神様、心配する
食事をとった後、シェイドは薬をのみ、また横になった。襖が開かれる微かな音に目を開ける。フィアがそろそろと入ってきた。彼女は布団のそばに座った。
「もう夜ご飯食べたのか?」
「うん。食べたよ」
「ここ寒いだろ。俺は大丈夫だから、茶の間にいた方がいい」
だがフィアは激しく首を横に振った。
「フィアはここでシェイドの看病するんだもん」
「寒がりのくせに無理するなって」
彼女はいつもなかなかコタツから出てこないコタツムリなのだ。しかも風呂上がりらしい。このままここにいては湯冷めしてしまうだろう。
だが頑固なフィアはシェイドの言うことを聞かなかった。仕方なくシェイドは押入れを指差して言った。
「その中に毛布がもう一枚あるから、それ使え」
フィアは人間でないから、シェイドのように風邪をひいたりしない。だがさすがに夜になりひんやりと冷え込んできた。寒がりの彼女には辛かろう。
フィアは小さく頷くと押入れの中から毛布を一枚取り出した。それを自分の身体に巻きつけ、またシェイドのそばに座る。
とりあえず本人の気が済むまで好きにさせよう、とシェイドは思った。いつもフィアは夕食を食べてしばらくすると眠たくなって寝てしまう。だから今日もその時がきたら自分の部屋に戻るはずだ。
だがシェイドの予想に反して、いつまで経ってもフィアがその場を立つ気配がない。諦めてシェイドは目を閉じた。
薬も効いてきたのか、いつの間にかうとうとしていたシェイドは額にのせられた冷たい布の感触で目を覚ました。ふと時計を見ると、もう日付が変わりそうな時間である。横を見るとフィアがまだいた。これにはさすがに驚いてしまう。
「フィア、まだいたのか?」
「うん」
シェイドの身を案じているのか、あまり元気がない。
「寒いし、もう遅いから部屋に戻って寝ろ。子どもが起きてる時間じゃない」
「嫌だもん……」
ぐっと両手を握りしめ、俯いて嫌だと呟く彼女の姿に思わずため息がでた。心配しすぎだ。
仕方なくシェイドは起き上がる。その気配にはっとフィアが顔をあげた。それに構わずシェイドはかけ布団をめくり、フィアを抱えると自分の隣に寝かせる。人間の子どもならばリュウカンをうつす可能性があるからダメだが、フィアならば問題ないだろう。いかにこのお子様が頑固と言っても、暖かい布団の中に横になれば睡魔に襲われるに違いない。
シェイドも再び横になり、掛け布団を引っ張り上げる。隣からフィアの嬉しそうな声が聞こえた。
「こうやって寝るの久しぶりだね!」
「そうだなぁ。一緒に旅していた時ぶりか。もう二十五年も経ったんだな……」
あの頃は野営の狭いテントの中でこうして並んで寝てたものだ。しょっちゅう寝返りをうったフィアに殴られたり蹴られたりしたことを思い出し、シェイドは青くなる。
そうだ。忘れる前にやっておこう。
慌てて己に防御力をあげる魔法を使った。これでフィアの攻撃にもたえられるであろう。朝起きたら顔に青あざが出来ていては笑えない。
たかが寝返りなどと侮っていたら痛い目をみるのは自分である。
「おやすみ、フィア」
「フィアは寝ないもん……」
シェイドはちょっと笑って、再び目を閉じた。
***
「朝だぞー」
間近でシェイドのものじゃない声が聞こえ、フィアは慌てて飛び起きた。見れば子ブタちゃんが立っている。隣に顔を向ければ、まだシェイドが眠っていた。
どうやら自分はいつの間にか眠ってしまったらしい。夜通しでシェイドの看病をするつもりだったのに、失態だ。布団のぬくもりに自分は負けてしまった。自分で自分が腹立たしい。
フィアはやれやれと立ち上がる。子ブタちゃんはシェイドの額に手を当てて、熱を測っていた。
「まだ熱ある?」
フィアの問いかけに子ブタちゃんは頷いた。そういえば完全に治るまで十日ほどかかると言っていた気がする。
フィアはシェイドのことを気にしながら、部屋から出て顔を洗い着替えた。茶の間には既に朝食が準備されている。子ブタちゃんの料理は美味しいはずなのに、何故か味気なかった。きっと自分はひとりぼっちなのが寂しいのだろうと思った。
食事を食べ終えたフィアは天界から持ち帰った資料を両手に抱え、再びシェイドの部屋に戻る。枕元に座り、資料を読みつつ、時に彼の額の布を変えた。昨日よりも熱が高くなっている気がする。
何度目かに額の布を変える時、シェイドが目を覚ます。彼は薄っすらと開いた目でぼんやりとフィアを見つめ返した。熱で意識が朦朧としているのかもしれない。
「みず」
「お水……はい。シェイド何か食べられそう?」
フィアの問いかけにシェイドは緩く首を横に振った。フィアの表情が陰る。とりあえず薬だけでも飲ませ、また横たわらせた。
彼が目を閉じたのを確認し、再び資料に目を落とす。だがちっとも内容が頭に入ってこない。
本当にシェイドは大丈夫なのだろうか、とフィアは思った。安静にしていれば良くなると言っていたけれど、万が一のことがあったらどうしようと不安になる。思わずじわりと滲んできた涙を慌ててゴシゴシと拭った。
この程度のことで動揺してどうするのだろう。いつか自分たちには永遠の別れがくると、とっくの昔に覚悟を決めていたはずだ。ちょっとの病気で不安になってどうする。
今でさえ、こんなに不安なのだ。これから先、自分は大丈夫なのだろうかとフィアは恐ろしくなった。人間は歳をとればとるほど衰えていく。人によっては寝たきりという自分では動けない状態になる者さえいるらしい。そんな事態を想像しただけでフィアは目の前が真っ暗になる。
こんなに辛く、心が痛いのは自分がまだ子どもだからだろうか、とフィアは思う。もし大人になれば、こんな辛さも苦しみも痛みも感じず、別れにも動揺することがないのだろうか。
だが身近な者を亡くした人間はみな悲しんでいる。それが大人であってもだ。そう考えると自分が子どもだから、という訳ではないかも知れない。死別の苦しみに大人も子どももないに違いない。
フィアは大人になればもっと心が強くなって我慢出来ると心の中のどこかで思っていた。だがもしそんな事がないとしたら。その時自分はこの胸を引き裂かれるような痛みをどう乗り越えれば良いのだろう。
「このまま、時間が止まっちゃえばいいのに……」
そうしたらずっとずっと一緒にいられる。自分はひとりぼっちにならずに済むのだ。
フィアの哀しい呟きは静まり返った部屋にやけに重く響いた。
***
シェイドのそばに座り込み、資料を読んで人間の魂をどう弄るか必死に考えていると、フィアの幼体フォンが鳴った。
最近幼体フォンには『おともだち機能』という機能が出来た。これは保護者の同意が必要だが、幼体フォン同士で連絡が取れる便利な機能である。今回の着信はその機能を使ったストラスからだ。
フィアはシェイドを起こさないように慌てて部屋を出て、廊下で通話に応じた。
「フィア?」
「うん、フィアだよ。ストラスどうしたの?」
「昨日、フィアが帰ったあとに皆で遊園地に行こうって話になったんだ。ティーちゃんが行きたいって」
「ティーちゃんが?」
フィアは驚いてしまう。彼女は過保護な父親ベルゼブブのせいで城から出られない。外に出たがっているのは知っていたが、まさか彼女本人が遊園地行きを提案するとは思わなかった。
「うん。ベルゼブブ様を頑張って説得するって言ってた」
「そうなんだ。遊園地いいなぁ」
テレビで見たり人から噂を聞いたことはあっても、フィアは実際に遊園地に行ったことがない。一度は行ってみたいと思っていたのだ。
しかし——。フィアはちらりと背後の襖を見て、その中で眠るシェイドと、自分が片付けねばならない問題を思い出す。とても今は遊園地どころではない。つい先ほどもルシファーから連絡が来て、全魔界会議が明日になったと言われたところだ。それですら本当は行きたくない。今はシェイドのそばから離れたくない。だが今回の人間界から魔界への魔物の移動はフィアが言い出したことだ。魔界側は移動を受け入れるだけではない。移動してきた者たちが魔界で暮らしていけるように、受け入れの体制を整え、彼らに必要な教育や住む場所、仕事も与えなければならない。それを考えれば後はよろしくとばかりに知らんぷりは出来ない。
ルシファーをはじめとする魔界の者達がフィアを神として敬ってくれるのは、フィアが神として為すべきことをちゃんとしているからなのだから。
「……ごめんね。フィア行けない。シェイドも病気だし、お仕事もあるし……」
「そうなんだ……。じゃあ僕も行かない」
「でも、でも。ストラスも遊園地行きたいんじゃないの?」
「行きたいけど。フィアも一緒がいいから。お仕事終わって、お家の人も良くなってから一緒に行こう」
「うん……」
「大丈夫、大丈夫。ティーちゃんにはセーレもいるし! もしティーちゃんが四人で一緒に行きたいなら待ってくれるよ。じゃあ、またね」
「うん、またね」
フィアは通話を終了し、幼体フォンを握りしめる。
仕事が落ち着いて、シェイドが良くなったら。その時には遊園地に行こう。幼体だけでは入場出来ないからシェイドに一緒にきてもらえばいい。
楽しいことを考えよう、とフィアは思った。そうじゃないとどんどん暗い方へ暗い方へと思考が誘い込まれていく。その先は孤独という奈落の底だ。
出来れば考えたくない。たとえそれがいつか自分に訪れる未来であっても。
つい先日、恋人との別れを恐れるカイムに自分はシェイドの死後その魂を見守ると宣言したばかりだと言うのに。フィアは弱虫な自分を嗤った。




