始祖
吊り橋の上からフィアを見下ろしているのは黒髪、黒目の長身の青年であった。いや、とフィアは気づく。
青年の瞳は黒ではない。限りなく黒に近い赤である。若干色味が濃いが、まるで魔族を想像させるそれにフィアは視線を鋭くした。
フィアが口を開こうとしたその瞬間、リリスの声が静かなその場に響き渡った。
「やだ。こんなところに出会いが……。しかもすごいイケメン!」
昨日の男二人のことやゼムリヤのことは既にリリスの頭になさそうである。
そこでフィアは気付いた。今まで同じように橋から落ちかかりぶら下がっていたリリスが、いつの間にやら男の隣に立っている。いや、にじり寄っている。
あまりの事態にフィアは唇を噛み締めた。さっきまで二人仲良く橋から落ちかかり、ともにぶら下がっていたというのに。『イケメン』とやらが目の前に現れた瞬間、彼女はさっさとよじ登ってしまったらしい。
フィアを置いて。一人だけで。
これが友情より恋を取った、というやつだろうか。
フィアはその昔、友人であったセーレが言っていた言葉を思い出した。
「始祖、その女です。昨夜の……」
フィア達から少し離れた場所よりリリスににじり寄られている男に声をかける者がいた。そちらに視線を向けると、昨日のリリスをさらおうとした二人組だ。
フィアは転移を使って、始祖と呼ばれた男の横に立った。リリスとフィアに挟まれる形になった、始祖と呼ばれた男は後ずさりしていた足を止める。
先ほど声をかけてきた二人組が慌ててこちらに駆け寄ろうとした。だがフィアは拘束魔法で二人を拘束し、その足を止める。
これで邪魔は入らない。
どうやらこの場にいる男のうちで、今リリスとフィアに挟まれているこの男が一番偉いようだ。『始祖』とは何のことだろう。
「あなたが人喰いとやらの始祖?」
リリスの問いに、黙っていた男が渋々といった感じで頷いた。そしてフィア達、拘束から逃れられずもがく男二人を見比べ、さらに質問を重ねようとするリリスを手で制する。
「そちらの質問にも答える。かわりにこちらの質問にも答えて欲しい」
「きゃっ。フィアたん聞いた?」
「んにゃ?」
首を傾げるフィアにリリスが駆け寄り、そっと耳打ちした。
「声よ、声。彼、すっごーくイイ声してるじゃない?」
よくわからないフィアは一応頷いておく。今のリリスは恋する乙女モードだ。余計なことは言うべきでない。
「ああっ、どうしよう。こんなところで超好みのタイプに出会うなんて……。しかもこのシチュエーション。お互い敵同士、許されない恋!」
身をくねらせるリリスを困った顔で見つめていたフィアは、目の前の始祖とやらも同じような目でリリスを見ていることに気付いた。
とりあえずリリスは置いておくことにする。話が進まない。
フィアは意を決して、男に頷き返した。
「いいよ。聞きたいこと聞いて」
「感謝する。あなた方は何者だ?」
男は視線を拘束されている配下二人に向けたまま続けた。
「昨日やつらは、あなた方は魔界に住む魔族と呼ばれる存在であろうと言っていた。それは正しいか?」
「う……」
うん、と頷こうとしてフィアは固まった。
確かにリリスは魔族である。それは正しい。だが自分は魔族でない。神である。しかし、神と名乗ってよいものか。一瞬悩み、いやそれは必要なことだとフィアは結論付けた。
何故ならば、人喰いをこの世界に迎え入れるか否かの話になれば、否が応でも名乗らねばならないのだ。
ただ問題がひとつ。神と名乗ったところで、このお子様な自分の姿に彼らがそれを信じるか。
疑われるのがオチでないか、とフィアはううむと唸った。
だが、そんな悩むフィアをおいてけぼりに、あっけらかんとした様子でリリスが言い放つ。
「私は神が初めて創った女天使リリス、今は堕天して魔族だけど。こちらは当代の神様よ。今はその真の姿を隠して、勇者フィアとして世直しの旅に出ているの」
「神……」
「り、リリス」
男は先ほどより鋭い視線でフィアを見つめた。フィアも目をそらすことなく見つめ返す。それ以外に信じてもらう術が思いつかない。
しばらく睨み合いに近いそれは続き、ふっと視線をそらしたのは男の方だった。彼は未だ解けることのない拘束魔法の青い光を見つめていた。
「なるほど。確かに。あのアロンとエルアザルの二人をいつまでも拘束しておける魔法の使い手……。よほど高位の魔族と思えば、神か。納得はいく。我々は魔法を行使する能力は魔族のそれに劣るが、魔法耐性はとても高いのでね。人間やハーフエルフの魔法使いの使う程度では、まったく効き目がない」
「しかし、始祖!」
アロンかエルアザルのどちらかか分からぬが、片方が叫ぶ。
しかし始祖とよばれた男は軽く首を横に振っただけだった。反論しようとした男もそれ以上何も言えず黙り込む。
「むかし、光の教団の大司教が遺した資料を読んだことがある。ともに勇者と旅をしていた男で……」
「ルクスだ!」
古い友人のことが話にのぼりフィアは嬉しくなって彼の名を出した。
「そう。彼の遺した資料で、新しい神のことが書かれていた。神はまだ幼い子どもであり、その名をフィアという、と。幸か不幸かまだ分からないが、はじめまして、神よ。私は人喰いと呼ばれる存在達の始祖。名はレヴィと言う」
恭しく頭を下げる男、レヴィを見つめながらフィアは何から聞くべきか考えた。
考えながら口を開く。まずは確かめねばならない。向こうにいるアロンとエルアザルには感じなかったが、目の前のレヴィに感じたことを。
フィアはこのレヴィに似た気配を持つものを知っていた。過去に二度ほどあったことがある。
どちらも暗く湿った場所で。片方は死を望んだ化け物。もう片方は死を拒み母親を呼んでいた、まだ人の姿を留めていた少年。
「レヴィは魔族と人間の混血なの?」
フィアの言葉にリリスが驚いたように目を見開き、えっと言葉をもらす。
レヴィは少し驚いた顔をしたが、軽く微笑み頷いた。
「おっしゃるとおりです、神よ」
「そんな馬鹿な……。魔界では禁じられているのよ。だって、人間と魔族との間に生まれた子どもは……」
「やがて異形化し、理性のない化け物に成り果てる」
リリスの言葉を引き取って、フィアは続けた。
そう。本来ならば、そうなるのだ。
魔族の持つ破壊の力に人間の器が耐えられないせいだとも、魔界の瘴気の中で生きていないからだとも言われる異形化。それは人間と魔族の混血には避けて通れない運命である。
「だからこそ、ルシファー様は魔族たちに人間との交わりを禁じていらっしゃる」
「いつの時代でも、どこの誰でも、必ず決まりごとを破る奴はいるさ」
レヴィはどうでもよいとばかりに肩をすくめた。
「んー。じゃあ、レヴィは異形化しなかったの?」
「いえ、異形化しなかったというより……。私の場合、それを自在にコントロール出来ると言うべきですね」
「異形化しても理性を保てる、と」
「ええ。この人の姿にも戻れますし」
何故私だけそんなことが可能なのか分かりませんが、とレヴィは付け加えた。
彼はどうやら己の出生、人間と魔族の混血であることは最初から知っていたらしい。魔族の血の覚醒に伴い、化け物の姿と人の姿を自在に行き来できるようになって初めて自分と同じ存在について調べ始めたという。彼が人間と魔族の混血について、その悲しい宿命を知ったのは光の教団の本拠地ウァティカヌスであったという。それもまた、フィアのこと同様に、ルクスの遺した書から知ったことであるらしい。
もっともその書からも、彼だけが何故二つの姿を持ち、理性を保ち続けることが出来るのかは知ることは出来なかったそうだが。
それについては神であるフィアにも分からない。言えるとしたら、全ては偶然の賜物であろう。かつてフィアの会った死を望んでいた化け物も、姿こそ異形化していたが、理性は保っていた。レヴィのような偶然が起こってもおかしくはない。
しかし、そこでまた別の疑問がでてくる。
レヴィが魔族と人間との混血なのは分かった。ならば彼を始祖と呼ぶ者たちは何なのだろう。レヴィと向こうで縛られている男二人の気配はとてもよく似ているが、しかし微妙に違うものだ。
彼らはレヴィと全く同じ存在ではない。それに始祖、という呼び名がしめす意味とは。
「レヴィが何なのかは分かった。じゃあ他の『人喰い』たちは?」
フィアの問いにレヴィはどこか哀しげな目で遠くを見つめながら答えた。
「彼らは……愚かな私が孤独に耐えられなかったが故に生まれた者たちです」




