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神様と元勇者のお菓子屋さん  作者: 魔法使い
番外編 神様の悩み事
53/81

神様悩み中 下

「あら……。今日は小さなお嬢さんはいらっしゃらないみたいね」


 明日孫が遊びに来るから、と菓子を買いに来た近所の老女は狭い店内を見渡した。

 小さなお嬢さんとはフィアのことだろう。シェイドはええ、と頷く。彼女が買った菓子を包みながら言った。


「ちょっとね。友達の所へ遊びに行ってますよ」


 さすがに天界で神様をやっていますとは言えないので、ごまかしておいた。


「まあ、そうなの。それは良いこと」


 シェイドが顔を上げると老女は人の良い笑みを浮かべている。


「だって、お嬢さん。こちらで暮らし始めた頃、お昼もずっとお店にいらっしゃることが多かったでしょう?」

「そういえば……そうですね」


 フィアが二十五年の眠りから覚め、ここで暮らし始めた頃を思い出す。まだ数か月前のことだ。だが、あの頃フィアはたまに天界へ神様業をしに行くくらいで、一日のほとんどをここで過ごしていた。


「小さいのにいつもお手伝いして感心、と思ってましたけど。やはり子どもらしく遊んだりする時間も大切でしょう?」

「そうだと思います」


 シェイドは頷くと包み終えたそれを彼女へと渡した。彼女はありがとうと微笑むと年の割りにしっかりとした足取りで店から出て行った。

 その背中を見送り、シェイドは傍に置いておいた読みかけの本を取り上げた。フィアがいないと家が静かである。

 最近のフィアは日中は出かけていることが多い。人間界で近所の子どもと遊ぶこともあれば、魔界に行くことも多い。今や彼女が魔界に行くのはドキドキクッキングの収録のためだけではないのだ。

 仲良くなったリリスに誘われ食事やお茶をしたり、エアーバイクの免許を取る時知り合った友達と遊ぶためだったりする。日によっては、ベルゼブブの娘テイアイエルと一緒に勉強し、その後エアーバイク友達も合流して五人で遊んだりすることもある。

 店番の手伝いをすることは減ったがシェイドは別に構わないと思っている。むしろその方がいいのだ。

 今までフィアの世界はとても狭かった。親代わりのシェイドとフィアだけの世界と言っても過言ではなかっただろう。それが徐々に広がっていっている。

 夕方帰って来て、夕食を食べながら、その日あったことを嬉しそうな顔で話すフィアは神様ではなく、ただの一人の子どもだ。でもそれでいい。それこそがシェイドがフィアに与えてあげたいものだった。

 かつてシェイドは一人の人間としての幸せを諦めていた。己は勇者としてすべての人のために生きている間は戦い、やがてその中で死ぬことを覚悟していたのだ。

 しかしシェイドにも普通の、一人の人間としての幸せが与えられた。フィア本人は自分は何もしていない、と言うだろう。だが本来ならばシェイドは二十五年前に死んでいた。それを生かしたのはフィアだ。そして彼女が一度世界から姿を消した後、シェイドを世界中の権力者や神殿から守り、普通の人として生きるよう背中を押したのはミカエルやルシファーだ。だが彼らはフィアの意志を汲んだだけだと語る。

『神様の御意志だ』といつも通りの無表情で語ったミカエル、『まあ、あのお子様神様がそう言ってたぞ』とそっけなく言い放ったルシファーの姿を思い出して、シェイドは少し笑った。

 子どもらしい生活を与えてあげたい、という考えもおこがましいのかもしれない。どんどん広がる彼女の世界。それは彼女自身が築きあげたもの。シェイドが与えられるのは自分自身との関係だけなのだ。


「こうやって自立していくんだろうな」


 自分の息子のことが頭に浮かび、シェイドは呟いた。その時のことだ。


「こんにちは!」


 突然間近で明るい声が聞こえ、シェイドは慌てて顔をあげた。見ればすぐ目の前にリリスが立っている。


「うわ、リリスか。びっくりした」

「ふふ。ごめんなさい。神様は?」

「フィアは天界」

「あら、そうなの。じゃあ、これ……」


 預かってくれと少しひんやりとした箱を渡された。白い箱は軽い。中身は何だろうか、とシェイドは訝しむ。


「これは?」

「私が作ったお菓子」


 満面の笑みで言い放たれた言葉にシェイドは凍りついた。


「な……お、お菓子?」

「ええ。私の愛の味!」


 リリスはうっとりと空を見つめ、語り始めた。結婚を控え、最近花嫁修業にお菓子教室とお料理教室に仕事の合間で通っている、と。

 シェイドはそうだった、と苦々しく思った。ルシファーとベルゼブブの二人から『少子化対策』の名のもとに結婚するよう圧力をかけられたフローレティ。半ば押し付けられたようなものではないか、とシェイドは思っている。リリスは悪い奴ではない。いい奴だ。

 だが、しかし……。

 シェイドは何ともいえない気分で白い箱を見下ろした。おそらく今日お菓子教室に行ったのだろう。そこで作られたものに違いない。

 お菓子教室で作ったものだから、といって油断は禁物だ。哀れなフローレティはそれで——フィア言うところの人面ガトーショコラで三日三晩寝込んだと聞く。人間と違い病になることのない魔族。その中でも上位にいるであろうフローレティ。彼を三日三晩も寝込ませるとは、その攻撃力恐るべしだ。

 きっと人間の自分などは即死する、とシェイドは青くなった。


「な、なあ。リリス。気持ちだけでいいんだぞ!」

「私と勇者様の付き合いでそんな遠慮しないで!」

「遠慮じゃない!」

「男の人って遠慮深いのね。彼もね、結婚後は使用人と料理人を雇うから君は何もしなくてもいいって言うのよ。仕事に専念してくれって。もうっ、私ってば愛されてるわ!」

「そ、そうだな。良かったな」


 それは遠慮じゃなく、自己防衛である。

 だがシェイドはその言葉をぐっと飲みこんだ。今はこの手の中にある危険物の方が優先だ。何とかしてこれを持って帰らせねば。


「リリス。折角だからこれもフローレティにやったらどうだ?」

「大丈夫。彼の分はまた別にあるもの。じゃあ、勇者様。神様によろしくね!」

「り、リリス、待て!」


 だがシェイドの叫びも虚しく、瞬く間にリリスは目の前から消えてしまった。シェイドはがくりと肩を落とす。


「どうすんだよ、これ……」



 ***



 フィアは靴を脱ぎ捨てると家にあがった。店にはシェイドの姿がない。休憩中か食事の準備中だろう。


「シェイドー。シェイドー。ただいまー。フィア帰ったよ!」


 ぱたぱたと廊下を駆け、まずは台所を覗き込む。シェイドの姿はない。ならば茶の間か、とそちらに向かい襖を開けたら予想通り、シェイドがいた。


「シェイド?」

「ん、ああ。フィアか。おかえり」

「うん。どうしたの?」


 何かおかしい。フィアはシェイドの向かい側、いつもの自分の座る場所に座り、コタツに足をいれた。そこで始めて気づく。今までシェイドの姿で見えなかったが、彼の目の前には白い箱が置かれていた。まるでケーキ屋さんの箱のようだ。

 おやつかもしれない。フィアはじっとそれを見つめる。ちょうどおやつ時だ。


「フィア。これな……」

「うん」

「リリスが持ってきたんだ。手作りのお菓子……」


 その言葉にフィアはぱっと箱から目を逸らす。そしてそっぽを向いて、素知らぬ顔で口笛をふいた。

 関係ない、関係ない。自分はなにも聞いていない。


「フィア!」


 どこか悲痛なシェイドの叫びが聞こえる。


「フィア、これはな。リリスがお前に渡してくれって持ってきたんだ。俺がもらったものじゃない!」

「うにゃっ!」


 ぎょっとなりフィアは慌ててシェイドの方へ向き直る。シェイドは沈痛な面持ちだ。


「ふ、フィアに……」

「そうだ、フィアあてだ」


 がくりとフィアは肩を落とした。よりにもよって名指しだ。自分は関係ないなどと逃げられない。

 フィアは恐る恐る箱に手を伸ばした。それを自分の方へ引き寄せる。魔法で冷やされているのだろう。箱は僅かに冷たい。そっと箱を開ける。側面が開くようになっていた。多分ケーキだ。覚悟を決めて菓子を載せているトレイを引っ張り出す。


「ロールケーキ?」

「中はクリームとイチゴだな……」


 見る限り、とても美味しそうだ。いやイチゴはきっと美味しいに違いない……何も手を加えられていなければ。


「シェイド。ナイフ……」

「分かった。待ってろ」


 二人は二十五年前の原初のエルフとの決戦の時のような真剣な表情で頷き合った。シェイドは立ち上がり、台所へと消えた。残されたフィアはじっとロールケーキをにらんだ。

 間も無くシェイドがナイフやフォーク、皿も持って部屋に入ってきた。フィアは茶の間に用意してあるポットから二人分茶を注いだ。

 シェイドが極々薄く二人分、ロールケーキを切り分けた。皿にのせフィアに差し出す。


「これはリリスの愛の味らしい……」

「うにゃあ……」


 フィアは恐る恐るフォークを手にし、極小さく切り分けて口へ運ぶ。目をつぶり、覚悟を決めて食べた。


「う……」

「どうした!」

「あ、あまい……あますぎる……」

「そ、そうだ。イチゴだ。甘酸っぱいイチゴと一緒に食べれば……!」


 慌ててお茶を飲み、口の中をすっきりさせたフィアはシェイドがフォークを口に運ぶのを見守った。


「う、うげっ……。何でイチゴの味まで変わるんだよ!」


 先ほどのフィアのように慌てて茶を流し込むシェイドにフィアは言った。


「だってリリスだもん」

「いや、そうなんだが。フローレティ大丈夫か?」

「何が?」

「いや。あいつもう逃げられないし……。結婚から逃げるには、もはや天界にでも亡命するしかなさそうだ」

「ボーメー?」


 聞いたことのない言葉にフィアが首を傾げると、シェイドは慌てて首を横に振った。


「いや、なんでもない……。そんなことより、フィア。今日帰ってくるの早かったんだな」

「うん」


 フィアは自分がシェイドに相談するべく帰ってきたことを告げる。フォークを置くと、天界で今日ミカエルと話したこと、そしてシェイドに聞こうと思ったことを話し始めた。

 シェイドは難しい顔で口一つ挟むことなく、フィアの話を聞いていた。長い話が終わり、そこでやっとシェイドはなるほどと呟く。フィアは湯のみを持ち上げ、お茶を一口飲んだ。シェイドは黙っている。多分答えを考えているのだろう。フィアが湯のみを卓に置く音が静まり返った部屋でやけに大きく聞こえた。

 しばらくの沈黙の後、シェイドはおもむろに口を開いた。


「フィアはルシファーみたいに統治者になるつもりはないんだろ?」

「トーチシャ?」

「え、あー、うん。ルシファーとかベルゼブブみたいに人間界の王様みたいなことをするつもりはないんだろ?」

「うん。フィアは世界を見守るんだよ」


 フィアは力強く頷いた。

 神の力で整えるべきところは整え、あとは見守るつもりだ。魔界の魔族が人間界へ干渉することに関しては、魔界の法で取り締まっているし、ルシファーやベルゼブブが見張っている。もちろん自分もそれを一緒に見張るが、魔族との契約に関してはその人間の意志を優先するつもりだ。何故ならば契約の内容についても、魔界では細かく取り決めがある。それはもう事細かに、契約のせいで世界が滅びぬように。

 世界の存続、それを望むのは天界も魔界も人間界も違いがない。


「そうか。じゃあ、フィアの考えた通りにすればいいんじゃないか。ルシファーだって、人間界に住む魔族を魔界へ移動させるのを拒みはしないだろう。それに弱肉強食とはいえ、年々魔界は住みやすくなってるって聞くぞ。低位魔族は確かに高位魔族より弱い。でも奴らは数がいる。それにルシファーもベルゼブブも彼らから税金もらってるんだから、適当には扱えない」

「ゼーキン?」

「うん。ほら魔界の住人からお金集めてるんだよ」


 ほうほうとフィアは頷いた。ルシファーがそんなことをしているとは知らなかった。今度ベルゼブブにでも聞いてみようと心に決める。


「それで、人間界の方なんだが……」

「うん」


 そうだ、その話が一番重要だとフィアは居住まいを正す。


「ま、人間同士で殺し合いして滅んだとしても、それはそれで仕方ないんじゃないか」

「う?」


 どんな答えがくるのかと身構えたフィアは、思いがけないシェイドの言葉に呆気にとられる。

 まさか滅んでも仕方ない、とあっさり言うとは思わなかったのだ。彼は長きに渡り、人間を救うべく戦ってきた勇者なのだから。

 返す言葉も見つからないフィアを見て、シェイドは僅かに苦笑した。


「前の神様は俺たち人間に学習能力ってのを一応つけてくれてるんだ。それなのに、最後の一人になるまで殺しあったとしたら……それはもう仕方ない。そんな生き物だったんだ。フィアが何をしようとも、いずれ世界から消えていく運命だったんだよ。それが早いか遅いかの違いがあるだけで。俺は人間はそこまで馬鹿じゃないと思いたい。たとえ滅びかけても、そこで考え直す奴が沢山いると信じている。だから……フィアの考えた通りにすればいい」

「うん……」

「それにさ。人間が滅んでも世界は続いていくだろ。他に生き物なんて腐る程いる。もしフィアがまた人間のような生き物を創りたければ、新しく創ればいい……」

「そう、だね」


 フィアは小さく頷いた。

 しかし納得できる話だが、何故か納得したくない自分がいる。何故だろうと考えて、ああ、と気づいた。

 天界でカイムに言ったようにフィアはシェイドの魂を陰から見守るつもりだ。だが人間が滅んだら、それが全て終わってしまう。完全な別れだ。

 きっと自分はそれを恐れている。

 ふと顔をあげると、シェイドが黙り込んでしまったフィアを心配気に見ていた。


「どうした?」


 フィアはその問いかけに答えようとして、口を開きかけ、だがやめた。そして誤魔化すように微笑んだ。

 シェイドに言うべきではない。別れが辛いなんて、言うべきではないのだ。残される自分より残していく方が辛いだろう。きっと彼は罪悪感をおぼえる。


 ——その時には、その者をお前が新しく創った世界に移せばよかろう。


 突然己の内から声が聞こえて、フィアは目を見開く。この声は。


 ——ケイオス?


 フィアは口に出さず、問い返した。もちろん己の内から声が聞こえれば相手はケイオス以外にない。最近外に出てくることもなくなっていたし、基本的にケイオスからフィアに語りかけることはないから存在を半ば忘れていたのだ。


 ——お前はいずれ新しく自分でも世界を創りたいと言っていた。ならばその者の魂を別の生命に創り変えて、そこへ放り込めば良いだけ。その頃にはお前もそれくらいは出来るようになろう。その前にこの世界の愚かな人間たちが滅んでしまえば話は別だが……。


 でも、とフィアは微かに微笑んだ。それもまたシェイドの魂を縛るのではないだろうか。どうなのだろう。今のフィアにはわからなかった。

 だが、まだその結論は出さずとも良いだろう。そういう方法もある、ということだけ覚えておこう。

 時間は腐る程あるのだ。寿命はなく、神となったフィアを殺せるのはフィア本人のみ。それに人間が滅ぶという不幸な結末がやってくるかもわからないのだから。

 フィアは自分を心配そうに見つめるシェイドに頷き返した。

 そして目の前のシェイドと己のうちにいるケイオスへ向けて言った。


「ありがとう」


【番外編 完】

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