過去と現在と未来
フィアはヴェルンドに出してもらったお茶を飲み、アダムが用意してくれたチョコレートを食べていた。先ほど自分の創ったハニワも売れて上機嫌だ。
あのおじいちゃんはフィアに金貨をくれたのだ。ヴェルンドはハニワ代はフィアが受け取れば良いと言ってくれた。またちょっと貯金が増えて嬉しい。
もう免許もとったし、エアーバイクも買ったけれど将来のためにフィアはお金を貯めているのだ。この貯金はシェイドの老後とやらの為である。近所のおばさん達が言っていたのだ。お年寄りになってネタキリとやらになったらお世話が大変だ、と。だからその時の為に備えておかねばならないのだ。
それをシェイドに言ったとき、彼本人は複雑そうな表情をしていたけれど……何故だろうか。もしかしたらお年寄りになった時の事を考えたくないのかもしれない。
「フィア」
小部屋の扉が開き、ヴェルンドが入って来た。フィアとアダムが彼に顔を向ける。どうやら彼一人のようだ。
シェイドは今あのおじいちゃんとお話中である。あの人はシェイドのお嫁さんのお父さんらしい。フィアも二十五年前に一度会ったことがあるそうだが、記憶になかった。
「なあに?」
「話があるんだけど。いいかな」
もしかしたら自分と同じことを彼は話したいのかもしれない。
フィアはそう考え、頷き返した。きっと今自分は顔が強張っている。目の前のヴェルンドがそうであるように。
フィアは目の前——机を挟んで向かい側の椅子に彼が腰掛けるのを見ながら、大丈夫大丈夫と自分に言い聞かせた。机の下でこっそり隣のアダムの手を握りしめる。
「フィアと彼女はどういう関係なのかな。君は彼女の記憶を持っているみたい……だけど。でも君は神の力も持っている。僕には君がどういう存在なのか分からない」
ちなみにフィアは彼女の記憶を全て持っているわけではない。むしろ殆ど持っていない。断片的にいくつかの記憶を夢で見たくらいである。
フィアはじっとこちらを見つめるヴェルンドに向かって、話し始めた。己の出生に関する長く忌まわしい話を。
ヴェルンドはフィアが話す間ずっと黙って聞いていた。もしかしたら疑問や分かりづらいところもあったかもしれない。だが彼は一言も口を挟まなかった。
ただ俯いて、机の上で組み合わせた己の両手を見つめていた。表情すらフィアには見えなかったから、彼が何を思っているかも分からない。
長い話を話し終え、フィアはお茶を飲み、喉を潤した。
ヴェルンドは黙っている。
彼は彼女が死んでいるのは分かっていた。でもその生命がバラバラにされて誰かの物になっている、というのは想像もしていなかっただろう。
「ヴェルンド。フィアのこと恨んでいいよ。ヴェルンドにはその権利があるもん。フィア何も言い訳しない。でも、ごめんね。フィアも生きていたい。だからもし……ヴェルンドがフィアに死んで欲しいって思うなら、それには抵抗する」
「君が死んでも彼女はもう戻らない」
ヴェルンドは俯いたまま、フィアの顔を見ることなく言った。
「……そうだね。フィアは犠牲になった人の分も生きて、神様として頑張るって決めたんだ。フィアね、自分の生命が他の人の生命を喰い物にしているものだって、ちゃんとわかってるし、忘れるつもりもない」
フィアの言葉にヴェルンドは頷いたらしい。項垂れた彼の頭が小さく動いた。
それを見て、話し合いはもう終了だと悟ったフィアは立ち上がる。隣の椅子に座っていたアダムも立ち上がった。
部屋の扉へと歩き、それを開く前にヴェルンドを振り返る。きっと自分が彼と会うことは、もう二度とない。
「さよなら、ヴェルンド。フィアね、ヴェルンドがいなかったらあの人に殺されてたと思う。ルシファーはそんな事はあり得ないって言ってたけど。でも、それだけじゃない。ヴェルンドがフィアに色々教えてくれなかったら、フィアは誰からも何の知識も与えられなかった。だから許せないことも一杯あるけど、感謝もしてる。……ありがとう。さよなら」
***
フィアはシェイドと二人でアダムと向かい合っていた。
夕方にはちょっと早いがアルフヘイムを出発するのだ。元々ここで宿をとるつもりはなかったのである。工房体験をしたから少し出発が遅れてしまった。
「アダム、また来るからね」
アダムはまたチョコレートの涙を流しながら何度も頷いている。その姿を見てフィアはもっと定期的にアダムに会いに来るべきかもしれない、と思った。アルフヘイムに住むエルフの幼体たちとアダムは仲良しのようだが、故郷である天界から離れて暮らすのは寂しいだろう。
——アダムにお嫁さんを創ってあげるべきだろうか。
ううむとフィアは首を傾げる。
「どうした、フィア?」
「んにゃっ!」
アダムのお嫁さん作戦を考え込んでいたフィアは飛び上がった。
「な、何でもないもん!」
「本当か?」
「うん」
「ふーん。じゃあ、いいけど。ところでフィア行きたいところがあるって言ってたな」
シェイドの確認にフィアは頷いた。行きたい所は沢山ある。ヴァイスの所、シェイドはここ何年もあってないというルクスのいるウァティカヌス、二十五年前に消えてフィアがいなくなった後に元の場所に戻ったという砂漠の国の王都……そして二人が初めて会ったクレーテ山にも行きたい。でもヴェルンドと話した今、最初にシェイドと行きたい場所はあの場所だ。
「じゃあ、行くか」
「うん、またねアダム!」
フィアはアダムに手を振ると転移を開始した。二十八年前のあの場所に。
二人が転移で現れたのは比較的大きな村の入り口だ。しっかりと出来損ないエルフを防ぐ魔道具が村の入り口に設置されている。
シェイドは周囲の見渡した。
「ここは?」
シェイドは何故フィアがここに来たかったのか分からないのだろう。それはそうだ。フィアはどこに行くとも告げてない。そして目の前にあるのはいかにも長閑な普通の村である。
だが二十八年前のこの場所の惨状を見ているフィアは村の様子に驚いた。ここはフィアが訪れた時、魔物に襲われて無人であり、廃墟がぽつぽつと残されていた位だった。
二人は村に入る。旅人がよく訪れるのだろう。村にはこじんまりとしていたが、宿があった。二人は今日はここに泊まることに決めた。
だがまだ日が暮れるまで時間がある。フィアはシェイドに頼んで、行きたかった場所に今から行くことにした。
二人で宿を出て、村の裏手の山に登っていく。この小さな山の上にフィアが三歳まで暮らした小屋がある。フィアは山道を登りながらシェイドにぽつぽつと三歳で家を出た時の話をした。まるで記憶を遡るように。
世間知らずな自分は、王都に行けば魔法使いとして誰かに雇ってもらえると思っていたこと。山道を下りながら獣の親子を見て心が痛んだこと。小川の近くで出会い、フィアを受け入れて連れて行ってくれた娘のこと。復活してから彼女のことが気になり調べたら、フィアと別れた後に亡くなっていたこと。
シェイドはフィアの話を黙って聞いていた。
しばらくそうやって二人は歩き続けた。徐々に薄暗くなってくる。もう夕暮れ時だ。
フィアはそろそろ着くだろうと思っているのに、なかなか小屋が見えてこない。久しぶり過ぎて自分は場所を忘れたのだろうか。きょろきょろと周囲を見渡すが、それらしき物はない。
「なあ、フィア。あれ」
シェイドが少し離れた場所を指差す。フィアは彼の指差す方向を見て首を傾げた。
小屋などないのだ。
「シェイド、何もないよ?」
立派な木が一本生えているだけだ。
「いや、あの場所。開けてて、不自然だろ?」
「お家、なくなったってこと……?」
「多分な」
フィアは木が生えている場所まで歩いた。そして周囲を見回す。確かにここだったかも知れない。
家はなくなってしまったのか。もしかしたらヴェルンドが処分したのではないか、とフィアは思った。
ふと顔を上げるとシェイドが困ったような表情を浮かべている。家がなくなってフィアが傷ついていると彼は思ったのかもしれない。
だが不思議なことにフィアは何も感じなかった。ただそうなのか、と思っただけである。きっと自分にとってあの家は失いたくないものではなかったのだ。
そう考えフィアは空を見上げた。真っ赤な夕日だ。
血のように赤い夕日にあの小屋の窓からこれと同じ光景を見たことを思い出す。自分が流していた血と同じ色。フィアにとっては忌まわしい色だった。
だが今はそんな事は感じない。
そう。全てもう終わったのだ。あれは過去だ。
フィアはそう思い、隣に立つシェイドの手を握った。そして彼を見上げる。シェイドも夕日を眺めていた。赤い夕日に照らされた彼の顔には二十五年前にはなかった皺がある。自分がいない間、彼に流れた年月を表していた。
人の寿命はフィアのような存在からすれば一瞬だ。あとどれくらいこうやって一緒にいられるのか。そう考えるとフィアは寂しくなった。
「そろそろ行くか」
「うん」
フィアはもう一度、家のあった場所を振り返る。もう二度とここに来ることはないだろう。
あの日々は終わった。過去は過去として置いていく。自分は幸せな今を歩き、未来へと向かっていくのだ。
フィアはそう思うと心の中でその場所に別れを告げた。
【第六章 完】




