ゼムリヤ農場従業員食堂
あっという間に昼食の時間となった。
昼食は食堂に並べられた料理の中から好きなものを選んで食べ放題だと聞き、フィアは心躍らせた。野菜嫌いなフィアであるが、それならば好きなものだけを食べられる。こういった場合、食べ合わせなど考えてはいけない。
ただひたすらに自分の食べたいものを食べるのだ。
フィアとリリスが手を洗い、身なりを整えてから食堂に着いたときには既にそこは昼食を求める従業員達で溢れかえっていた。
「すごいねー」
「ええ」
フィアとリリスは早速、とばかりに盆を手に取る。
「じゃあ……」
「フィアたん、あとでね」
既に打ち合わせ済みだ。互いに好きな物を取り、席で落ち合う予定である。
フィアはリリスと別れて早々、入り口近くに置かれたそれに目を留めた。思わず声を上げる。
「んにゃっ。ドロ沼産コシヒカリだ……!」
シェイドと暮らした闇の大陸、そこの主食たるイネノミの中でも最高峰のドロ沼産コシヒカリだ。フィアも数えるほどだが食べたことがある。
中でも思い出深いのは、商店街でフィアが福引で当たりをひいて賞品であったそれを手に入れた時のことだ。
その時のことを思い出し、ついフィアはくすりと笑いをこぼす。本当にシェイドはくじ運が悪く、スカ減らしとすら呼ばれていた。そのくせ当たらなくてよい場合ばかり当たりをひいてしまう。まさに不幸体質だったのだろう。
フィアは迷わず茶碗を手に取り、イネノミを炊いたものをよそう。すぐ隣に置いてあったキュカンバの浅漬けの小皿も迷わずに盆に載せた。
キョロキョロと見渡しながら先へ進み、汁物を選ぶ。イネノミならばミソスープだろうが、フィアの目に留まったのは橙色のスープだ。ポテロンのクリームスープと書いてある。ポテロンは夏野菜の一つだ。外側は濃い緑、中は橙色の固い野菜であり、その甘みがフィア好みである。ミソスープよりもこちらの方が良い、とお玉を手に取った。最初に心に決めた食べ合わせ無視の誓いには忠実でなければならない。
あとはおかずだ。副菜に甘くて美味しいフルーツトメトのサラダ、キュカンバと魔界ダコの酢の物を盆に載せたフィアはとある煮物の前で足をとめた。砂糖とショーユで味付けされた匂いがするそれを覗き込む。
隣にいた従業員の男が笑いながら教えてくれた。
「ポテロンの煮物だよ。普段とは違う豪華版」
「豪華版?」
「そう。最近地獄みたいに忙しいからゼムリヤさんからの心遣い。魔界アケロン牛A五ランクの肉が入ってる」
切り落としだけどね、と付け加えていう男に頷くのももどかしくフィアは器を手に取る。
アケロン牛、それもA五ランクとなれば食べぬ訳にはいかない。それも自分の大好きなポテロンの煮物だ。大盛りでもらおう。
ポテロンとアケロン牛の煮物を器にたっぷり盛ったフィアはリリスが既に席についているのに気づいた。これ以上待たせるわけにはいかないだろう。フィアは慌ててメインのおかずとして揚げ物を選び、リリスのいる席へと急いだ。
「ああ、フィアたん。ゆっくり選んでて良かったのに」
そう言うリリスの盆には、何か野菜を使っているのだろう緑色のパン、様々な野菜を盛り付けたサラダ、トメトの具沢山スープにフィアの選んだものとよく似ているが微妙にちがう揚げ物の皿があった。
「あ、フィアたんはピッグの揚げ物なのね。私はコッコのササミにしたんだけど」
「うん。何かを巻いて揚げてあるんだね、これ」
フィアが選んだ揚げ物はシソハーブをピッグの肉で巻いて揚げたものだ。これはよくシェイドも作ってくれていた。ちなみに節約の名のもとにシェイドの家の庭にはシソハーブが植えてあり、夏場はよくそれが食卓にのぼったものだ。
そこでふと、あの家はどうなったのだろうとフィアは思った。
シェイドの家は息子であるヴァイスが受け継いだはずだ。だがあれからもう二百年。すでにヴァイスも亡くなっている。彼は結婚して子供もいたが、その子孫たちがあの家を残していてくれるかは分からない。
何故なら彼らは別大陸で暮らし、シェイドの義理の父親が経営していたグリンヒル商会を継いでいる。いくら元勇者の住んでいた家といっても、大陸も違うそこをずっと残しているものだろうか。
見に行こうかと一瞬考え、フィアはそれを打ち消した。もし無くなってしまっていたらどうする。それを知った時の自分の衝撃は計り知れない。
「フィアたん、そのポテロンの煮物美味しい?」
物思いに耽っていたフィアはリリスに声をかけられ、はっと我に返った。
「う、うん。美味しいよ」
確かに煮物は美味しかった。
ポテロンそのものも美味しいのだろう。深い甘みがある。アケロン牛の肉も旨味があり、砂糖とショーユの味付けが絶妙だ。ちょっと濃い目の味付けにイネノミを炊いたご飯がすすむ。
「うーん。ここの野菜は本当に美味しいわね」
「うん」
フルーツトメトを頬張りフィアは頷いた。リリスは魔界ダコとキュカンバの酢の物を見て、笑った。
「やだ。ドキドキクッキングの初回を思い出すじゃない。フィアたんが魔界ダコに襲われて大変だったものね。私なんて勇者様にお湯を沸かす係しかやらせてもらえなかったけど!」
「うん。飛びかかってくるとは思わなかったもん」
未だにあの時のことを思い出すと腹がたつ。だから魔界ダコは美味しく食べてやるのだ。
「そういえばリリス、今日は小食だね」
いつもならば、もっとてんこ盛りにしてあれこれ食べているだろうリリスだが、今日はどう見ても選んだメニューは健康的なもの、一般的な量である。働いた後だから、フィア同様お腹が空いているはずなのに不思議だ。
この前はフィアと二人でコキュートスの牛一番に焼肉を食べに行き、散々骨つきカルビを食べ、終いにはオーナーのミノタウロスから在庫がなくなったと言われるまで食べたのに。
フィアは我々肉食女子にあるまじき盆でないか、という思いを込めてリリスを見つめた。ちなみに我々肉食女子というのはリリスが言い出し、命名したことである。
フィアの問いかけにリリスは少し赤くなり、もじもじとし始めた。
「やだ、ほら……。どこでどう話がいくか分からないし、万が一見られるかも知れないじゃない?」
「うーん。よくわからないよ」
「もうっ。ゼムリヤに私がガツガツ食べてたなんて知られたくないの。だから今日はこんな感じ。健康的で美容に気を使ってる女子っぽいでしょ?」
そういうものか、とフィアは首を傾げる。仄かに甘いドロ沼産コシヒカリを頬張り味わいながら考えた。
恋する乙女とは何かと不便なようだ。
もっともあのゼムリヤがそんなことを考えたり、気にしたりするとは思えないのだが。それをリリスに言ってやるべきか。
そんなことを悩んでいるフィアに、リリスがそういえばと思い出したように話し始める。
「さっき知り合った若い人間の女の子たちが、夕食後ゆっくり飲みましょうって言ってたから、フィアたんもどう?」
「飲む……」
「メインはコイバナよ、コイバナ!」
リリスはキラキラと瞳を輝かせている。彼女はどうやら熱く恋について語りたいらしい。
どうしようか、とフィアは悩んだ。
他に人間の娘達がいるなら自分は行かずとも良いだろう。断ってもリリスは気を悪くしない。
自分は酒も飲まないし、恋もよく分からない。だから断ろうか、と思ったとき、リリスは言った。
「美味しいスウィーツ作ってもらう約束したの。お茶もいいのがあるんですって。お酒飲む人は飲めばいいし、飲めない人はお茶とスウィーツってわけ。ね、どう?」
どうやら酒を飲まぬフィアに気を使ってくれたらしい。
どうしようかと悩んだが、フィアは行こうと決めた。スウィーツとやらを食べてみたいし、リリスが暴走したら完全には止められないものの、多少は止められるのはフィアだけだ。それにいつものように夜中部屋で一人でいると、鬱々と失ったものについて考え込んでしまう。
少しでも気分転換になるならば、付き合おうとフィアは心を決め、言った。
「うん。じゃあフィアも行く」
※※※
酔っ払いだ。フィア以外、みな酔っ払いである。
「だからね。嫌いな男ほど、自分のことを好きにさせなきゃ。どっぷり惚れさせて、散々振り回して、そしてこっ酷く振る。一生涯消えない傷を残してやって、初めて復讐コンプリートよ!」
どんっと音をたて、リリスはテーブルにグラスを叩きつける。
もう既に人間の娘達の大半は酔いつぶれ、残った数人もリリスが何を言ってるか分かってはいまい。ベロベロの酔っ払いだ。
しかしフィアの予想と反して、残った数人のうち一人が呂律がまわらないながらもリリスに問い返した。
「質問れーす。リリスさんはー、その華麗なる復讐をー、遂げたことあるんですかー」
あまりにもリリスの急所をついた質問にフィアはさっと青くなる。
リリスはばんっと手のひらでテーブルを叩き、言い返した。
「あるわよ……ドラマの中でならね」
やはりフィアの予想通りであった。リリスにとってドラマや舞台、映画の脚本は恋愛バイブルだと前に聞いたことがある。それを実現できたことは過去にない、とも。
一体これからどうなるのだろうか、とフィアはハラハラしながら見守った。何せ酔っ払いと酔っ払いだ。何が起こっても不思議でない。
リリスの答えを聞いた娘は教師に答える生徒の様に挙手し、勢いよく言った。
「リリス先生ー。机上の空論は何の意味もなしません!」
フィアの心配をあざ笑うかのように、爆弾が投下されてしまった。




