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神様と元勇者のお菓子屋さん  作者: 魔法使い
番外編 フィアとパン屋の少年
54/81

フィアとパン屋の少年 上

 コキュートス、ルシファーの城の城下町。フィアはある店の前に立っていた。


「いい匂い……」


 匂いにつられてやって来たその場所はパン屋のようだ。焼きたてのパンの良い香りが食欲をそそる。

 フィアはじっとショーウィンドウから店内を覗いた。店内にはパンをのせたトレイがいくつも並んでいる。

 そういえば最近パンを食べていない。シェイドの家では主食はイネノミを炊いたご飯なのだ。

 フィアは少し考え、そろそろと店の扉を開いた。来客を告げるベルがなる。店の中に足を踏み入れたその時、カウンターの奥から店主だろうか、一人の男性が出てきた。


「いらっしゃいませ」


 その姿にフィアは驚いた。出てきた男は高位魔族である。

 魔界では高位魔族の殆どがコームインとやらになり、各魔王の元で働いている。そうでない者はリリスやモラクスの様に芸能活動など特殊な仕事についたりする。ジエイギョーの者もいるが会社を立ち上げ、低位魔族を雇っている者が大半だ。雇われる側になる者でも管理職が多い。

 だから今現れた男のように小さな商店を営んでいたり、そこに雇われたりする高位魔族は珍しい。

 まじまじと見つめるフィアの視線に気づいたのだろう。人の良さそうな笑みを浮かべた彼は問いかけるように首を傾げる。フィアは慌ててぴょこんと頭を下げた。


「こんにちは」

「はい、こんにちは。今日はおつかいかな?」


 どうやらこの男はフィアの正体を知らないらしい。


「ううん。違うよ。美味しそうな匂いがしたから……一個だけ買って帰ろうと思ったんだ!」


 フィアはキョロキョロと店内を見回した。とあるトレイにその視線は釘付けになる。商品名の横に『魔界で話題のメロンパン。アスタロト様お墨付き』と書かれた紙が貼られていた。


「メロンパン……?」


 トコトコとそのトレイが置いてある棚の前にまで歩いて行き、じっとそのパンを見つめた。丸いそのパンからは甘い香りが漂う。トレイの上にはメロンパンは一つしか残っていない。


「それはうちの一番人気だよ。今日はそれで最後」

「……フィア、これにする!」


 一個しかないがシェイドと半分こすれば良いのだ。おやつにちょうどいい。フィアはメロンパンを買うことに決め、店の入り口に置いてあった買うものを載せるトレイとトングを手に取る。背伸びしてメロンパンをトングで掴もうとしたら、慌てて男がフィアに駆けより、代わりにメロンパンをとってくれた。

 支払いを済ませ、パンの入った包みを受け取る。


「ありがとう。今後もご贔屓に。……お嬢さん、幾つかな?」

「フィアは六歳だよ」

「じゃあウチの息子とあんまり変わらない歳だな」

「息子?」

「ああ、俺にも子どもがいるんだ。男の子で十二歳。今ちょっと出かけてていないんだが、もし良かったら仲良くしてやって欲しい。同じ年頃の子が近くにいないんだ」


 ほうほうとフィアは頷く。これはその男の子とやらも自分の友人たちに紹介して仲良くなるべきであろう。


「うん。フィアまた来る! ここおじさんのお店?」

「そう。俺と嫁さんと二人でやってる」

「ふぅーん。高位魔族では珍しいね」

「俺はパンが好きなんだ! 公務員や会社員は性に合わん! パンこそ全て!」

「う、うにゃっ! そ、そうなんだ……」


 突然パンへの熱い愛を語り始めた店主にフィアは一歩後ずさり、うんうんと引きつった顔で頷いた。

 なんだろう。これはゼムリヤの農業に対する思い入れと似ている気がする。のめり込んだら一筋の性格なのかもしれない。

 散々パンへの愛を語られた後、フィアはオマケと言ってチョココロネというパンを一つもらい店を出た。もう一度店を振り返ると看板には『サレオスのパン屋』と書いてある。どうやらあの店主はサレオスという名のようだ。

 フィアはメロンパンとチョココロネが入った袋を抱え、人間界への道を開いた。瞬く間にシェイドと暮らす家の前に出る。戸を開けて家に入ったら、すぐそこにシェイドがいた。


「ただいまー」

「おかえり」


 フィアは靴を脱いで家にあがる。帳簿を手にしたシェイドも同じように家にあがった。フィアは手にしたパンの包みを彼に見せ、笑顔で言った。


「お土産!」

「お土産?」

「うん。パンだよ! 美味しそうだったから買ったんだ。おやつに食べる!」

「そういえば、そろそろおやつの時間だな」

「半分こ! 半分こ!」


 パンの包みを掲げて主張するフィアにシェイドははいはいと笑うと店番くんの頭をぽんと叩いた。店番くんが立ち上がり、いつもシェイドの座っている場所に座る。シェイドも休憩にすることにしたらしい。

 二人は店先から茶の間に移動し、コタツに足を入れる。かなり春が近づいて来たとはいえ、まだ寒い。シェイドがお茶を入れる間、フィアはパンの包みを開いた。チョココロネとメロンパンを半分ずつに割る。


「はい、フィアのお茶」

「ありがとう。これシェイドの分だよ。こっちのがメロンパン、こっちがチョココロネだよ!」


 早速とばかりにフィアはメロンパンを手にする。半分に割った断面を見る限り中は普通のパンのようだが、表面は格子状の模様のようなものがつけてあり触った感じも普通のパンとは違った。そっと一口ぶんちぎって口に入れる。表面の部分はサクサクしていてお菓子のようだ。


「おいしい……」


 フィアは最初の一口を飲み込むと、今度は表面のサクサクしている部分だけをちぎって食べた。思わず笑みが浮かぶ。甘くてサクサクしているこれはクッキーのようだ、と。

 せっせと表面の部分だけ食べ続け、気づけば表面が全てはげあがってしまった。中のフワフワした部分もおいしいが、一番美味しかった表面がなくなったことにフィアは少し悲しくなった。これはサクサクしたところとフワフワしたところを交互に食べるべきだったかもしれない。


「フィア」


 向かいに座っているシェイドに声をかけられ、フィアは慌てて顔をあげた。シェイドはフィアに殆ど食べていない自分のメロンパンを差し出す。


「シェイド。いいの?」

「ああ。そっちのと交換だ」


 シェイドはフィアがすっかり表面のサクサク部分を食べてしまったメロンパンを指差した。


「ありがとう!」


 フィアはシェイドのメロンパンを受け取った。


「今度はもっといっぱい買ってこないとね」

「そうなると、中の部分があまるよなぁ……。流石に俺もそんな大量に食べられない」


 結局、メロンパンは表面の部分をフィアが全て食べ、中のフワフワした部分はシェイドが食べた。まるで役割分担のようである。

 パンを食べ終え、お茶を飲んでいると、シェイドがふと思い出したように言った。


「そういえば、フィア。リリスのウエディングケーキの話はどうなったんだ?」

「フィアが作るんだよ」


 リリスは近々結婚する。その披露宴とやらでウエディングケーキというケーキが必要らしい。最初はリリス本人が作ると言い張っていたが、周りの者たちに散々反対された結果、お祝いとしてフィアが作ることになった。お菓子作りはあまり経験がないので不安だが、今回フィアには強力な助っ人がいる。


「アダムがウエディングケーキ作ったことあるって言ってた!」

「え、ああ。俺の時か」

「だからアダムと……イヴにも手伝ってもらうんだ」


 聞いたことのない名前が出たからだろう。シェイドが訝しげな顔をする。


「イヴ?」

「うん。アダムのお嫁さんだよ」

「ま、またチョコレート人間が増えたのか……」

「そうだよ。イヴはね、ホワイトチョコレートなんだ。しかもね、喋るんだよ!」

「喋るチョコレート人間……。なあフィア、ウエディングケーキ作るの俺も手伝うよ」


 思いがけないシェイドの申し出にフィアは驚いた。だが手伝ってもらえるなら心強い。フィアは笑顔になりシェイドに頷いた。


「でもでも。どうして?」

「え、ああ。まあ……リリスには世話になってるし。イヴとやらも見てみたいし」

「そっかぁ。じゃあ、シェイドがお休みの日にアルフヘイムに行こうね!」


 きっと素晴らしいチョコレートのウエディングケーキが出来るだろう。明日リリスと会う予定のあるフィアは彼女がそれを聞いたら喜ぶだろうと思った。リリス曰く、結婚式とは一世一代のイベントらしい。

 フィアはパンの入っていた袋を見て、パン屋の店主に頼まれたことを思い出した。十二歳だという彼の息子。明日リリスと会った後に早速会いに行ってみようか、と決めた。



 ***



「ふふ、ふふふ、ふふふふ……」


 リリスはフィアの向かいに座り、身をくねらせながら笑っている。結婚を間近に控えた彼女は幸せの絶頂にいるようだ。その指には綺麗な石のついた指輪がはめられている。

 ここは前にもリリスと一緒に来たことがある魔界の喫茶店。パフェで有名な店だ。フィアは前々から、特大チョコレートパフェをおごってもらう約束をしていた。それが今日になったのである。ちなみにこれはフローレティの隠し撮りや城の中での行動を報告した謝礼だ。


「そうだ……。あのね、リリス。ウエディングケーキ、フィアとシェイドで作ることにしたよ! アダムとイヴにも手伝ってもらうんだ!」

「まあ、そうなの! 素敵ね……やっぱり私も手伝うわ!」

「う……だ、大丈夫だよ、リリス! 折角のお祝いなんだもん……」


 フィアは視線を彷徨わせながら、しどろもどろになりつつ言った。聞くところによるとウエディングケーキは新郎新婦がナイフを入れた後、招待客全員に配られるという。リリスの結婚式の招待客はフローレティがベルゼブブの補佐官であることから魔界の重鎮が多い。そんな中、リリスお手製のケーキを出したりしたらどうなることか。

 あのフローレティも人面ガトーショコラで三日三晩寝込んだのだ。魔王とて無事でいられるか分からない。ルシファーからは死んでもリリスに食べ物を作らせるなという厳命が出たと聞いている。

 シェイドとフィアの二人でもリリスの味に勝てる気はしない。きっと無理だ。


「そう? じゃあお言葉に甘えちゃおうかしら。当日を楽しみにしてるわ」


 フィアの言葉に思いのほかリリスはあっさりと頷いた。フィアはほっと胸を撫で下ろす。

 リリスは『結婚前わたしと彼の愛のメモリー』と表紙に書かれたアルバムをめくり、そこに貼られた隠し撮り写真をうっとりと眺めながら言った。


「やっぱり結婚っていいわねぇ。素敵。もう誰にも嫁き遅れなんて言わせないわ。ふふ、ふふふ……。勇者様の結婚式も素敵だったのよね」

「シェイドの?」

「ええ。途中で魔王様同士の乱闘なんかもあったけど、いいお式だった。きっと勇者様も神様がここにいたら良かったのにって思っていたと思うわ」

「むー。フィアも行きたかったなぁ。残念。だってシェイドのお嫁さんの顔も知らないんだもん」


 シェイドが言うにはフィアは一度会ったことがあるらしい。だがフィアは後にシェイドと結婚したその女性のことを覚えていなかった。


「私の家に勇者様の結婚式の時の写真があるから、今度見せてあげる!」

「うん!」

「そういえば……神様はどんな人と結婚したい?」


 フィアはチョコレートパフェのアイスクリームを掬おうとした手を止め、リリスの問いに対する答えを考える。

 結婚、結婚相手。きっと自分もいつかは結婚するのだろう。まだちっとも想像できないが、大人になればそういうことも考えるに違いない。果たしてどんな相手が良いのだろうか。

 ううむとフィアは唸った。


「うーん、うーん」

「見た目とか性格とか」


 ふとフィアの頭に昨日メロンパンを交換してくれたシェイドの姿が浮かび上がった。やはりこれしかないだろう。

 興味津々といった顔で自分を見つめるリリスへフィアは満面の笑みで言った。


「……フィア、メロンパンの上のサクサクしたところくれる人がいいなぁ」

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