心閉ざして
オトナとは何だろうか。
フィアはそんなことを考えながら、リリスと待ち合わせしている喫茶店の扉を開いた。
年齢だけで言うならば、フィアはオトナであろう。もう二百歳を超えた。三百歳も近い。
しかしフィアは己の身体だけではなく、内面も昔と変わったところはないと感じている。
喫茶店の最奥の席にリリスがいた。俯き、何やら必死にメールを打っている。相手はおそらく新しいカレシとやらだろう。
まだシェイドが健在のころ、リリスは一度結婚した。ベルゼブブの部下である男と。
後から聞いた話によると、魔界少子化対策の一環で彼はベルゼブブやらルシファーのごり押しを受け結婚したらしい。
しかし、そのせいだろうか。フィアが今でも昨日のことのように思い出せる華やかな結婚式から半年もたたない内に二人は離婚することとなった。
原因はリリスの汚部屋と殺人的な料理である。
彼女の夫は何度となくリリスの愛妻料理を食べさせられ、生死の境をさまよい、書置きと離婚届を置いて出て行った。
フィアとシェイドは一方的に捨てられるかたちとなったリリスを案じた。しかし二人が思っていた以上に彼女は逞しかった。
自分は女優。恋多き女に結婚生活は向かない。仕事とファンを恋人にこれからは生きるわ、と。
「あら、神様。ごめんなさい。夢中になってて」
リリスはすぐそばまで来たフィアに気づき、魔界フォンをテーブルに置いた。フィアは彼女の向かいに座り、メニューを見ることなく、そばに寄ってきたウェイトレスにチョコレートパフェを注文する。
久々に会った二人は近況を語り合った。リリスは最近合コンとやらに励んでいるらしい。
「あれ、リリス。新しいカレシは?」
フィアの問いかけにリリスはあっさり首を横に振った。
「あ、あれ。ダメだったわ」
「うにゃっ。そうなんだ」
「嫌だ。神様ったらそんな顔しないで。フィーリングが合わなかったのよ。付き合ってみないと分からないことってあるものね。そうだ、神様も今度一緒に合コンに行かない?」
「フィアも?」
思いもよらない言葉にフィアは呆気にとられる。
まさか人間でいうところの四歳児くらいにしか見えない自分を、大人の男女の出会いの場に連れていこうとするとは。流石はリリスである。
「うーん。誘ってくれて嬉しいけど、フィアまだそういうの分からないや」
「そうなの?」
リリスは不思議そうに首をかしげ、フィアを見つめた。じっと見つめられ、少し居心地が悪い。フィアは考えながら、口を開いた。
「うん。フィアよくわかんない。シェイドのことは好きだけど。でもそれはリリスとか……」
ふとフィアの脳裏にとある少年、今や立派な青年となった友人の姿が浮かんだ。
自分のことを好きだと言っていたストラスだ。
「リリスとか他の人が言う『好き』っていうのと、フィアがシェイドが好きっていうのは違うし。それ以外の『好き』はフィアにはまだ分かんないもん」
「勇者様……」
リリスは驚きに目を見開いている。それはそうだろう。
フィアはシェイドが亡くなってからというもの、人前でその名を口にしたことがない。そのせいかフィアの前でシェイドの話をしない、というのが魔界中の暗黙の了解だったのだ。
せっかくシェイドの話が出たから、誰かに聞きたかったことをリリスに聞いてみようとフィアは口を開いた。
「ね、リリス。リリスはお父さんっていないんだよね。強いて言うなら、先代の神がフィアにとってのシェイド……お父さんみたいなものだよね。オトナになったらずっとそばいなくても平気で、もし寂しかったとしても他の誰かがその穴を埋めてくれるもの?」
「お父さん」
リリスはなんとも言えない表情を浮かべ、首を傾げている。彼女はしばらく考え込み、フィアの頼んだチョコレートパフェが運ばれて来た頃やっと意を決したように口を開いた。
「あのね、神様。私には『お父さん』ってものがどんなものかよく分からないの。先代の神は我々とは距離を置いていたし、少なくとも勇者様と神様のような関係ではなかった」
「んにゃ……そうなんだ」
「え、あ、ごめんなさい。参考にならなくて。そうだ。我々はわからないけど、第二世代、第三世代の魔族たちには分かると思うから……」
そこまで言いかけたリリスは何かに気づいたような表情となり、凍りつき言葉を途切れさせた。
幼体のころ仲良くしていた三人、テイアイエル、セーレ、ストラスに聞いてはどうか、と続けようとしたのだろう。だがいつまでも幼体のままのフィアと、オトナとなった彼らとの交流は途絶えている。
彼らがいつまでも幼体のフィアを疎んじた訳ではない。きっと優しい彼らはシェイドを失い、いつまでもオトナになることすら出来ないでいるフィアを案じてくれているだろう。
ただフィアも哀しみと、新しい世界を創るという試みに忙殺されていた。いや、忙しさで哀しむ心を抑え込んできた。
そして気づけば時が流れ、いまや彼らがどうしているか噂で聞く程度にまで距離ができてしまっている。
当然ながらリリスはそのことを知っているのだ。
「あの、神様。私……」
何か言おうとするリリスを押し留めるようにフィアは首を横に振った。
「ううん。ありがとう、リリス」
※※※
その日、風呂からあがってから、フィアは夜の日課に取り掛かった。
ペンを片手に真っ白なノートをじっと見つめる。しばらく考え込んでから、おもむろにフィアはペンを走らせ始めた。
『シェイドへ。
今日はリリスと会ったよ。リリスからあのお友達三人に親離れの辛さについて聞くことを勧められたよ。
正直なところ、フィアは悩んでいます。
フィアはみんなが妬ましいんだ。
きっとだから三人と距離を置いたんだ。
三人がオトナになった今でも、リリスにぶつけた質問を彼らにするのは怖い。
もしみんながフィアの望む答えをくれなかったら、フィアはきっとおかしくなってしまうと思う。
ううん。きっとどんな答えが返ってきてもそうだと思う。
だって三人は一人ぼっちじゃないもん。
ちゃんと親がいる。
何より自分自身がこの世でたった一人の神様なんて存在じゃない。
今ではフィアの前の神様が壊れてしまった理由がよく分かるんだ。
世界中見渡しても、どんなに世界や生き物を創っても神様はずっとずーっと一人ぼっちなんだ。
もう、シェイドもルクスもグレンもいない。フィアがフィアでいられる相手は誰もいない。
この世のみんなにとってフィアは神様以外のなんでもないんだから。
やっぱりフィアは成長してないね。覚えてますか。シェイドが寝込んで、フィアが自分の殻に閉じこもり、三人のお友達を自分の精神世界に引きずりこんだ時のこと。まさかシェイドもあの時はフィアが幼体のままになっちゃうとか思わなかったよね。びっくりするくらいあの頃と何も変わってないよ、フィアは。ううん。フィアはシェイドが死んでからどんどん嫌な子になっています。
もう寝るね。おやすみなさい』
フィアはノートを閉じ、じっとその表紙を見つめた。自分は少し疲れているのかも知れない。
明日から少し新しい世界を創る研究は休もうか、と考える。少し気分転換にどこかに出かけたほうが良いかもしれない。最近アダムにも会ってないから人間界に行くのも良いだろう。
かつての友人三人に会うのは今は止めておいた方が良さそうだ。自分自身心の準備ができない。




