第五章 おまけ
シェイドは目の前で冷や汗を流している魔界インシュアランスの営業部長と彼ににじり寄るフィアを交互に見て密かにため息をついた。
無事免許をとったフィアは当然エアーバイクを購入した。そうなると保険に入らねばならない。だから今日魔界インシュアランスの者に家にまで来てもらい契約をすることになったのだが……。
掛け金の高さにフィアは目を丸くした。そして値引き交渉とばかりに今彼ににじり寄っている訳である。
確かに提示された金額は高い。だがシェイドとしてはそれもやむを得ないと思っている。そもそも最初からわかっていたことだ。幼体向けエアーバイクの保険は普通より高い。そしてフィアは免許とりたてである。更に言うなら教習所を破壊した前科まであり、当然魔界インシュアランスはそれを知っている。
どう考えても保険料が安くなる要素は皆無だ。
「こら、フィア」
シェイドは困り果てている営業部長に助け舟を出した。フィアの両脇をがしっと掴み、彼女を自分の隣の座布団に戻す。
フィアはじたばた暴れているが、それも今だけのことだ。シェイドは背後からいざという時のために置いておいた一冊のノートを取り出す。そしてノートのとあるページを探しパラパラとめくる。すぐにそのページは見つかった。そこを開いてフィアに突きつける。
そこには免許をとる許可を与える条件が書き込まれている。一つ目は決まりを守って乗ること。二つ目は安全運転を心がけること。三つ目は人に迷惑をかけないこと。フィアの字ではっきりと書き込まれていた。
これはフィアとシェイドのお約束ノートである。
「フィア。ここを見ろ。人に迷惑をかけないこと、ってあるよな。部長さん困ってるぞ。幼体向けエアーバイクの保険が高いなんて最初から分かってただろ?」
「ううっ……」
約束の証拠とも言えるノートまで出されフィアはそれ以上何も言えなくなったらしい。黙り込む。シェイドは営業部長に頭を下げた。
「あー、すみません。色々と」
「いえいえ! とんでもない。説明の続きを宜しいでしょうか?」
シェイドが頷くと営業部長は再び保険の説明を始めた。二人は書類の文字を目で追いながら話に耳を傾ける。
「それから、違法改造車で事故を起こした場合は保険がおりませんので。ご了承ください」
「な……」
咄嗟に隣を見るとフィアが驚いている。それを見たシェイドの視線が鋭くなった。
「フィア。確認しておきたいんだが。お前、エアーバイクを改造しようなんて考えてないよな?」
「そ、そんなこと……考えてないもん」
「ほー。ならいいんだが」
フィアは青くなっていた。やはり改造を企んでいたらしい。だがシェイドは先手を打っていた。フィアの考えることなど良く分かる。既にエルヴァンにはフィアに頼まれても改造に応じないように言ってあるのだ。
二人の様子に営業部長が苦笑して言った。
「最近、幼体向けエアーバイクの違法改造車での事故が増えてますからね。くれぐれも気を付けて下さい」
「大丈夫です。改造なんて許しませんから」
シェイドはお約束ノートをフィアの前に置きながら言った。すっかりフィアは落ち込んでいる。項垂れている様子を見ると可哀想だが、ここで許してはならないのだ。本人の為にならない。神様だから何でも許されるなんてことはない。
***
「セーレ様が事故を起こしたって知ってますか?」
トシーノの質問にフィアは首を傾げた。
ここは魔界にある豚の生姜焼きで有名な料理屋豚一番。トシーノの父親の店である。
フィアは教習所で仲良くなった幼体達と一緒にエアーバイクに乗る約束をして魔界を訪れた。今はメロとトシーノの三人でお菓子をつまんでいるところだ。トシーノの父親であるハモンドが作ってくれたドーナッツは美味しい。
「知らない。セーレがいないのってそのせい?」
フィアの問いにトシーノが頷く。今回セーレも誘っているとメロから聞いていたのにいないのは事故のせいらしい。事情を知っているらしいトシーノにメロが聞いた。
「でも、事故って……早速?」
「うん」
「どうして?」
「えーっと。セーレ様、エアーバイクが納車された日に喜び勇んでアケロンドライビングスクールまで乗っていったんだって」
フィアとメロは顔をみあわせた。
一体何をしにいったのか。免許がとれ、納車もされて無事乗れるようになったことを教習所に報告しにいったのか。はたまた後輩とも言える教習生たちに自慢しようとしたのか……。
「そしたら、教習所の駐輪場で駐輪に失敗しちゃって」
「うわぁ……」
「うにゃあ……」
「しかも教官たち総出で救出されたらしいよ」
フィアもメロも顔がひきつる。
彼も高位魔族なのだから事故くらいでは死なないだろうが……よりにもよって初日に、それも教習所の敷地内で事故を起こすなんて。
「だからエアーバイク修理中で今日は来られないって」
「そっか……」
「でも、そんなんで大丈夫かなぁ。セーレ様……。『ライラとツーリングに行く』とか自慢してたけど」
メロの言葉にフィアもトシーノも首を横に振った。
絶対大丈夫じゃないだろうと思う。
「やっぱりふられるでしょうね。そういえば神様、エアーバイク改造したんですか?」
「ううん……駄目って言われたもん」
「ですよね。安全運転しましょう」
そう言うとメロはヘルメットを手に立ち上がる。フィアは壁にかけられた時計を見た。そろそろ出発の時間だ。フィアもトシーノもヘルメットを手に立ち上がった。
「そうそう。安全運転ですよ!」
トシーノにフィアは頷き返した。ゴーグルをつけ、ヘルメットをかぶる。
自分は良い子なのだ。約束はちゃんと守らないといけない。
幼体達が出かける準備を始めたのに気づいたハモンドが厨房から駆け出してきた。
「あ、そろそろですか。三人とも安全運転で」
「はーい」
三人は声を揃えて返事をし、外に出る。そして自分のエアーバイクに乗り込んだ。
「右よし、左よし、上空よし!」
「神様、言うだけじゃだめですよ!」
「目視!」
教習所でヴォランに言われたのと同じことを二人に言われフィアは頷くと、再確認した。そして三人は浮上ペダルを踏む。
「いきなりフルスロットル駄目ですよ!」
高度を上げスロットルグリップをまわそうとしたフィアは左右から二人に同じことを言われ、気を引き締めた。気を抜くとつい全開にしてしまうのだ。
「じゃあ……出発!」
三台のエアーバイクは魔界の空を駆け始めた。




