの方が『小夜さんの為に最高の時計を作ってください』って言って注文してきた時計だったんだ」
資産家の男は最初、無償で奏人の為に資金を出してくれると申し出たが、、奏人はそこまでの事はさせる事ができないと断った。しかし、その事に納得しなかった男は少しの間逡巡し、奏人に時計を注文した。
その時計が『奏人が小夜の為に作る最高の時計』であり、奏人が小夜の為に、そして恩人である男の期待と好意に答える為に力を尽くした時計だった。
その後、奏人は男の協力で有名な時計技師となり、幸せな日々は続いて行った。
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「あなたのおじいちゃんはそうして素晴らしい時計を作り続けたのよ」
小夜はベッドの上から孫へと語り終えると、孫は小夜を嬉しそうに見ていた。
「おじいちゃんはとても優しかったんだね」
「えぇ、そうよ。とても素晴らしい人だったわ」
小夜は思わず笑顔が浮かんできた。
それから、奏人や時計の事を孫が聞いてきたので、小夜は丁寧に相手をし続けた。孫との会話や思い出を話す事は小夜にとって、とても楽しい時間だった、
「この時計はずっと動いてるの?」
小夜の時計がもう何十年も前の時計だと話した時、孫がそう聞いた。
「えぇ、そうよ。この時計はずっと……毎日動き続けているの」
「電池は切れないの?」
「この時計の電池はね、私がもらってからずっと変わっていないのよ」
「そうなんだ!」
機械式の時計の原理は、孫にはまだ理解できないだろう。
そう考えた小夜は孫の言葉に合わせて答えた。
「でもね、もうすぐこの時計の電池は切れちゃうわね。なくなりかけの電池で動いてるから」
「そうなの?」
「そうなのよ。もし今の電池がなくなったら、この時計はあなたにあげるわね」
「良いの!?」
「えぇ、もちろんよ。あなたなら大切に使ってくれそうだもの」
小夜は孫の頭を撫でながら優しく微笑んでいた。
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この作品があなたの心の何かになればと思います。