親子と神様
「へぇ、そんな事があったんだ?」
グレンはフィアの話を聞き笑いながら言った。フィアは頷く。
「ヴァイスはシェイドの事、嫌いなのかなぁ。シェイドはヴァイスが帰ってくるの楽しみにしてたけど……」
「嫌いじゃないと思うよ。世界を救った英雄で元勇者っていう偉大な父親を持つ悩める息子ってわけだよ」
うーん、とフィアは唸る。よくわからない話だ。
「よく分からないなぁ。あれ……グレン、髪の毛切った?」
「今頃気付いたの?」
グレンは呆れ顔である。
彼は昔勇者一行の仲間として一緒に旅をしたハーフエルフだ。五百年の時を生きるハーフエルフは死ぬ寸前までエルフ同様に若い姿を保つ。死を迎えるその時、急激に老い、最期は骨も残さず消滅するのだ。
ハーフエルフであるグレンも当然二十五年前の姿を保っている。彼は今、百歳位のはずだ。
背中くらいまである長い髪をいつも一つに括っていたが、それが肩につくかつかないか位まで切られているのに気付いた。
「うん。だってグレン、忘年会にも来ないんだもん」
フィアはふくれっ面になった。
確かに自分が復活した二カ月前、彼には会いにいった。それ以来会うのは初めてだ。忘年会で会えるのではと期待していたのに。
「ごめん。掃討がその時もあってさ。稼ぎ時、稼ぎ時」
よほど報酬が良かったのだろう。グレンは満面の笑みだ。彼はお金が大好きなのだ。
「それにさ、災難だったって聞いたよ」
フィアは頷く。
忘年会をいざ始ようとした時に異世界へと召喚されたのだ。あれは災難以外の何ものでもない。
その時、遠くから呼ぶ声が聞こえた。
「おーい、はじめるぞ!」
「ほら、呼んでる。行こう。シェイドの話はあとでね」
フィアは渋々頷いた。
遅れるとベルゼブブがうるさい。グレンと二人で皆が集まっている場所に行く。
白地に青い尾を咥えたヘビが描かれた旗が見える。ウロボロスの旗だ。
ウロボロスは二十五年前、天界、魔界、人間界の三界で設立された機関である。
二十五年前、原初のエルフによって世界は滅びかけた。
フィアは仲間の勇者一行と一部のエルフ、ハーフエルフ達とともに戦った。魔族は世界に満ちる滅びの気配の為来られなかったが、違う形でフィアを助けてくれた。
原初のエルフは消滅したが、彼に加担した者達は何人か残っている。それらの者を含めエルフの都アルフヘイムは監視処分になった。
そして世界に残された大きな問題がもう一つ。
「全員揃ったか」
暴食をつかさどる魔王ベルゼブブが振り返った。彼はフィアを見て首を傾げた。
「今日は神様一人か?」
「ううん。ミカエルがいるよ」
「いや、そうではなく……勇者は?」
「んー。シェイドはまたぎっくり腰になったら困るから、フィア一人で来たの」
「ぎっくり腰……ああ、アドラメレクが何か言っていたな」
そう。前回フィアがシェイドとともに掃討に参加した時のことだ。
戦闘中、シェイドが倒れてしまったのである。フィアは何とかシェイドを連れて陣営まで下がったのだが……。あの時は大変だった。
その後もしばらく寝込んだのだ。まだフィアが復活したての頃の話である。
「まあ、勇者も人の子だ。仕方あるまい」
ベルゼブブは頷いた。そしてフィアと彼の前に整然と並ぶ武装した物達を見渡す。
「皆の者、これより掃討を開始する」
立ち並ぶ者の多くが魔族だ。ベルゼブブの配下である。天界からはフィアとミカエル。人間界からはウロボロス所属のハーフエルフやエルフ達、中には腕に自信を持つ人間もいた。
フィアはハーフエルフと人間達にむけて話し始める。本当は自分もベルゼブブの様にかっこよく何か言いたいが……次回からミカエルに台本でも用意してもらおうか。
「首ちょん切れたり、心臓抉られたりしたら蘇生魔法かけるから言ってね!」
そこでどっと笑い声があがる。
「神様、そんななったらもう俺たち喋れないし!」
思わずあがったツッコミの声にフィアはそれもそうだと納得した。
「特に連絡事項はないが、必ず指揮に従うように。出来損ない共は腐るほどいるぞ」
出来損ないエルフの掃討。
アルフヘイムの監視とあわせて重要なウロボロスの役割である。
原初のエルフは二十五年前、神の力を持つフィアの身体を乗っ取り、とある生命体を創った。それが出来損ないエルフである。
エルフを創ろうとして失敗したのであろうそれは身体の所々が異形化している。個体によって違いがかなりある生命体だ。腕が翼のようになり飛ぶもの、足が触手状になっているものや、身体がとけかかっているもの、足が尾ビレのようになって泳ぐものまでいる。
だが出来損ないとは言え、エルフはエルフだ。厄介なことには違いない。
自我があるようには思えないが、傷をおえば治癒魔法を使う程度の知能はある。そしてまだ解明はされていないが、何らかの方法によって彼らは増えるのだ。
だからあれから二十五年たった今でも出来損ないエルフは減る気配がない。
ウロボロスに所属するとあるエルフが発明した魔道具が世界中に配られ、人の生活する場所には侵入できないようにはなっている。しかし街の外には出没するそれを掃討しなければならない。
今回この周辺で大量の出来損ないエルフが発見され、掃討が行われることになったのだ。
「じゃあ、グレン行こうよ。ミカエルはあっち、お願いね」
「かしこまりました」
「じゃあ、フィア行くよ」
背を向けて去っていくミカエルを見送り、フィアはグレンとともに自分の隊へと向かった。
***
「ただいまー」
フィアは引き戸を開けた。そこには店番君が座っている。
もう夕刻だからシェイドは夕食の支度でもしているのかも知れない。フィアは家に上がりこむと足取り軽く台所へと向かう。良い匂いが漂ってきていた。
台所をのぞきこむとシェイドが野菜を切っていた。
「ただいま」
「ん、ああ。フィア、おかえり。どうだった、掃討は?」
「うん。大量だったよ」
「そうか。行けなくて悪いな」
「ううん」
そもそも今回の掃討に自分だけで行く、と言ったのはフィアだ。
シェイドも歳だし、勇者は引退したのだから無理は不要である。またぎっくり腰になられてはフィアも困るのだ。
あの時は家事をしてくれる者をよその家から借りたから何とかなった。だが今回は年明けの劇を見に来て欲しい。それを考えると無理は禁物である。
フィアはシェイドのそばに近付き、手元をのぞきこんだ。彼が切っているのはシロナだった。
「夜ご飯なあに?」
「ピッグの肉とシロナの鍋物」
ピッグは猪の家畜だ。フィアも好きな肉である。
しかも鍋物だ。フィアはここで暮らすようになって初めて鍋物なるものを食べた。皆で囲んで食べるのは最高だ。
調理台の上にはピッグの肉と彼が切っているシロナ以外にも多くの野菜類が置いてあった。
「これ全部鍋にいれるの?」
「いや」
シェイドの言葉にフィアは首を傾げた。使わないなら、魔道具の冷保存庫に入れておけば良いのにと思う。
フィアの不思議そうな表情に気付いたのだろう。シェイドが説明してくれる。
「これは新年のおせち料理に使うんだ」
「おせち料理?」
「そう。闇の大陸は年が明けたらおせち料理ってご馳走食べるんだよ」
ご馳走、と言う言葉にフィアは瞳を輝かせた。
シェイドはシロナを切り終え、肉料理のお共とも言える匂いの強いオオヒルとピリッと辛いジンジベルを引き寄せた。その二つを薄く切りながら、彼は言った。
「おせち料理の準備に時間がかかるから夕食は簡単につくれる鍋って訳だ。ま、手抜きだな」
「でも美味しいもん」
「そりゃ、良かった。出来たら夕食にするな。出掛けてたヴァイスもさっき帰ってきたし」
「そっかぁ。じゃあ、フィアお風呂入ってくるね」
「ああ」
フィアはスキップしながら廊下を進み、一旦自分の部屋へと戻った。
鍋物楽しみだ。そして夕食の時こそ、シェイド、ヴァイスとともに仲良くお話しするのだ。
フィアはゆっくり風呂につかって上がると寝巻きに着替え、その上にドテラを羽織ってから浴場を出た。そろそろ夜ご飯の支度も終わってるかも知れない。そう考え茶の間に行くと、すでに卓上の魔法式コンロの上には鍋が置いてあった。
いそいそとコタツに潜り込む。
ちょうどその時襖が開いて、食器などを載せた盆を手にしたシェイドが入ってきた。
「お、もう上がってたか」
「うん。今だよ」
そうか、とシェイドは頷くと取り皿などを並べる。副菜の盛られた小鉢も目の前に置かれた。
フィアは小鉢の中身をのぞきこんだ。大丈夫、自分の嫌いな野菜は入っていないようだ。
フィアがうんうんと頷いていると、再び襖が開いた。ヴァイスが入ってくる。
「お、ちょうど良かった。呼びに行こうかと思ってたんだが」
シェイドの言葉に頷くとヴァイスも座る。それを見届けてシェイドも座った。
フィアは卓に並ぶものを見て首を傾げた。
「ねえ、シェイド。ご飯は?」
「ん、ああ。鍋の最後に雑炊作るから待ってな」
「うん」
シェイドとヴァイスが祈り終わってから食事を始める。この食前のお祈りはシェイドが言うには『闇の神なんていないって分かっても習慣みたいなもん』らしい。
フィアは鍋から取り皿にスープごと具をとった。肉も野菜も美味しいがスープも美味しい。
「美味しいね」
ここぞとばかりにヴァイスに話しかける。彼は一口スープを飲んで頷いた。
「そうだね」
「ねえねえ。ヴァイスはいつまでお休みなの?」
「次の月一杯はお休み」
「へぇ、じゃあゆっくり出来るね」
フィアの言葉にヴァイスは首を横に振った。シェイドは黙って食べながら二人の話を聞いているようだ。
「向こうに船で戻る予定だから。そんな長居はしないよ。年明けの七日には港町にうちの商船が来るから、それに乗って帰るつもり」
「むー……そうなの? あ、フィアいいこと思いついちゃった。フィアが転移魔法でヴァイスを火と水の大陸まで連れて帰ってあげる!」
「転移魔法?」
「そうだよ! 一瞬で帰れるよ。そうしたらゆっくり出来るもん」
シェイドはフィアの提案に笑いながら頷いた。
「そりゃいいな。あえて長々船に乗らずに済むぞ」
「いや、もう船に乗る約束してるから。だから折角だけど……いいよ」
断られ思わずしょんぼりしたフィアの顔を見てヴァイスが慌てて付け足した。
「ありがとう、でも……ごめんね」
「うん……。あ、じゃあフィアの劇見にきてね」
「劇って……」
「ほら。子ども会が新年にやるあれだ。お前も昔やったろ?」
シェイドの言葉にヴァイスは思い出したらしい。ああ、と納得した声を上げる。
「フィアもちゃんと役があって、セリフもあるんだよ! ずっと練習に行ってたんだから。だからシェイドと見に来て。劇の後は餅つきって言うのをやるんだって」
ここの町内会では新年の恒例行事だと聞いた。劇の後には餅つきを行い、ぜんざいという甘味を皆で食べるそうだ。
「そうなんだ」
「そうなんだよ! だから、来て。フィアの劇見て、一緒にお餅食べよう。フィアもお餅ついてみたいなぁ」
餅つきが何か知らなかったフィアは町内会の大人に臼と杵を見せてもらった。何だかとても楽しそうだ。
自分が餅つきをする姿を想像し、心踊らせていたフィアはシェイドが顔を青ざめさせているのに気づいた。
一体どうしたのだろうか。
フィアは不思議に思ったが、とりあえずそれは置いておくことにした。今はヴァイスを誘うのが優先だ。
「ね、ヴァイス。来て、来て。ぜんざいって美味しいんだよね? みんな言ってた! しかも出来たてのお餅だよ!」
必死に餅の素晴らしさを語るフィアにヴァイスは噴き出し言った。
「分かった、分かった。父さんと行くよ」
ふとシェイドを見るとちょっと驚いた顔でヴァイスを見ていた。
「絶対来てね」
「分かったよ。何も予定もないし、大丈夫」
無事約束をとりつけたフィアは器を手に鍋へと手を伸ばす。横からさっとシェイドが器をさらっていき、鍋から具とスープをよそってくれた。
器をフィアに返した後、シェイドはふと何かを思い出したかのようにヴァイスを見る。
「そういえば……お前午後出かけてたけど、どこ行ってたんだ? ネロがお前が帰って来てるの聞き付けて、うちに来たんだが……」
「そうなんだ。ちょっとね。遊びに行ってただけだよ」
フィアは二人のやりとりを聞いて、ぴんときた。遊びに行くといえばあれだ。
シェイドは腑に落ちないという表情をしているが、ヴァイスはそれ以上何も語らない。
だからフィアは思いついたそれを口にした。
「わかった。ショウカンに行ってたんでしょ!」
その場の空気が凍りついた。
***
フィアは仰向けに寝た状態で天井を睨み、考え込んでいた。勿論身体はコタツの中だ。あったかい。
あの後、妙に気まずい雰囲気がシェイドとヴァイスから発せられ、その雰囲気は食事が終わるまで変わることがなかった。ヴァイスは食後の果物を食べるとさっさと部屋に戻ってしまい、今ここにはシェイドと自分だけだ。
何がいけなかったのだろう。
昔一緒に旅している時、シェイドとグレンはショウカンなる場所に遊びに行っていた。仲間の一人だったルクスが言うには、ショウカンとは『大人の男のための娯楽施設』らしい。
だからヴァイスもショウカンに行ったと思ったのだ。
ううむ、と天井を睨んだままフィアは唸る。すぐそばでシェイドのため息が聞こえた。
「また何か変なこと考えてるな」
「変じゃないもん。フィア悪いこと言ったのかなぁ……」
少し悲しくなる。折角仲良くお話し出来たのに。自分は失敗したのかもしれない。何が悪いのか分からないが。
「まあ……あんまり、娼館とか言うもんじゃないぞ」
「なんで?」
「へっ? いや、あの……その。ほら、あれだ! あの、遊びまわってるみたいで人聞きが悪いだろ?」
そういうものなのか。でも言われてみればそうかも知れない。本当は何をしてたかも知らないのに、お前は遊んでいただろうなどとは言われたくないだろう。
「フィア悪いこと言っちゃった……」
「いや、お前が悪いんじゃない。ルクスの奴が悪いんだ……」
フィアは何故ここでルクスの名前が出るのかと首を傾げた。
「まあ、気にすんな。あいつも小さい子どもの言う事だと思ってるよ」
「うん……」
タイミングを見てヴァイスには謝ろう。
そう考え、もう一つ気になっていたことを尋ねる。
「シェイドとヴァイスはどうしてあんまり喋らないの?」
シェイドは答えなかった。フィアは天井から彼へと視線を移す。
シェイドは毛糸で何か編んでいたのを卓に置き考え込んでいる。しばらく黙り、やっと彼は口を開いた。
「何で、なんだろうな。本当に分からない。昔はこうじゃなかった……あの子が考えてることが分かったけど、今は分からない。親子だから嫌いなんて事はない。ただ、どう接したらいいのか分からない」
「どうって……フィアとお話する時みたいに喋ればいいんだよ」
「あっさり言うなぁ」
「だってそうだもん」
「なんだろう。俺の勝手な思い込みかも知れないが、あいつが俺に対して壁をつくってる気がするんだ。だから話しかけるのを躊躇うと言うか……」
「でもシェイドから話しかけないとずっとこのままになっちゃうかも知れないよ」
その言葉にシェイドははっとした表情になった。
フィアは自分が子ども会に入ったばかりの頃を思い出す。自分は人間の子ども達ばかりの中に気後れして入っていけなかった。
それを見て年長の子たちがあれこれ話しかけてくれたのである。自分も話しかけられれば話せた。今や『チビ助』なんてあだ名までついている。
一時期フィアが夢中だったイッスンボーシごっこの話をすると『チビ助すげぇ』と皆言ってくれたのだ。夏になったら皆でイッスンボーシごっこをやる約束までした。
きっかけは大切だ。自分から歩み寄れない者だっている。
それが自分の場合、種が違うという事が理由だった。息子であるヴァイスがシェイドにそうなった理由は分からないけれど。
「そうだな……俺も腫れ物に触るようにあいつに接してる。それも良くないんだろう」
ほろ苦い笑みを浮かべてシェイドが言った。きっと彼は何故ヴァイスが父親に歩み寄れないのか知っているのだ。
でもフィアはシェイドならば大丈夫だと思っている。
子ども会の事もそうだが、自分はシェイドと知り合った頃どうやって彼と仲良くしていけば良いかわからなかった。嫌われたらどうしよう、怖がられたらどうしよう、捨てていかれたら自分は一人ぼっちになってしまうといつも不安があった。そのせいで彼の顔色を伺い、自分から話しかける事すら出来なかったのだ。
そんな自分にシェイドは自らあれこれ話しかけてくれた。そのおかげで自分は彼と今の関係を築けたようなものだ。
シェイドは恐れるフィアの心の中に無理矢理入って来たりはしなかった。フィアが心を許し、シェイドと向き合えるまで気長に語りかけ、見守ってくれたではないか。
だからフィアはシェイドを励ますように言った。
「大丈夫だよ」