この世で最も神様に愛された男
ライト=ブランカはこの世で最も運が悪い男といってもよい男だ。
いや、いってもよい男だった。
ある日までは。
それまでは歩けば猟師の仕掛けた罠の落とし穴に嵌り、空からは鳥の糞が彼を狙ってかのように落ちて来、人ごみに入れば見事に財布をすられスッカラカンとなった。
とにかく、何につけても運の悪い男、それがライトであったのだ。
だがある日を境に彼はこの世でもっとも幸運な男となる。
……しかしそれは、あくまで彼の雇い主であるゼムリヤ農園オーナーのエルフ、ゼムリヤの言葉であり、ライト本人は別の感想を抱いているかも知れないが。
※※※
「あー、腹減ったなぁ……」
山道をとぼとぼと力ない足取りで進みながらライトは呟いた。
彼は今年で十六歳の、一見するとどこにでもいそうな普通の容姿に一般的な能力を持った青年である。
ただそんな彼にも極めて目立った点があった。運の悪さ、という才能と呼ぶには相応しくないものだ。
今日も今日とて例によって運悪く、食堂に頼んでおいた弁当を間違って他の人間に持って行かれてしまった。時間が遅かったため、昼食に出された品々は殆どなくなっており、かろうじて残っていたスープを飲んで、このおつかいに出かける羽目になったのだ。
「あーんな、具も残ってないスープ一杯じゃ腹減るっつーの。それでこの山道を登れとか、無理だって」
ライトは思わず空を仰ぐ。雲一つない晴天だ。彼の心とは正反対である。
「あー、なんでもいいから食い物降ってこないかな……。って、ぎゃーーー!」
先ほどまで空を見つめていたライトは、突如己の上に降ってきた大量の何かに埋もれるようなかたちで地面へと倒れた。ずっしりと重く何かが己の上にのっている。
慌ててそれらを掻き分けて、顔を出す。降ってきた物の一つを掴んでまじまじと見つめた。
「なんだこりゃ。チョコレート?」
キョロキョロと周囲を見回す。そこは見渡す限り、板チョコの山だ。どうやら自分は突如降ってきたこれらに埋もれたらしい、と気づく。
「だ、誰だ、こんなイタズラした奴は!」
全身の痛みと、ふつふつと湧き上がる怒りから思わず叫ぶ。するとどこからともなく、驚いたかのような不思議な叫びが聞こえた。
「うにゃっ!」
子供のような高い声だ。
ライトは鋭い視線で周囲を見渡す。しかし声の主も、イタズラの犯人らしき者の姿も見えない。
しばらく手にチョコレートを握りしめたまま周囲を見渡していたが、やはり誰の姿も見つけられなかった。ライトは諦めて、手にしたチョコレートを頬張った。確かに腹は空いている。だがこれは多すぎだ。自分が埋もれるほどの大量のチョコレートをどうしろと言うのだろう。
ライトはチョコレートの山を掻き分けて、その中から完全に脱出した。いくつかを背負い袋に放り込み、残った大量のチョコレートの前で途方に暮れる。これをこのままにしてよいものか。食べ物を無駄にするのは好きでない。
ライトはふと思いついて、そのままチョコレートの山に背を向け、道を進み始める。歩きながら、大きな声で言った。
「あーあ。せっかくのチョコレートだけど、こんなに食えないなぁ。このままだとダメになってもったいねぇなぁ。食べ物を無駄にしたら……」
そう大声で言いながら、ライトはちらりと背後を盗み見る。
すると、さきほどまで小山を作っていたチョコレートが忽然と姿を消していた。
「な、な……」
犯人が回収に現れることを予想していたライトだが、まるで最初からそこには何もなかったかのように全て消えているのに彼は呆然とした。
「なんじゃこりゃあーー!」
静まり返った山に彼の叫びは響き渡った。
ライトは思わずへなへなと座り込む。
最近彼の周りではこのような怪奇現象が多く起こっている。
例えばつい先日、山道で熊に遭遇した。もう彼らは冬眠しているはずなのに、季節外れとも言える熊にライトは遭遇してしまったのだ。
やはり自分は運が悪いと乾いた笑みをもらし、死を覚悟したライトであったが、そこで不思議なことが起こった。ライトに襲いかかろうとした熊が突然動きを止め、ばたりとその場に倒れ伏したのだ。
恐怖のあまり動くことすら出来なかったライトであったが、いくら待てども熊は動かない。恐る恐る近づいてみれば熊は死んでいた。
いったい何がどうして熊が死んだか分からないライトであったが、せっかくの熊だ。毛皮や肉を持ち帰ろうと思ったものの、あまりにも熊は大きすぎ、そしてライトには熊を捌く力も経験もなかった。
『どうすっかなー。このままじゃ持って帰れねぇし』
と、呟いた次の瞬間。いったい何がどうしたのか熊の死体は丁寧に毛皮と肉に分けられていた。それも肉は丁寧に布で包まれている。
あまりのことに、思わずライトは手で目をごしごしとこすり、目の前を再度確認したくらいだ。しかし錯覚ではない。確かに熊は毛皮と肉の塊に変わっている。
ライトは不可思議な事態に顔を引きつらせつつも、しっかりと戦利品を抱え山を降りたのだった。
周囲からはお前は運が良くなった、と言われる。
だがライトはそうは思わない。運が良くなったなら、そもそも熊に襲われたり、弁当を持っていかれたりしないのでないか。
最近起こる不可思議な出来事は何なのだろうかとライトは怯えていた。
※※※
よろよろとライトは自室の扉を開けて、ベッドに倒れこんだ。
今日は彼の十六歳の誕生日だ。それを祝うため、先ほどまで食堂で宴会が行われていた。農園主のゼムリヤは従業員思いで、それぞれの誕生日を忘れない。必ず今日のように従業員総出での宴を催し、誕生日を祝ってくれる。
今日は主役ということもあり、散々酒を飲まされた。もう寝よう、と窓と扉の戸締りをしっかりして、彼はベッドに潜り込んだ。
ぐっすりと眠っていたライトだったが、微かな物音に目を覚ました。
「ん……。なんだ?」
枕元の灯りをつける。ぼんやりと部屋が明るくなった。そんな中部屋中を見渡すが、特に異常は見当たらない。
気のせいか、と思い再び眠ろうとしたその時。ライトは一つ眠る前になかったものに気がついた。
ベッドのヘッドボードに何やらおおきな靴下がぶら下げてある。
あまりのことに心臓が早鐘のように打つ。恐怖がこみ上げてきた。
おそるおそる靴下を手に取る。中に何か入っているようだ。そっと手を入れ取り出したところ、ラッピングされた小さな箱とメッセージカードが入っていた。
ひとまずメッセージカードを開く。
「えーっと何々。おたんじょおびおめでとう……。お誕生日おめでとうって書きたかったのか?」
ライトは思わず首をかしげる。綴りが間違っている上に、子どもが書いたかのような下手くそな字であった。
だが、そんなことよりも気にすべきことはある。一体誰がこれをここに置いたか、だ。
こみ上げる恐怖を押さえ込み、恐る恐る立ち上がる。そしてまずは窓を確認した。ちゃんと鍵はかかっている。同様に扉も確認した。同じく鍵はかかったままだ。
どういった手段を使って侵入したか分からない。だが侵入者が未だどこかに隠れている可能性はある。
ライトは薄暗い中、隠れるところもほとんどない自室を見渡した。闇を睨みつけ、恐怖に震える足でしっかりと立つ。そうでなければ腰が抜けてしまいそうだ。
かたん、と小さな物音がし、思わずびくりとする。慌ててそちらを振り向けば、本棚と戸棚の間のほんの僅かの隙間に赤い光を見た。
「ぎゃーーー!」
夜中だなんて、もはや関係ない。人迷惑などと気にしてもいられない。
あまりの恐怖にライトは腰を抜かした。よくよく見れば赤い光は二つ。それは何か生き物の瞳であった。
「ひっ」
ガクガクと震えながら、尻餅をついた状態で後退りする。
ライトの叫びを聞きつけた他の者たちが駆けつけたらしい。扉の外が騒がしかった。どうしただの、開けろだの言っているがそれどころではない。
真に恐怖したとき、人は声すら出せないのだとライトは初めて知った。
あの赤い瞳は今はもう伝説となったマモノではないか。
自分はこのまま食われるのだろうか、という思いを最後にライトは恐怖のあまり意識を手放した。
※※※
「うにゃあ……」
ぱたりと倒れたライトに驚き、フィアは物陰から飛び出した。
彼は白目をむいて倒れている。よほど怖かったようだ。
驚かせるつもりはなかった。本当はこっそりプレゼントを置いて立ち去るつもりだったのだ。
だが彼が目を覚ましたので、喜んでくれるところを見たいと隠れていたらこの始末である。
一応リリスに習ったストーキング魔法で姿を消していたつもりだったが、瞳が隠れてなかったらしい。まだまだ己も修行が足りないと反省する。
「ライト!」
扉の向こうからゼムリヤの声が聞こえた為、フィアは慌てて扉を開けた。
ゼムリヤはフィアの姿と倒れているライトの姿を見比べ深々とため息をつく。フィアは思わず照れ笑いをし、頬を掻いた。
「神様に愛された男も大変だな……」
ゼムリヤは枕元のプレゼントを見て、やれやれと呟いたのであった。




