神と神、対決する 2
フィアたちはルシファーの先導に従い歩き出した。
既に周囲の霧は完全に晴れている。周囲を見渡せば美しい青空に緑の大地。遠くにはところどころ木立が見える。
これだけ見れば美しい場所だ。だが神であるフィアはすでにこの場所の異様さに気づいている。
ここには動物どころか虫すらいない。
もしかしたらここはアイテールの世界の元々あった一部分を切り出して創った空間なのかもしれない。そしてここを独立させる時、すでにいた生命体をどこかに移したと考えれば納得がいく。
フィアは歩き始めてすぐに先ほど自分が推測したこの空間の正体について話した。もはや全員ため息しか出ない中、とりあえずルシファーの言う気配とやらに期待をして歩いている。
フィアにはルシファーの言うその気配とやらが感じられなかった。ここはルシファー頼みである。
並んで歩いているシェイドが足元を見て言った。
「さすがに素足で外歩くのはしんどいな」
「うん」
「次に誰か連れて来る時は室内でも靴履いてる奴にして欲しいな。まあ向こうからすりゃ闇の大陸の文化のほうが変わってるってことになるんだが……」
フィアも今まで生きてきた短い間で靴を履いて生活することの方が長かった。だからアンブラーで暮らし始めた頃は色々戸惑ったものだ。
でも今はその生活を満喫している。
畳は素晴らしい。ゴロゴロし放題だ。シェイドに叱られるが障子破りも襖の開け閉めも楽しい。
そして何よりも最近の一番のお気に入りはコタツだ。
フィアがコタツを思い出し早く帰りたいと呟いたその時、先導するルシファーが立ち止まった。後続のフィアたちも立ち止まる。
「あれだ」
ルシファーが指差しているそれを見た。
柔らかい草に覆われた大地。そこに淡く光を放つ青くて丸い金属のようなものが埋め込まれている。
フィアは下水道の入り口の蓋を思い出した。だがそれにしては大きすぎる。隣のシェイド——成人男性でも長身な彼二人分くらいの直径だ。
「何だ、これ。地下にでも通じてるのか?」
シェイドはその蓋らしき物に近づいて跪きまじまじと眺める。
「さあ、正体までは私には分からん」
「ルシファー様、この蓋は封印の魔法そのものと言っても良いようですね」
シェイドの横からそれをのぞいていたアザゼルの言葉にルシファーは頷いた。
そして蓋らしき物のすぐそばにいた彼ら二人を手招きして、その場から離す。
少し離れたところで彼ら三人は立ち止まる。その場にはフィアとミカエルだけが残された。
フィアはじっとその蓋らしきものを見つめ、それを見つけた。埋め込み式の取っ手だ。
その取っ手を小さな手で掴む。取っ手が持ち上がった。埋め込み式かつ折りたたみ式の取っ手であったらしい。よくよく見れば取っ手は何カ所か取り付けられていた。
そこで一度離れた場所に下がった彼らを振り返る。
何やら話し込んでいる彼らの姿にここは自分が働こうと意を決してフィアは動き始めた。
「封じられた空間の中、更に封じられた何か、か」
「さっきフィアが言ってた事がもし正しければ、アイテールの奴が消滅させたいものがこの中にあるんじゃないか?」
「ま、そう考えるのが自然だな。ルシファー様、どうされますか?」
「うーん……」
フィアは取っ手を持ち上へと引っ張る。
だが蓋らしき物は開かない。
ふとそこで思いつき、取っ手を掴んだ状態で蓋の周囲をまわり始めた。蓋を回転させるのだ。
どうやらその思いつきは正解だったらしい。ズルズルと金属同士が擦れる重たい音とともに蓋がまわり始める。
フィアは思わず笑みをこぼした。
しばらく回転させて持ち上げてみよう。
「迂闊に開けるのもなぁ……。お子様神様に魔法で探りを入れてもらってから開けるべきだ。下手に触るもんじゃ……」
「あ、いけそう! んー、重いー!」
「神様、俺がここから……」
「ん、あれ……そういやフィアが……って、フィア!」
シェイドの叫び声にすでに蓋を持ち上げる段階にきていたフィアが飛び上がる。
「うにゃっ!」
「なぁにが、『うにゃっ!』だ! 私が触るなと……」
ルシファーが何か言いかけて止まった。
フィアは蓋を持ち上げた状態のまま、ミカエルは持ち上がった蓋そのものを掴んだ状態で三人を振り返る。
一体なんだろうか。三人が話し込んでいるから代わりに自分がやってあげようと思って開けたのに。これでもけっこう頑張ったのだ。
思わずしょんぼりしてしまう。
シェイドがほろ苦い笑みをこぼし呟いた。
「フィアに触るなって言ってなかったな……」
「ああ、そうだなぁ。って、ルシファー様?」
急に黙り込んだルシファーを訝しみアザゼルが呼びかけた。
「アザゼル、感じないか?」
「何をでしょう」
「瘴気だ」
ルシファーの一言にアザゼルがはっとなる。フィアも蓋が持ち上がり僅かに開いたそこから瘴気が漏れ出してきているのに気づいた。
「そこは魔界へと通じているらしい」
ルシファーの言葉にフィアは首を傾げた。
どう見ても地下への入り口だ。この世界の魔族は地底にでも住んでいるのだろうか。もしかしたらこの中に転送の魔法でもかかっていて、それによって魔界へと行けるのかも知れないが……。
いずれにせよフィアにとっては不思議な話である。自分達の世界は先代の神の創った天球の中に人間界、至高天に天界がある。自分達にとっての魔界はその天球にくっつく形で存在する。
ルシファーが言うには天球の外側をちょっと弄って創ったのが魔界、らしい。
「では、ルシファー様。このちっこい神様の推測が正しいなら、さっきの神が滅ぼそうとしているのは魔界という事でしょうか」
アザゼルの問いかけにルシファーは頷いた。
「そうとしか考えられん」
「おい、ちょっと待てよ。そうなると俺達を呼んだのは、ここの魔界の連中か?」
「その可能性は高いが……」
ルシファーは言いよどむ。その後を引き取ってミカエルが口を開いた。そのミカエルが話す間にもフィアはよいしょよいしょと蓋を開けて行った。
「だが、空間とこの蓋という二重に封じられた中から我々を召喚出来るのならば、そもそも自力でこの封印をぶち破れる可能性の方が高くないか?」
「だが、あの神が我々を呼んだとは考えられん以上……」
「開いたー!」
完全に蓋を外し、フィアは叫ぶ。その声にフィア以外のその場の全員が話をやめ慌ててこちらを見た。
「な……」
何か言おうとして口をパクパクする彼らにフィアは断言した。
「ここで考えても仕方ないもん。行こうよ。ここが魔界を封じてる空間でフィアたちが魔族に呼び出された可能性があるなら、アイテールはフィアたちをここから出してくれない。絶対に」
「だけどなぁ、フィア。何でそう思う? 俺たちが帰れなくなる危険性を犯してまで、ここの魔族に力を貸す理由はないだろ?」
「ううん。フィアたちが力を貸すとかそういう意味じゃないよ……滅びの気配のせいだよ。この世界、滅びかけてる」
滅びの気配、という言葉にルシファーとアザゼルが表情を失った。
先ほどアイテールがこの空間から出て行くときに感じた違和感。フィアには覚えがある。二十五年前、自分達の世界が滅びかけた時に感じた違和感と同じだ。そしてこんな空間まで創って魔界を滅ぼそうとしているアイテール。もはや疑う余地もない。
ミカエルはフィアの言葉に納得したように頷いて言った。
「なるほど。それならば、説明がつきますね。我々が出入りすることでこの空間の膜が一時的にでも破られれば、この世界の滅びの気配がここまで入ってくる。そうなれば魔族たちが滅びの気配の影響を受けて、破壊の本能に支配され……世界は終わる」
「だが、ミカエル。アイテールの奴の出入りはどうなんだ? あいつだって膜を破って出入りするんじゃないか」
「いや、あの邪神は膜を破らずとも出入り出来る。なぜならば世界は神の分身のようなものだからだ」
「なるほどな。でも、この中にいる魔族が異世界の俺達を召喚できる理由は説明出来なくないか? 封印の外へ干渉する事が出来ないから、ここの連中は閉じ込められてるんだろ」
その時に何もなかったはずのフィアの肩に一羽の小鳥が突然現れた。
ケイオスだ。何時の間にかフィアの内へと戻っていたケイオスが実体化してまた現れたのだ。
おそらく何かこの場の者たちに言いたかったのだろう。内にいては話しかけられるのはフィアだけになる。
「勇者よ。お前の考えはある意味で当たっていて、ある意味においては外れている」
「どういう事だ?」
「お前たちの考えは間違っていない。確かにここから外の世界へ干渉は出来ない。だが異世界ならば別だ。あの神の封印の外へではなく、全く別の世界へ干渉しお前たちを召喚した。
まさに神アイテールにとっても盲点。この封印は外の『世界』への干渉を阻止しても、全く別の世界へ接触することを防げていないのだから。
ただ……この空間を守るあの膜はここから『出る』ことを防ぐのに長けている。だから現状、ここから神の力でも我々は帰れぬ。たとえ行く先が異世界であったとしても」
「異世界限定の片道切符か。迷惑極まりない。……そう言えば、混沌の意思よ。お前はこの世界を知っているか?」
ルシファーの問いにケイオスはあっさりと答えた。
「多少、覚えはあるな。だがここがお前たちの世界より以前にあったものか、お前たちの世界が滅んだ後に生まれたものかは分からん」
「ねえねえ。どうして? ケイオスが知ってたんなら、フィアたちの世界の前にあったんじゃないの?」
「お前たちの世界の前にこの世界を見たことがあるからと言って、この世界がお前たちの世界の前に存在したとは言い切れん。混沌とはそんなものだ」
「むー。よくわかんない」
よく分からないがそんなものと言われれば何も言えない。
フィアは諦めてぽっかりと空いた大きな穴を覗き込む。中は真っ暗で何も見えなかった。
「フィア一人の力でもあのへんてこな膜を無理やり破れるかもだけど……。ここの魔族がフィアたち呼んだなら手伝ってもらったほうがいいよ。今ここで魔法使えるのフィアだけだし。アイテールも邪魔しに来そうだもん」
「ここで考えても仕方ないな。行くか。お子様神様の言う事も一理ある。それに異世界にまで干渉出来る魔力を持つ者は限られるしな」
自分達を呼んだ相手を探すのは容易いとルシファーは説明した。
「入って出てこられなくなったらどうするんだ」
シェイドは穴を覗き込みながらルシファーに聞いた。
「ここを封じてる力はいざとなればお子様神様の力でぶち破れる」
「大丈夫だよ、シェイド! 行こうよ!」
「待て」
さっそく穴に飛び込もうとしたフィアを止める声がする。背後に突然誰のものでもない気配が現れた。
慌てて振り返ると、顔が落書きで一杯のこの世界の神アイテールである。その顔の落書きはなかなかの出来栄えだ。
フィアとミカエル以外の三人が急に俯いて肩を震わせはじめた。ミカエルは冷たい無表情でアイテールを見つめている。
フィアは自分とミカエル以外は今使いものにならなそうだと判断し、アイテールへと向かって一歩踏み出した。恐らくこれがアイテールとの最後の交渉になる。ここでこの神が自分達を外へ出すことを拒めば実力行使だ。
ミカエルではないが最悪の場合、この空間を消滅させてでもこの世界を滅ぼすことになっても帰る。
「フィア達帰りたいんだけど。ここから出して!」
「それは無理だ」
「じゃあ、その顔の落書きも消してやらないもん!」
フィアの言葉にアイテールが顔を引きつらせる。自業自得だとフィアは思う。
一体どうでるだろうかと彼の様子をうかがっていると魔力を集中させているのが分かった。これは魔法を使うつもりだ。
フィアは咄嗟にアイテールへとむかって駆け出した。そして宙に浮かぶ彼に飛びついた。あまりに思いがけない行動だったのだろう。アイテールの反応が遅れる。
その胴体部分に前から飛びついたフィアは両手両足でアイテールにしがみついている。彼の手が伸びてくるまえに、手足を動かし彼の背中へと移動した。服を引っ張られ首が締まったらしいアイテールは手を襟元にやっていた。チャンスだ。
目の前にある純白の翼。その羽根をむんずと掴む。そして思いっきり引っこ抜いた。
「いっ……よせ!」
「フィア達をここから出せ!」
「無理だと言っている!」
その間にも手は絶え間なくブチブチと羽根を抜いている。フィアは自分を引き離そうとするアイテールの手を避けながらせっせと羽根を毟った。
「このっ、つかまえたぞ!」
「はなせぇ!」
掴み上げられたフィアはぽいっと地上へ投げ捨てられる。アイテールは慌てて背中の翼のハゲ具合を確認していた。
フィアは地に叩きつけられる前に駆け寄って来たミカエルに受け止められた。
「神様、大丈夫ですか?」
「うん」
ルシファーが穴の淵から二人に叫んだ。
「行くぞ!」
フィアとミカエルが穴の淵へと駆け寄る。アザゼルがまず飛び込んだ。その次にミカエルだ。
「神様、先に入り安全を確保しておきます」
ミカエルが穴へと消えたのを見て、フィアはシェイドと二人で飛び込もうとした。そんなフィアにアイテールと睨み合っていたルシファーが声をかける。
「神と神の戦いにしては低次元だったが……よくやった!」
低次元、という言葉にひっかかりを感じながらもフィアはルシファーに頷き返し、シェイドとともに穴の中へと飛び込んだ。