神様、ホームシック
フィアは呆然と穴のあいた校舎を見つめていた。
すぐそばでヴォランが無線で他の教官と連絡をとっている。エアーバイクが突っ込んだ教室は幸いな事に誰も使っていなかったらしい。怪我人もいないようだ。
だがそこでフィアははっと我に返る。校舎を破壊してしまったから、それを弁償することになるのではないか。そう考えフィアは青くなった。
恐る恐るヴォランに近づいた。
「神様? どうなさいました?」
「あの、あの……壊しちゃったの、弁償……」
思わず口ごもる。
果たして自分の貯金で弁償出来るだろうか。エアーバイクを買うために大切に貯めていたお金はある。しかし……。
どんどん気分が落ち込んできたフィアにヴォランが慌てて言った。
「大丈夫ですよ、神様! わざとじゃありませんし。教習所はちゃんと保険にも入ってます。魔界インシュアランスがちゃんとやってくれると思いますよ!」
その言葉にフィアが胸を撫で下ろしたその時、セーレが突然叫んだ。
「もう、嫌だ!」
フィアとヴォランは慌ててそちらを振り返った。
フィア同様に急制動に失敗しエアーバイクから投げ出されたセーレは膝を抱えて座り込んでいたはずだ。そんな彼は何時の間にか立ち上がっていた。そしてヴォランと三人の幼体に背を向け、走り去っていく。
「セーレ様!」
ヴォランが呼び止めたが振り返らない。メロとトシーノが心配そうにその背中を見送っている。
ヴォランは一つため息をつき、三人の幼体たちに言った。
「今日はここまでにしましょう」
フィア達三人は寮へ戻った。皆口数が少ない。
寮の扉を開けるとマーテルがいた。
「お帰りなさい。今日はゆっくり過ごして、明日からまた頑張りましょう」
三人は彼女の言葉に頷いた。メロとトシーノが階段をのぼっていく。フィアも二階の自室に戻ろうと階段に足をかけたが、立ち止まる。そして自分たちを見送っているマーテルの方へ向き直った。
「セーレは?」
「セーレ様はお部屋にいらっしゃいます。どうしてもご自宅に帰ると仰られて。取り乱しているようですし、ご家族に連絡しました。すぐにお母様がいらっしゃるかと」
フィアはそうかと頷き、今度こそ階段をのぼりはじめた。自分はここで投げ出して帰るつもりはない。でも今日のことをシェイドには報告しなければ。
校舎を壊したことをどうやって説明しようか。
憂鬱な気分でフィアは自室の扉を開いたのだった。
***
フィアは部屋で一人悩んだ末、昨日教えてもらったメッセージでシェイドに連絡した。通話で連絡し、声を聞いてしまったら泣きついてしまいそうな予感がしたからだ。
校舎を壊したこと、保険で何とかしてもらえそうなことだけを記したメッセージを送信する。それが終わると深々とため息をついた。
セーレではないが全て投げ出したい気持ちも少しある。今日は最初のシミュレーター講習から散々だったから、やる気と自信が木っ端微塵になったのだろう。
幼体フォンを置き、ベッドで丸くなる。じわりと涙が滲んできた。
その時、扉をノックする音が聞こえた。驚いて飛び起きる。動くことが出来ず、じっと扉を見つめていると再び扉が叩かれた。
恐る恐る扉に近づいて開けると、メロとトシーノがお菓子とジュースを手に立っている。どうしたのだろうか。
「なあに?」
「神様も落ち込んでるんじゃないかと思って……」
「一緒に美味しいお菓子食べましょう! そうしたら元気になりますよ」
ほら、と一杯抱えているお菓子を二人が見せてくれた。
そうだ。美味しいお菓子でも食べれば気持ちも明るくなるかもしれない。ついでに皆で楽しいアニメでもみよう。
フィアはそう思い、顔色をうかがっている二人に頷き返した。
「ありがとう」
二人を部屋に招き入れるとメロとトシーノは抱えたお菓子を落とさないように運び、テーブルの上にのせた。
三人は椅子に腰掛ける。メロとトシーノはそれぞれのお勧めのお菓子を教えてくれた。
「そういえば、セーレは?」
フィアの問いに二人は首を振った。
「お部屋から出てこないんです」
「そっか」
「寮母さんがお母さん呼んでるって言ってたね」
再び暗くなりかけた空気にフィアは慌てて言った。
「そういえばフィア、昨日マレンジャーのフィルム借りたんだ! 一緒に見よう!」
二人が同意してくれたので、フィアは急いでアニメフィルムをセットする。ちょうどアニメが始まったところでフィアの幼体フォンが着信音を発した。取り出してみるとシェイドからだ。それもメッセージではなく通話である。
フィアは少し迷ったが通話ボタンを押した。
「はい」
「フィア、無事か?」
「んにゃ……」
「まあ、お前はミンチになっても死にやしないって分かってるけど……ちょっとびっくりしたぞ。怪我なかったのか?」
「へいき……」
「そっか。ならいい。気をつけろよ。あと九日もあるんだから」
「うん」
口数少ないフィアにシェイドは怪我に気をつけろ、安全運転でと念押しして通話を切った。
フィアは通話が終わった後も幼体フォンを抱えたまま俯いた。その様子にメロとトシーノが恐る恐る声をかける。
「神様」
「……フィアもうお家に帰りたいよ」
我慢していた弱音を吐くとじわじわと涙が滲んでくる。もう止められなかった。
「お家に帰りたい」
涙がぼろぼろ零れてきた。それを見たメロとトシーノも涙目になっている。
「僕もお母さんに会いたい」
「私も」
泣き出したフィアにつられてメロとトシーノの泣きはじめた。二日目にしてホームシックになってしまった幼体三人は泣き声を聞きつけてマーテルが部屋に駆けつけるまで、わんわん大声をあげて泣き続けたのだった。
***
散々泣いたフィアは今借りていたアニメフィルムを返しに来ている。
フィア達はマーテルが駆けつけるまで大声で泣いていた。そんな三人が泣き止んだのは寮母であるマーテルに慰められたからではない。
幼体たちの泣き声を聞きつけて部屋にまでやって来たマーテルが扉を開き部屋を覗き込んだ。そこまでは良い。彼女は寮母なのだから。だが部屋を覗き込んだマーテルはなんと三人もいたのだ。同じ顔が三つならんでいるのに三人の幼体は度肝を抜かれた。思わず泣き止んでしまったくらいだ。
びっくりして彼女を凝視する三人の幼体にマーテルは言った。
私八つ子なんです、と。
トシーノは何かあればすぐ寮母さんが駆けつけてくれるのは八人いるからなのかと感心していた。確かにいくらマーテルが優秀だとしても、一人でこの数の幼体たちの面倒をみるのは難しいだろう。
予想もしなかった事態に涙も引っ込んだ。それに散々泣いたお陰か気分もすっきりしている。
後でシェイドに連絡して、今度こそ愚痴を聞いてもらおうとフィアは心に決めた。我慢は良くないのだ。
そう考えるとかなり気分も楽になった。
「えーっと、この辺……かな?」
フィアは元の場所へとアニメフィルムも戻す。
また新しいのを借りていこうか、と考えていると良い香りが鼻腔に飛び込んだ。思わず振り返ると笑顔のルサルカが立っている。
「こんにちは、神様」
「こんにちは……」
フィアはそういえばセーレはどうなったのだろうかと疑問に思った。
「セーレは?」
「部屋にいますよ」
「帰るって言ってたよ」
「根性なしですから。誰に似たのかしら」
どうやらセーレもここに残るらしい。
それにしてもルサルカは何の用だろうか。あえてこの部屋にまで入って来てフィアに声をかけるとは、何か用があるからとしか思えない。きっと寮の出口へと向かう途中、この部屋の前を通りがかり、部屋の中にフィアがいるのに気づいて近づいてきたのだろう。
「フィアに用?」
「神様。神様は第二世代での劣化について、どうお考えですか?」
第二世代での劣化。思わぬ言葉にフィアは困惑する。てっきりセーレの話かと思ったのに。
いや、関係ないとは言えない。おそらくルサルカはセーレのことを聞きたいのだろう。魔界で上位の実力を持つ父親とは対象的にセーレの力は弱い。
「どうって?」
「これも定められたことなのでしょうか?」
フィアは黙って考えた。正直なところ何とも言えない。フィアは神の力は持っているが、創造主とは別の存在だ。
ルサルカの疑問に正確な答えを出せるのは今は亡き創造主だけであろう。
黙っているフィアにルサルカは続けた。
「定められたことならば、それはそれで構わないの。ただ私は知りたいだけ。単にあの子が特別ならば、また別に子どもを産めばいい。でもそれが定められたことならば、私はもう子どもは産まない」
「……なんで?」
我が子が劣化なんて言われるのがかわいそうだからだろうか。だが問い返した事をフィアは後悔した。
おそらく彼女から返ってくる言葉はあまり良い返事ではない。フィアは彼女の浮かべる笑みにぞっとした。この笑みを自分は知っている。
フィアは口を開きかけた彼女の脇をすり抜け、その場を走り去った。答えを聞きたくないからではない。とある女性を思い出したからだ。
怖い、怖い、怖い。
フィアは暴走しそうな魔力を抑え込み廊下を駆け、寮を飛び出した。自分でもどこをどう走ったか分からない。気づけば教習所の中庭のような場所にいた。
目に付いたベンチに座り込む。落ち着けと自分に言い聞かせた。
あの女は死んだのだ。ずっと昔に。他の誰の手でもなく、フィア本人の手によって消滅した。
もうこの世のどこにもいない。彼女が自分を傷つけることはない、とフィアは己に言い聞かせる。
俯いているフィアの目の前に誰か立った。ゆっくりと顔を上げるとセーレがそこにいる。
「何?」
フィアの問いかけにセーレが嫌そうな顔をして答えた。
「よりにもよってあのオバサンが来たから逃げてんだよ」
「セーレは部屋にいるって言ってたよ」
「部屋にたてこもってやった!」
自慢げなセーレにフィアは呆れる。それは自慢することだろうか。
「んで、窓から脱走したって訳だ」
「フィア、ルサルカ怖い」
「だよなー。あのオバサン怖いよな」
フィアの呟きにセーレはゲラゲラ笑っている。そこは笑うところなのだろうか。
「嫌じゃないの?」
「前は嫌だったけどさー。父上が言ってた。あの人たち神様に創られてんだろ。それも俺たちみたいに幼体だった頃なんてない。だから親もいなけりゃ幼体の気持ちも分からないんだってさ。その上あのオバサンは自分の欲望で突っ走って生きてるからって」
なるほどとフィアは頷いた。そういえばルサルカとよく似ていた彼女も欲望に忠実なエルフだったと誰かが言っていた。確か原初のエルフの言葉だったと思う。
「だから俺はあのオバサンをネタにして生きてやることにした。あとは父上が反面教師だ。俺は絶対に性悪女には引っかからない!」
そう言うとセーレはポケットから取り出した写真をうっとりと眺める。横から覗き込んだらセーレと彼より少し年上であろう少女の二人の写真だ。おそらく彼女がライラだろう。
その様子を見てどうやらセーレも立ち直っているようだ、と気づく。自分も先ほどの動揺がやっと静まった。
セーレが夢中でライラについて語るのに適当な相槌をうち、ルクスに聞いた事をいくつか教えてやる。するとセーレは感動の眼差しでフィアを見て、言った。
「お前は俺の恋愛の師匠だ!」
フィアは思わず首を傾げる。恋愛とは何だろうか。
だがあまりにセーレが感動しきっているので、フィアは意味が分からないが適当に頷いておいた。




