おかえり
フィアがレヴィに提案したことは、新しく創る世界への移住だ。
もちろん新しい世界には新しい人間を創る。人喰いたちに存在を作り変えられないよう、工夫をこらしたこの世界の人間たちとはまた違う人間を創り出すのだ。
そうなると先代の神の資料が参考程度にしか使えなくなる。つまりフィアの負担が増えるということだ。
だが仕方ない。それ以外の策がフィアには思い当たらなかった。
そしてそれで終わりではない。フィアの創った新しい人間、原初の人とレヴィたち人喰いの間に生まれた人間こそが新世界の『人間』となる。
新しく創った人間が彼らにとって子孫とも親戚ともいえる存在となるのだ。
フィアの提案を受け入れたならば、彼らはこの世界、ひいてはフィアの一部となる。世界に弾かれることはなくなる。
レヴィはすこし考え、沈黙の後に微笑み言った。
『かしこまりました。我々は神の民となり、新世界へと移りましょう』
かくして今、彼らはフィアたちとともに世界をまわり、各地に散らばった同胞たちにこのことを伝えてまわっている。そして、全員をかの地へと集めるのだ。かつて最終決戦の場となり、いまや彼らの本拠地となっているあの場所へ。
すべて円満に話がまとまったかのように見える。今は。
だがリリスに問われて、この決断が正しかったかはまだ分からないとフィアは思った。それが分かるのはきっとずっと後だろう。
最初、フィアは人喰いたちのために新しい世界を創ろうかとも考えた。だが結局それも同じことでないかと思ったのだ。いまは結束をかためているように見える彼らとて、自分たちを脅かす他の種がいない環境へいけば同族同士で争いを始めるだろう。
今の人間たちがそうであるように、利益、思想、そういったものを原因とした争いは生まれるはずだ。
誰しも己は可愛い。あの行方不明者が続出していた集落の者たちが人喰いと付き合いがあるのをひた隠しにしていたのは、王都から送られてくる徴税吏から逃れるためだ。よそ者は人喰いたちが排除してくれる。同族たるほかの人間を犠牲にすることで彼らは利益を得ていた。
だがそれを責めることはなかなか難しい。彼らとて戦争のための理不尽なまでの税に苦しんでいた。
それと同じことだ。我が身可愛さにいつか人喰いたちも同族間で殺しあう可能性がある。
魔族はルシファーのもと一致団結している。世界を滅ぼしたくないという強い目的のもと、必要とあれば他の種とも共存共栄するし、決まりごともしっかりある。もちろん決まりごとを守らぬ者はいるが、そういった者への罰則も厳しい。
最初フィアは彼らの魔界への移住を考えたが、これは無理だろうと判断し、選択肢から除外した。始祖たるレヴィ本人が魔族との混血で苦しんだのだ。魔族と共存共栄しろといっても複雑だろう。
フィアはまず彼らに他の種族との共存共栄を覚えて欲しかった。たとえそれが理想論であっても。最終的な彼らへの提案はだからこそのものだ。全く別の種ではない。親族とも子孫ともいえる者たち。必要とあらば未熟なその者たちを、彼らに教え導いてほしい。
フィアはレヴィにはまだまだ成長が必要と感じた。彼は絶望の中に閉じこもっているようにも見える。そこから抜け出して欲しいのだ。
そうでなければ待つのは自滅であろう。
だからフィアは決断した。これは世界を救うため一度この世界から消えた時以上の決断であった。
あの時のフィアは世界のためでなく、シェイドをはじめとした仲間のために消えたのだ。神としての決断でなく、フィア個人としての決断だった。
思えば長いことフィアの世界はシェイドの傍にあった。かつてはその旅路に、その後はあの小さなお菓子屋に。
だが今ははっきりと感じられる。己の世界はとても広い。
そう感じられるようになったのは、きっと今が楽しいからだろう。
旅をして世界を見て、リリスもアダムもイヴもミカエルもそばにいる。いや彼らだけでない。魔界じゅうの知り合いたちもそうだ。
何より己の内にシェイドは生きている。フィアが生きている限り自分の中で思い出という形でシェイドは生き続けるのだ。そして彼の魂はフィアそのものといえるこの世界で生き続ける。いくどとなくその姿を変えながら永遠に、人という種が滅ぶその時まで。
フィアは心配気に己を見つめるリリスに微笑んだ。
周囲に音楽が響き渡る。祭りの盛り上がりは最高潮に達している。それぞれの者たちが、できる限り着飾り、音楽にあわせて踊っていた。
フィアはその光景を一瞥し、リリスに言った。
「大丈夫だよ」
そういうと一度置いたフォークを取り上げ、パイを食べる。とても美味しかった。先ほども美味しかったが、なぜかそれ以上に美味しく感じる。
「大丈夫」
「フィアたん?」
「うん。お菓子は美味しいし、お祭りって楽しいね」
そういってフィアは笑う。最近はなかった晴れ晴れとした笑みを浮かべているだろうと自分でも分かった。
ひさしぶりのフィアの心からの笑顔にリリスも微笑んだ。
※※※
フィアとリリスはレヴィたちが買ってきてくれたご馳走を散々食べ、いまは二人で祭りを見て回っている。輪投げなどの出店も二人で楽しんだ。
そうして歩いていると、フィアは一人の青年とすれ違う。一瞬何とも言えない違和感を感じ、フィアは立ち止まった。
すでに通り過ぎていった青年の方を振り返り、フィアは雷に打たれたような衝撃をうけた。
そのフィアの様子にリリスは怪訝そうに尋ねてくる。
「フィアたん?」
問いかけるリリスにフィアは答えることが出来ない。言葉が出てこない。ただ青年の後ろ姿を見つめることしかできなかった。
どんどん遠ざかっていくように見えた青年がふと立ち止まる。そして慌てたように己の体を確かめ始めた。どうやら服についているポケットをくまなく確かめているようである。
フィアはそんな青年におそるおそる近づいていった。リリスも何か問いたげな顔で、しかし何も聞かずについてくる。
近づくと、青年の悲痛な叫びが耳にはいる。
「や、やばい。俺の財布が……!」
どうやら彼は財布をなくすか盗られるかしたらしい。不運なことだ。
青年はがっくりと項垂れる。その背中にはゼムリヤ農場と書かれた大きな籠を背負っていた。
「あー、昼飯が……」
間近に迫ったフィアに彼の腹の音が聞こえる。
フィアはいつも持ち歩いている大好物のチョコレートを取り出した。そして青年のシャツの裾を引っ張り、己へと注意を向けさせる。
「ん?」
「あげる」
「えっ?」
いきなり見も知らぬ幼女に高級品であるチョコレート、それも魔界産を渡されたのだ。驚くだろう。
青年は困惑した表情でフィアと渡されたチョコレートを交互に見る。
フィアはもう一度きっぱり言い放った。
「あげるよ」
「でも、いいのか?」
「うん。お財布なくてお昼ご飯食べられないんだよね。だいじょぶ、フィアはお腹いっぱいだから」
「そ、そうか。ありがとう。助かるよ!」
青年は笑顔になり、チョコレートをポケットにしまった。そして、フィアにもう一度礼をいうと、歩き始める。
どんどん遠ざかっていく青年の姿をじっと見送るフィアにリリスがまた声をかけてきた。
「知り合い、じゃないわよね?」
「ううん。あれはシェイドだよ」
フィアの言葉にリリスがぎょっとなり、青年のほうを見た。
「ゆ、勇者様。でも……いいえ、生まれ変わったんだから別人になってて当然だけど……」
「うん。でもシェイドの魂だった」
「そ、そう。それにしても本当に普通の人間になったのね」
青年からは何の特別な力も感じなかった。ただのどこにでもいる普通の青年だ。
「うん。でも……それでいいんだ。ううん、それで良かった」
もう彼は特別な運命を背負っていない。ただ普通の人間として生きている。それはかつての彼が望んだことであり、フィアの望みでもあった。
「シェイド……」
フィアの頬を涙が流れる。
だがこれは悲しみの涙でないといい切れた。己の胸の内はあたたかな想いに満ちている。
どんどん遠ざかる青年の背にフィアは言った。
「おかえり、シェイド」
フィアの中にはシェイドの思い出。そしてフィアそのものといえる世界に彼の魂は戻ってきた。
彼の新しい生への祝福をこめて、フィアはもう一度言った。
「おかえりなさい」




