死からはじまる物語
その日は夏とは思えない、ひどく寒い日だった。
朝からやむことなく雨が降り続け、葬儀に参加した者たちは傘を手に皆凍えていた。
大きく掘られた墓穴、聖職者、彼の死を悲しみいたむ多くの者たち。
そういったものを一人離れた場所からじっと眺める幼女がいた。真っ黒なフードからは金色の髪がこぼれている。黒髪の者が多いその場で、彼女の髪はひときわ鮮やかに見えた。
かつて勇者と呼ばれた男の墓穴が少しずつ埋められてゆく。それを見つめる彼女のどこか虚ろな赤い瞳には涙はなかった。
彼女は一つため息をつくと、踵を返し歩き始めた。葬儀はまだ途中である。だが、もうじゅうぶんだった。
泣けない神に代わるかのように、雨は止むことなく降り続ける。
かつての勇者シェイド、享年八十五歳。長寿であり、その最期は大往生であった。
※※※
フィアはとぼとぼと力ない足取りで夕暮れ荘の扉を開いた。
その瞬間、台所に立っていた割烹着姿のミカエルが手にはお玉を持った状態で玄関まで飛び出してくる。
「神様! おかえりなさいませ! 本日の夕飯はカツカレーです!」
フィアはそれに適当に頷き返し、靴を脱ぐ。本来ならばこの家は靴を履いたままでも構わない。しかし長年のシェイドとのアンブラー暮らしで家の中で靴をはくことに抵抗を感じるようになってしまったのだ。
「検査は如何でしたか?」
朝からルシファーの城でフィアは検査を受けていた。検査を担当したのは人間界からよばれたエルヴァンと、かつてルシファーの命によりフィアを作り出した魔族の研究者たちだ。
「別に。いつもと一緒。ここ二百年なにも変わらないよ」
フィアの言葉にミカエルは沈痛な面持ちとなる。
シェイドが亡くなってから、二百年の時が流れた。色々な事が変わったし、寿命という名のもとフィアの目の前から消えていった者も少なくない。
しかしフィアは何も変わらない。二百年前、いやシェイドと知り合った六歳のあの時から何一つ変わることはない。
途中二十五年にも渡る肉体の喪失時期があったとは言え、フィアは三百歳に近い。天使、魔族、エルフといった寿命のない者たちは二百歳で成体となる。それにもかかわらず、フィアは未だ幼体のままだ。
かつて四人で一緒にあそんだ他の三人の高位魔族の幼体たちは既に成体となり、結婚までしているというのに。
フィア一人だけが変わることなく時が過ぎた。
いつまでたっても成長することのないフィアを怪訝に思い、調査班が作られたのが百年ほど前。この世界における最高の頭脳たちが集まった。しかし未だにフィアがなぜ幼体のままなのか分からない。
調査班が作られたと同じ時期に、フィアは居を天界から魔界のコキュートスに移した。そして今に至るまでミカエルと二人でこの夕暮れ荘に住んでいる。
あまりの質素な住まいに魔王たちは神の住む場所かと首を傾げていた程の安普請だ。だが、天界にはお金というものがない。収入といえば、フィアの魔界におけるテレビ出演等で得られるものだけだ。
天界は常に緊急財政である。豪華な家などとんでもない。
「ミカエル。フィアお腹すいちゃった!」
何ともいえない空気を振り払うため、フィアは明るく言う。その言葉に頷き、慌てて台所に戻るミカエルの後ろ姿をみつめながらフィアは思った。
いつまでも幼体でいる辛さより何よりも、シェイドが死んだ二百年前からの喪失感のほうが辛くて仕方ない。
成体となれば、この辛さも乗り越えられるのだろうか。忘れられるだろうか。
そう考えると、胸が強く痛んだ。
この辛さはとても苦しい。でも自分は忘れたくないのだとフィアは思う。
自分はずっと彼の魂を見守ることに決めた。たとえ彼が彼でなくなり、フィアのことなど全て忘れてしまっても。
そのために世界も守ったし、辛い別れも受け入れた。
全て納得していたはずだ。
なのに何故、こんなにも苦しいのだろう。




