神様多忙につき
フィアはストラスとセーレの二人とは一緒にベルゼブブの城を訪れていた。勿論、幼体義務教育の勉強をティーちゃんとともにするためである。
ストラスと二人で彼女の元を訪れることを先日エアーバイク友達三人にしたのだが、何故かセーレが自分も行くと言い張ったのだ。セーレは見た目こそフィアと大差ないが、既に五十五歳であり義務教育の段階がフィアたち三人とはあまりに違いすぎる。そのため一緒に勉強をするのにはとても向いていないし、彼の性格を考えたら年下の者に教えるのも向いてない。
だから最初フィアは同行を断ろうとした。だがセーレが粘りに粘ったため、諦めたのである。そこまでして彼が一緒に来たいと言う理由がフィアには分からなかった。しかしメロがそんなフィアにこっそり耳打ちしたのだ。『セーレ様はテイアイエル様がお好きだから、他の男の子に取られると思ったんでしょう』と。
ついこの間までライラ、ライラと言っていたのは何なのだと言いたくなるが仕方ない。フィアはきっとセーレはウワキショウなのだと思った。昔ルクスが言っていたのだ。ウワキショウやウツリギな男というのは、もはや病気のようなものであると。
「お前たち分からなかったら俺に聞けよ!」
「大丈夫だよ。セーレ、フィアたちのことより、自分の宿題やったら?」
フィアはセーレの目の前に置かれた真っ白なノートを指差した。さっきから彼はフィアたちに話しかけてばかりで、ちっとも自分の勉強が進んでないのである。
「う、うるさい。俺は優秀だから、あっという間に終わるんだ!」
「ふぅーん……」
「へぇ……」
「ほー……」
年下の三人の幼体からじっと見つめられ、セーレは慌てて目をそらした。しばらく視線を彷徨わせた後、何とも言えないこの場の空気を変えようとしたのだろう。フィアの方を向いて、突然思い出したかのように言った。
「そういえば、神様。リリスの結婚式、うちの両親は呼ばれてるんだが、神様は呼ばれてんのか?」
「うん。呼ばれてるよ」
自分もシェイドもリリスの友達なのだから当然だ、とフィアは頷く。それを見てティーちゃんが羨ましそうな表情で言った。
「いいですね。私も結婚式にお呼ばれしたい……」
「僕も。行ったことがないなぁ」
ストラスとティーちゃんは羨ましいなぁといいながら、二人微笑み頷きあう。その様子に慌ててセーレが間に割り込むように大声を出した。
「お、俺も結婚式に招待されたことはない!」
「フィアも初めてだよ。楽しみだなー」
「フィアは結婚式のお手伝いもしてるんだよね? ケーキはもう作ったの?」
どうやらストラスは以前にフィアが話したことを覚えていたらしい。フィアは笑顔で頷き返した。
先日シェイドとともにアルフヘイムへ行き、アダムとイヴとともにウエディングケーキなるものを作った。大きなケーキだったから一度は失敗するかも、とシェイドは言っていたが問題なく一回目で見事なケーキが出来上がった。ホワイトチョコレートを使った、見上げる程に大きなケーキ。それを飾るのはアダムとイヴ渾身の作品であるチョコレート人形だ。出来上がったそれはフィアの手によって保存魔法をかけられて、結婚式場へ運びこまれた。あとは当日を待つだけだ。
「でもね。リリスが結婚式のヒキデモノっていうので悩んでて。自分で焼き菓子を焼こうかなぁとか言ってたの」
その言葉にセーレの顔は引きつり、口からはげっという言葉が漏れた。
「や、やめろよ。うちの両親がそんなもん持って帰ってきたら迷惑この上ない! ルシファー様が手づくり禁止の命を出されたって聞いたぞ!」
「んー。でもね、リリスは『既製品のふりしてシレっと袋の中に入れちゃえば分からないわよね』って言ってたもん……」
「なんだよ! その究極の罰ゲームみたいな引き出物!」
「罰ゲームというか外れクジというか……。フィアはリリス様を止めたの?」
ストラスの問いかけにフィアは頷く。しかしリリスは一度こうと決めたら頑固なのだ。もし説得が難しそうならば、フィアはリリスを手伝って変な味にならないよう見張るつもりである。魔界中に危険物をばら撒かれても困る。
「ヒキデモノが美味しいお菓子だったら嬉しいんだけどなぁ……」
フィアの呟きにストラスはそうだねと相槌を打ち、皿の上の何かのパイをフィアに差し出す。
「これ、僕のお父さんが焼いたの。フィアが魔界リンゴ好きだって言ってたから」
「んにゃー! 食べる!」
そういえばストラスは手土産と言って小ぶりな箱を持ってきていた。使用人に頼んで茶とともにそれを出してもらったらしい。
フィアはリンゴのパイを受け取り食べ始める。サクサクのパイと中の甘酸っぱいリンゴが良い相性だ。
美味しい、美味しいと言ってパイを食べるフィアをストラスはにこにことしながら見ている。ポロポロ零れ、フィアの頬についてしまったパイ生地を彼はそっと指で取ってくれた。
その瞬間、フィアとストラスの向かい側に座っていたティーちゃんが身を乗り出し、彼女にしては珍しい焦ったような声で叫ぶ。
「わ、私も食べる! 一個頂戴、ストラス!」
「んにゃ?」
あまり大きな声も出さず、普段おっとりとしている彼女のいつもからは想像もつかない姿にフィアは首を傾げた。だが今日彼女と初対面のストラスはそんな事を気にすることなく、笑顔で頷くと彼女にもパイを一つ差し出した。そんな二人をセーレは険しい表情で見つめている。
何だ、これはとフィアはパイを頬張りながら訝しんだ。そういえば、今日ここに来て、ストラスをティーちゃんに紹介してからというものティーちゃんとセーレは何か様子がおかしい。
セーレとティーちゃんのどちらともストラスは初対面であり、フィアはここに来て一番最初にしたことは二人に彼を紹介することだ。その時、ティーちゃんは少し赤い顔でじっとストラスを見つめ、そんな彼女の姿に面白くなさそうな顔をしたセーレは『なーんだ。フツーの見た目だな』などと失礼なことを言っていた。すると驚いたことにいつも大人しいティーちゃんがセーレに失礼だと注意したのだ。フィアよりも早く。
流石にこれにはフィアも驚いた。セーレに至っては衝撃のあまり、口をポカンと開けたまま彼女の顔を凝視していたくらいだ。普段ティーちゃんは恥ずかしがり屋なところもあり、口数もさほど多くない。そんな彼女が年上であるセーレに注意するなんて普段では考えられない事である。
その後、座って勉強を始めようとなった時にもまた一悶着あった。誰がどこに座るか、でである。今日は大きな机に二脚ずつ向かい合わせで椅子が置かれていた。フィアはその内の一つに何も考えることなく座ったのだが、残り三人がどこに座るかなかなか決まらなかったのだ。
いつもエアーバイク友達四人でここに遊びに来る時にはそんな事で揉めたことなどない。セーレはさっさとティーちゃんの横に座るし、他の者もそれに何かを言うことはないからだ。それが今日に限って、ティーちゃんはストラスの横に座りたいと言うし、彼女の横に座りたいセーレはそれを受け入れる訳がない。ストラスはストラスでさっさとフィアの隣に座ってしまう。仕方なくくじ引きをして、誰がどこに座るか決めたのだ。
くじ引きの結果、セーレの隣に座る事になったティーちゃんだが、ストラスの正面に座ることだけは譲らなかった。そこから更にセーレのストラスを見る目が鋭くなっている。
フィアは一つ目のパイを食べ終え、二つ目を食べ始めながら友人三人を一人一人見ていく。にこやかな笑顔でフィアを見ているストラス、ちょっと頬を赤らめて切なげな目で彼を見つめるティーちゃん、必死に彼女の気を引こうと話しかけつつストラスを睨んでいるセーレ。これはあれだろうか。フィアはリリスから以前に聞いた言葉を思い出した。
サンカクカンケイという、恋のスパイスなるものの名前を。
***
幼体四人で勉強した後、フィアは天界へ向かった。他の三人はそのままティーちゃんの部屋で遊ぶらしいが、フィアには予定が入っていたのだ。神としてやらねばならないことがある。本音を言えば皆と仲良く遊びたい。だが、仕事を投げ出して遊ぶなど出来ないことは誰よりも自分が分かっている。
そんな訳でフィアはこれから遊ぶ三人を羨みつつも、天界へとやってきた。
そして今、フィアは天界の神の城、死んだ人間の魂を洗う装置の前にいる。死んだ人間の魂は天界へと戻り、全ての記憶を洗われ真っ新な状態になってからまた生まれ変わり、再び人間界へとおりていく。
今年に入ってすぐ、先代の神が創った装置がとうとうダメになり、今フィアの目の前にあるこれは新しく自分で創ったものだ。シェイドの家にある魔界でんきで買った最新型ドラム式洗濯機とそっくりなそれはフィアによって魂洗濯機と名付けられている。今その中を光り輝く魂たちがぐるぐる回っていた。
フィアはじっとその様子を眺めていたが、背後に気配を感じ振り返った。そこにはミカエルがいた。とある件で彼に調査を頼んでいたのだが、それが終わって報告に来たらしい。
「神様」
「ミカエル、どうだった?」
「はい。神様のご指摘の通り、やはり魂が少しずつ減っています。それも二十五年前から……」
ミカエルは手に分厚い冊子を抱えていた。
「やっぱり。他に考えられなかったんだよね……」
やれやれ、とフィアはため息をついて魂洗濯機の前で立ち上がる。
天界では全ての魂がどういった人間として生き、そして死んだのかの詳細は記録していない。だが、その数だけはしっかりと把握している。人間の魂そのものには寿命はない為、何か特別な事がない限り消滅して数が減ることはないのだ。
特別な場合の最たるものは高位魔族との契約の代償に自らの魂を使い、魔族に喰われるなどして消滅する場合だ。しかし、アスタロトの話では人間の魂は美味でもなく、それを食べたところで力が上がったりすることもないから魂を代償として差し出されても魔族側には何の利もないらしい。しかも転生の際に全ての記憶を失い人格すらも洗われる以上、死後自分の魂が消滅しようとも知ったことかと考える人間も多いらしい。それゆえに代償として魂を求める魔族は減っている、と彼は言っていた。
フィアが神になってから、魔界から人間との契約書が天界へも提出されるようになっている。それを見れば確かに魂を代償とした契約は全体の中でも僅かである。
それにも関わらず明らかに人間の魂が減っている。それも二十五年からだ。
今回フィアがミカエルに魂の数を詳しく調べさせたのは理由があった。二十五年前の原初のエルフが起こした世界崩壊の危機の騒動で生み出され、世界中に出没している出来損ないエルフたち。その出来損ないが倒しても倒しても全滅しないことから、何らかの手段によって増殖しているのだろうと常々言われていた。ある程度の知能はあるようだが、自我があるとは思えない出来損ない達がどうやって増えているのかは大きな謎であった。だがつい先日、出来損ない達について研究をしているエルヴァンが大きな発見をしたのだ。
出来ない達は他の生命の上に、エルフの持つ創造の力を使って自分たちの姿を上書きし、他者の命を乗っ取る形で己と全く同じ者を創り出している、という事を。
そこで問題になったのは、他の生命とは具体的に何を使っているのかということだ。エルフはフィアや高位魔族と同じように寿命のない存在だ。そのコピーを創るのには肉の器を持つ有限の生命である人間では基盤となりえない。だが高位魔族の中に、人間界へ行って行方不明になった者はいなかった。
そこでフィアは人間の魂そのものを出来損ない達が利用しているのではないかと考えたのだ。人間の魂そのものは寿命がない。寿命のないエルフの生命を上書き出来るだろう。
フィアは少し考えて顔をあげた。ミカエルと目が合う。
「ねえねえ。でもね、ミカエル。出来損ない達が生まれ変わる為天界へと向かってくる魂を捕まえることなんて出来るのかな?」
「あれらは元々神様のお力と、世界から吸い上げた力、その二つを用いて忌まわしい原初のエルフが創った存在です。それを考えれば今存在する普通のエルフと多少違いがあってもおかしくありません。それに神様と世界の力の影響が及んでいるとしたら、人間の魂へと干渉出来ることもあり得ないとは言えません」
「そっか。じゃあ、人間の魂を少し変えた方が良さそうだね。他の生命を上書きされて乗っ取られないように」
「はい、俺もそう考えます。既にカイムが先代の神様が残した資料を探しております」
「うにゃー。フィアにちゃんと出来るかなぁ。魂弄るなんて……」
責任重大だ。フィアは思わずため息をこぼした。




