フィアとパン屋の少年 下
「じゃあ、行ってくるね!」
週末、先代の神によって作られた安息の日。フィアは予定通り、パン屋の息子と遊びに行くべく昼前から出かけていった。
シェイドは魔界への道を開いて消えていくフィアの後ろ姿を見送ってから、背後の柱の陰に隠れる者に声をかけた。
「行ったぞ」
「じゃあ、私たちも行きましょう!」
柱の陰からひょいっと姿を見せたのはリリスだ。彼女はフィアと同じように魔界への道を開いた。シェイドは彼女とともにフィアの後を追う。
尾行などほめられた事ではないが、これは知り合ったばかりの少年と二人で外出するというフィアの身を案じてのことだ。
シェイドとリリスは瞬く間に魔界へと出た。注意深く周囲を見渡す。すぐにフィアは見つかった。
「勇者様、そんな所でキョロキョロしてたら神様に見つかっちゃうわ」
シェイドはリリスによって物陰に引っ張り込まれる。二人はそこから少し先にある赤い屋根の店舗に入っていくフィアを見守った。
「パン屋さん?」
小声で問いかけるリリスにシェイドは頷き返す。フィアの話ではストラスという少年の家に行き、二人で街を見てまわる予定だというから間も無く出てくるだろう。
厳しい表情でパン屋の扉を見つめていたシェイドは、朝リリスが家に来てから気になっていたことを尋ねた。
「ところでリリス。その格好は?」
今日のリリスは帽子にサングラス、さらにマスクまでして全身黒ずくめだ。こう言ってはなんだが……正直怪しい。
「嫌だ、勇者様ったら。尾行の為の格好よ」
「そ、そうか……」
「安心して。私は尾行得意だもの」
何故そんな事が得意なのか不思議だが、それは聞かない方が良さそうだ。それにそんな事を話し込んでフィアたちを見逃したら困る。シェイドはそう考え、今日は店休日らしいパン屋からフィアと少年が出てくるのを待った。
少ししてパン屋の扉が内から開かれた。フィアと同じくらいの年頃の少年、そして二人を見送る大人の男がそこから姿を現す。
「お……」
「出てきましたね」
フィアとストラスと思われる少年は見送っている男に手を振って、二人で大通りに向かって歩き出した。シェイドとリリスがいる方向とは逆方向に。
「行きましょう。気づかれないように気をつけて。勇者様?」
「り、リリス。二人は手を繋いでるぞ……」
「あら、本当。ふふ、可愛らしいカップル」
「か、か、カップル?」
「ほら、勇者様。見失いますよ!」
シェイドはぐいぐいとリリスに引っ張られ、二人の後を追い歩き始めた。話し込んでいる二人は背後の追跡者に気づかない。だが万が一のことを考え、見失わない程度に距離をとりつつ尾行する。
「何を話してるんだ?」
「うーん。マレンジャーの話、かしら? あら、二人が立ち止まりましたね」
さっとシェイドとリリスは物陰に隠れ、飲食店と思われる店舗の前で立ち止まった二人を見守る。フィアはストラスに何か言いながら、店舗の前に飾られている物を指差している。
「くそっ、何て言ってるか聞こえない」
身を乗り出し覗き込むシェイドを慌てて引っ張りながらリリスは言った。
「ここは私に任せて」
「大丈夫なのか?」
「ええ。ちょっと魔法を使えば……」
***
フィアはストラスと一緒に大通りに来ていた。いつもは素通りすることの多いここを二人でゆっくり見ていく。
「お店一杯だね」
「うん。ここが魔界で一番栄えてる商店街だって父さんが言ってた」
「うーん。あ、あれ……」
とある物が目に入り、フィアは立ち止まる。ストラスも立ち止まり、繋いでいないほうの手でフィアが指差した物を見て頷いた。
「あれは食べ物……あのお店で出してる料理の模型だよ」
「模型?」
「うん。ショクヒンサンプルって言うんだって。偽物だから食べられないよ」
「うにゃー、本物みたい……」
二人は手を繋いだまま、『本日の日替わりランチ カレーライス』という看板と一緒に店頭に飾られているそれに近づいた。近づけば全くカレーの香りがしないことからも偽物と分かるが、遠くからだと本物のように見えるとフィアは思った。
「あっちのお店にはもっと一杯ショクヒンサンプルがあるよ。見てみる?」
「うん!」
二人は少し先にある喫茶店の前まで歩いて行った。そこのガラスケースの中にはショクヒンサンプルがいくつも並んでいる。商品名と値段を書かれたプレートが一つ一つに添えられていた。その中の一つにフィアの目が釘付けになった。
「見て見て! あれ、フォークが宙に浮いてるよ!」
「うん。僕も初めて見た時びっくりしたよ」
ストラスはもう何度も見ているのだろう。興奮するフィアとは対照的に落ち着いている。
「凄いねー。これ保存魔法でもないんだよね?」
「そう。えーっと何で作られてるんだったかな……。前に父さんに聞いたことがあるんだけど……。ごめんね、忘れちゃった」
申し訳なさそうな彼にフィアは笑顔で首を横に振った。別にこれが何で出来てるか分からなくてもいいのだ。こんなものを作ることが出来るというだけで凄いと思う。
「うーん。いいなぁ。フィアもこれ欲しいなぁ。チョコレートパフェのとかお部屋に欲しい!」
「フィアはチョコレート好きだね」
「うん! カラアゲもヤキソバもココアも好きだけど、一番好きなのはチョコレートだよ! フィアのお家はお菓子屋さんだからいつでもチョコレートが食べられるんだよ」
「へー。いいなぁ」
「フィア、大人になったらお菓子屋さんと結婚しようかなぁ」
ふと先日リリスに聞かれたどんな相手と結婚したいかという問いを思い出して言った。自分は神様だからお菓子屋さんを本業には出来ないが、結婚相手がお菓子屋さんだったら今と同じような生活が出来るだろう。
すると今まで並んで目の前のショーケースを眺めていたストラスが慌ててフィアの方を向く気配がした。つられてフィアもショーケースから彼へと向き直る。
「なあに?」
「お菓子屋さん……」
「うん」
「パ、パン屋もチョコレートのパンあるよ! 菓子パンだけじゃなくてヤキソバパンもあるし、カラアゲでサンドイッチだって作れる! ほら、フィアはメロンパンのクッキー生地の部分好きだよね?」
「菓子パン……ヤキソバパン、カラアゲ……。うん、パン屋さんもいいかも」
フィアは真剣な顔で頷いた。何故かストラスはほっとした顔をしている。
その時フィアの耳に『結婚なんて千年早い!』というシェイドの声が飛び込んだ。
「うにゃっ!」
ここにいるはずのない彼の声が聞こえてきたことにフィアは驚き、思わず飛び上がる。慌てて周囲をキョロキョロと見回した。だがシェイドの姿はない。
「ど、どうしたの?」
「シェイドの声が……。うーん、気のせいかな……」
まさか人間界にいるはずの彼がここにいる訳がない。自分にそう言い聞かせフィアは頷いた。心配そうに自分を見つめているストラスに笑いかけ、今日のお目当ての店に行こうと促す。
今日二人は街を見て回るだけでなく、行きたいと思っていた店があった。そのために二人ともちゃんとお小遣いを持って昼前に待ち合わせしたのである。
「ストラス、行こう!」
「魔界バーガー、混んでないといいなぁ」
二人はまた手を繋ぎ、歩き出す。このすぐ近くにあり、最近話題になっている魔界バーガーへ行くために。
***
「リリス、あいつはフィアのことを狙ってるに違いない」
シェイドはお子様二人からは死角になる席にリリスと座り、ハンバーガー片手に言った。彼の鋭い視線は向かい合って座り仲良く『幼体ニコニコセット』を食べている二人へと定期的に向けられている。
リリスはポテトを摘みつつ、頷いた。
「ええ。初恋って感じ。素敵ね。って、やだ。勇者様、そんな怖い顔して」
「初恋だけならまだいいが。さっきの結婚って何だ? 早すぎるぞ!」
「勇者様、声が大きいわ」
シェイドは慌てて二人の方を伺った。大丈夫、気づかれていないようだ。二人は話し込んでいる。
じっと二人を見ていると幼体バーガーを食べていたフィアが慌ててバーガーをトレイに置いた。どうやらバーガーのソースが零れたらしい。手に赤いそれが付いている。ストラスが紙ナプキンを取り、おたおたするフィアの手を綺麗に拭いてやっていた。
「いいわねぇ……。私も彼と二人で来て、わざとソースこぼそうかしら……」
リリスは幼体二人をうっとりとした目で見ながら言うが、シェイドは何やら面白くない。むすっとして手にしたバーガーにかぶりつく。そんなシェイドに構うことなく、リリスは二人を眺めている。
リリスの『盗聴魔法』とやらのおかげで離れていても二人の会話は聞き取れた。シェイドはフィアたちに背中を向けたまま、彼らの話に耳を傾けていた。二人は最近読んだ本の話やマレンジャーの話をしていた。一通り話し終わり、会話が途切れたところでフィアが言いづらそうに『言わなければならないことがある』とストラスに切り出した。
シェイドは食べかけのバーガーをトレイに置き、口元を紙ナプキンで拭ってから彼ら二人の方を見た。フィアは緊張した面持ちでストラスを見つめている。ストラスの方は一体何だといった不思議そうな表情でフィアを見返していた。
とうとう彼女は自分の正体を告げるつもりらしい。シェイドとリリスが陰から見守る中、フィアは恐る恐るといった感じで自分のことを彼に話し始める。自分は神だ、と告げたフィアにストラスはあっさりと頷き言った。『ドキドキクッキングをいつも見ているから知っている』と。
驚き目をまん丸にするフィアにストラスは慌てて説明している。曰く、アスタロトに紹介されてから実家のパン屋には有名人の客が増えたが、父親から客本人が名乗らない限りその素性について知らぬ顔をしろと言われている、と。
「まあ、そんなとこだろうと思ったが……」
「あら、勇者様。面白くなさそうな顔して。酷い人ね」
からかうようにリリスが言った言葉にシェイドは慌てて言い返した。
「べ、別にそんなことはない! あ、あの少年がこれからも今まで同様フィアと仲良くしてくれるようで良かったと思っている!」
『これからも仲良くしてね』と言って、仲良く頷きあう幼体二人を僅かに苦々しく思いながらもそう言ったシェイドをリリスは笑った。
「まあ、凄い棒読み」
「へーへー。どうせ俺は大根役者ですよ……」
フィアにとってはとても良いことなのだろう。だがシェイドは何とも複雑な思いである。
ふとルシファーがヴァレンタインの時に言った言葉を思い出す。実子が男で良かったな、というあの言葉は正しかったのかもしれない。ヴァイスは男だったからその手の心配は全くなかったが、これが娘だったら気が気でないだろう。シェイドは娘を持つ世のお父さん達を心から尊敬した。
「非常に、ひじょーーにムカムカするんだが……。でもこれで良いんだよな。むしろ喜ぶべきことだろう」
「勇者様?」
「いや。あのクソガキ……失礼、坊やが大人になってもフィアのことが好きで、異性として見るかは分からないけど。ああやって神様としてじゃなく彼女を見て、接してくれる者がいるっていうのは救いになるだろう。別に、フィアを神様として見て、接する者たちが悪いって意味じゃないぞ。そうする者たちは彼らなりの神という存在に対しての敬意があるから」
「そうですね……」
「俺もただの人間だから。いつまでとフィアと一緒には生きられない。いずれ別れは必ずくる。その時に後を心配せずに逝くことが出来るなら……それはとても良いことなんだ」
後何十年かは分からないが、その時も今とたいして変わらぬ姿であろうフィアを置いていくことを考えると胸が痛んだ。
「勇者様……」
リリスが気遣わしげな表情でシェイドを見つめている。そんな彼女につとめて明るくシェイドは言った。
「ま、でも。やっぱり……ものすごくムカムカするんだがな!」
***
その翌日、フィアとシェイドはアルフヘイムに住むアダムとイヴの元を訪れていた。勿論リリスのウエディングケーキを作るためだ。今日ケーキを作ってみて、上手くいけば保存魔法をかけて結婚式場に届けて保管してもらい、失敗すればまた日を改めて作ろうという話になったのだ。
フィアはシェイドの隣で踏み台に乗り、上機嫌で作業を行っている。
「イヴー。折角だから、ホワイトチョコレートでケーキつくろう!」
「はい、神様。アダムがチョコレートで人形を作り、ケーキに飾りつけようと申しています」
「いいね!」
「ちょっ、ちょっと待て!」
シェイドの制止にフィアは首を傾げた。アダムとイヴもシェイドに注目する。
「どうしたの?」
「い、いや。主役はリリスとフローレティだからな!」
その言葉にフィアがふくれっ面になり言った。
「もう、そんな事分かってるよ!」
お前じゃなくてアダムとイヴに言ったんだ、と思いながらシェイドはため息をつく。神への忠誠心にあふれるチョコレート人間たちは、主役二人のチョコレート人形よりフィアのチョコレート人形を作りそうだからだ。ちなみに自分の結婚式のときがそうだった。特大ケーキのてっぺんにはチョコレート製の大きなフィア人形。もはや誰が主役か分からない。
「ほら、フィア。さぼってると終わらないぞ」
「はーい」
シェイドの言葉にフィアは作業を再開する。手を動かしながら彼女が語るのは昨日ストラスとどこへ行き、何をしたかについてだ。まさか見ていたとは言えないので、シェイドは適度に質問しつつ、相槌をうつ。
「あのね。フィアね。安心したし、すごく嬉しかったんだ」
「……何が?」
「うーんとね。うまく言えないんだけど……神様だってこと知ってても、ただのフィアだって受け入れてくれてることが。シェイドと初めて会った時のこと思い出して、あの時と一緒だって嬉しくなったんだ!」
「初めて会った時……?」
シェイドは二十年以上も前のことを思い出そうとした。討伐を頼まれ、ハルピュイアのとんでもない大群に襲われていた時。突然現れて魔法で助けてくれたのが二人の出会いだった。
怪訝そうな表情のシェイドにフィアは笑顔で言った。
「フィアあの時、まだ自分が何か知らなくて、魔族とエルフのハーフだって思ってた」
「そうだな」
「だからね、シェイドに……それも魔族と戦う勇者のシェイドに魔族とのハーフだって言って、敵視もされず、あっさりと自分の存在を受け入れてもらえたことが凄いことだと思ってたんだ。魔族の血のせいで誰からも受け入れられないと思ってたのに。何でもないことにみたいに、フィアが普通の子どもみたいに受け入れてくれたことが嬉しかった。それと同じだと思ったんだよ!」
いつか必ず自分たち二人に訪れる別れ。お前のことが心配だ、とは思っていても言うことができない。
言えば、きっとこの幼い子どもは心の痛みをこらえ、大丈夫だと笑うだろう。
そんな無理はさせたくない。
だからシェイドは笑顔で自分に話しかけるフィアに同じように笑い返す。
「そうか」
「うん。だからね、あの時からシェイドはフィアの特別なんだ!」
その言葉にシェイドは心の中でストラスにお前は特別二号だ、一号は自分だと言ってやった。これ位は許されるだろう。
そしてフィアに微笑んだ。
「ありがとう、フィア」
【番外編 フィアとパン屋の少年 完】




