神様、トモダチ作戦
午後一番の授業はシミュレーターを使った授業だった。
フィアは昼食後、自室で午前中に習ったことを復習し、指定された教室へと向かった。教室にはエアーバイクが並んでいる。その目前にはスクリーンだ。これを使って運転の仕方を習うのだそうだ。この講義が終われば外へ出て、実際にエアーバイクに乗る予定らしい。
「えーっと……四人揃ってますね」
ヴォランが全員揃っているのを確認し、ひとつ頷く。
「では皆さん、こちらのシミュレーターのほうに。それぞれ乗ってみてください」
フィアは言われたとおり座席に腰掛ける。足はステップの上だ。デパートの屋上にある乗り物によく似ていた。
「皆さんが足を置いているステップの右足側にあるのが浮上ペダルです。左足側は下降ペダル、これで高度を調整します」
フィアは自分の足元を確認した。確かにステップには二つペダルがある。
「まず正面パネル右側にあるスイッチを押してくださいね。これを押しただけでは動きません。次はブレーキ……」
フィアは説明された通りに起動してみた。そして浮上ペダルを踏む。高度を上げたら前進だ。
「じゃあ、皆さん。右手のスロットルグリップをまわして下さいね」
よし、発進だ。
フィアは思い切りスロットルグリップをまわした。全開である。
すると四人をそれぞれ見ていたヴォランが慌てて駆け寄って来た。
「ストップ、ストーップ!」
「んにゃ?」
フィアのエアーバイクはスクリーンの中で駆け出している。
「神様、ゆっくり元に戻して減速!」
フィアは渋々右手をゆっくり元に戻し減速する。
「いきなりフルスロットルはダメですよ。発進するときはまわりに気をつけて。危険予測の練習はまた別にやりますけど」
「はーい……」
フィアが決められた速度で順調に走っているのを確認し、ヴォランは次はセーレの元へ駆けていった。
「セーレ様はスピードをもうちょっと出してください。速度が遅過ぎるのもダメですよ」
「わ、分かってるよ!」
フィアは二つとなりでシミュレーターを使っているセーレをちらりと見た。彼は恐る恐るスロットルグリップをまわして加速している。その顔はすでに蒼白だ。
実はけっこう臆病者なのかもしれない。
そんな事を考えた瞬間、フィアのエアーバイクがガクガクと揺れる。慌ててスクリーンを見れば障害物にぶつかっている。
「神様、よそ見運転はダメですよ!」
ヴォランの注意にしょんぼりしたフィアは、視界の端でセーレがバカにしたように笑っているのに気がつき腹を立てたのであった。
シミュレーターで運転の基礎を身につけた四人はとうとう実際にエアーバイクを運転することとなった。教室から外へと出る。
今日のために買ったグローブとヘルメット、ゴーグルを身につけたフィアは他の三人とともにヴォランの前に並んでいた。
「じゃあ、これから実際に乗ってみましょう。さっき習ったことを思い出して、乗ってみてください」
フィアは背後のエアーバイクに近づき、シートに腰掛ける。
「右よし、左よし、上空よし、全部よし!」
「神様!」
いざ、とばかりに叫んだフィアにヴォランが待ったをかける。
「口で言うだけじゃダメですよ。ちゃんと目視してから、確認してからのよしです」
「はーい……」
他の子達はすでにエンジンをかけている。フィアは慌てて再度確認し、自分もエンジンをかけた。浮上ペダルを踏む。浮かび上がり、目の前のパネルに表示された高度を確認した。
さあ、今度こそ本当のエアーバイクデビューだ。
フィアは思い切りスロットルグリップをまわした。
***
フィアは疲れきって寮へ戻った。これで今日の講習は終わりだ。
フィアとセーレは二人居残りとなった。それがやっと今終わったのだ。さすがに初めての事ばかりだったから疲れてしまった。
寮の扉を開けると幼体たちで賑わっている。皆もう講習が終わり、くつろいでいるのだろう。夕食までは少し時間がある。
フィアは扉を閉めるとき後ろを振り返った。ずっと後ろからセーレが歩いてくる姿が目に入る。見るからに疲れきって、落ち込んでいるような雰囲気だ。扉を開けて待つほどの距離でなかったため、フィアはそのまま扉を閉めた。
夕食までの時間をどうしようか考える。そういえばアニメフィルムを貸し出してくれるのだった。それを見て過ごそうか。そう考えたフィアはマーテルに教えてもらった部屋へ向かう。
部屋の扉は開け放しており、廊下からでも中の様子が伺えた。部屋は広く、奥のほうにアニメフィルムや絵本がたくさん並べられている。手前のほうにはお菓子やジュースが用意されていた。
何人かの幼体がアニメやお菓子を選んでいる。フィアも一番奥のアニメフィルムの棚に向かった。
「マレンジャーだ!」
フィアがいつもテレビで見ているマレンジャーの劇場版が置いてある。これを見ようと決め、フィルムを手にした。ついでにお菓子とジュースももらっていこうと考え、アニメフィルムの棚から入り口近くへ移動しようとし立ち止まる。
フィアと同じ入校日であるゴブリンの幼体がお菓子を選んでいた。あの子は確かメロと言う名前だったはずだ。フィアよりも一つ年上の女の子である。
フィアはアニメフィルムの棚の陰から彼女の様子を伺った。これは話しかけるチャンスかもしれない。幸い自分は今、アニメフィルムを手にしている。これを一緒に見ないかと誘うのだ。二人でお菓子を選んで、自分の部屋でマレンジャーをみれば仲良くなれるかもしれない。そうしたら夜ご飯だってひとりぼっちで寂しく食べずに済むのだ。
フィアは己に勇気を出せと言い聞かせる。怖い事はなにもない。ただ一緒にこれを見ないかと誘うだけだ。
どうやって自然な感じで言葉をかけるかフィアは俯いて考える。ついでに勇気もふりしぼった。だがやっと覚悟を決めてフィアが顔をあげた時、そこにはもうメロの姿はなかった。
フィアはアニメフィルムとお菓子とジュースを手に部屋へ戻った。
部屋に戻るとリリスにプレゼントされたジャージなる部屋着に着替える。そしてテレビにフィルムをセットして、ベッドに寝そべり鑑賞し始めた。持って来たお菓子を食べ、ジュースを飲む。
シェイドに見られたら叱られそうだ。そう考えると憂鬱だった気分が更に落ち込んだ。いつもは楽しいマレンジャーもちっとも楽しくない。
その時夕食の時間にあわせてセットしておいた時計のタイマーが鳴った。フィアはアニメフィルムを停止すると立ち上がる。
これから夕食だ。またひとりぼっちで食事するのかと思うと食欲もわかない。
だがその時、フィアは一つ良い事を思いついた。急いで扉へ駆け寄り、それを細く開ける。隙間から廊下を覗いた。同じ入校日の子が通りがかるのをこうやって待てばよい。彼らがやって来たらタイミングを見計らい部屋から出る。そして挨拶して、そのまま一緒に食堂へ行くのだ。
こっそり細く開けた扉の隙間から廊下を覗いていると、頭上から声が聞こえた。
「神様、どうされました?」
「うにゃっ!」
驚いて見上げるとマーテルが廊下からフィアを困った表情で見つめている。フィアは少し悩み、そして他の子と仲よくしたいのだと打ち明ける。もしかしたらマーテルは力になってくれるかもしれない。
フィアの話を聞き終えたマーテルは一つ頷いた。
「そうですね。一緒に食事をとるのは良い考えです。ちょうどメロちゃんとトシーノ君が来ましたよ」
彼女はフィアではなく廊下の先を見ている。どうやら二人がやって来たようだ。セーレはいないらしい。
フィアが勇気を出し、扉を開けて廊下へと姿を見せる。マーテルの言葉通り、こちらへ向かって二人が歩いて来ていた。二人は怪訝な表情を浮かべ、廊下のマーテルとフィアを見比べる。
「お二人ともこれから食堂に行かれるのでしょう?」
「はい」
二人の幼体がマーテルの言葉に頷いた。マーテルがフィアの背中を励ますように軽く押す。
頑張るのだ、と自分に言い聞かせる。内臓が口から全部出て来そうなくらいドキドキした。そんな中フィアは言葉を詰まらせながらも、なんとか自分で言った。
「あにょ、あの……フィアも一緒に行っていい?」
その言葉に二人があっさり頷く。フィアはほっと胸を撫で下ろした。
そして二人と一緒に食堂へと歩き出す。食堂に入ると三人は空いている手近な席に座った。すぐに給仕の手で食事が運ばれてくる。
フィア達三人は運ばれてきた食事を見て声を上げた。
「すき焼きだ!」
小さな鍋が一人一つずつ、その中には肉がたっぷり入ったすき焼きだ。三人はさっそく箸やフォークを手に取る。
今日の講習の事などを話しながら食事をしていると、セーレが食堂に来たのが目に入った。彼は真っ直ぐフィア達が食事をしている席に近付いてきて、躊躇いもなくトシーノの隣——フィアから見れば斜め向かいに座る。フィアは思わずこういうやり方もあるのかと感心した。
彼にも食事が運ばれてくる。三人が口々に美味しいと言うなか、セーレは皮肉っぽく笑って言った。
「まあまあだな。もちろんうちの使用人が作る料理には及ばないけど」
使用人という言葉にフィアは首を傾げる。
母親のルサルカは食事を作らないのだろうか。あのお菓子作り教室で彼女はモラクスに言っていたではないか。夫や子どもに美味しい料理やお菓子を作ってやりたいと。
思わずフィアはセーレに尋ねる。
「ルサルカはお料理しないの?」
「は? あのオバサンが料理なんかするわけないだろ?」
自分の母親に『オバサン』とはどうなのか、と思ったがとりあえず置いておく。
「でも、フィアお菓子づくり教室でルサルカに会ったよ?」
フィアの言葉にセーレはやれやれとため息をつくと呆れたように言った。
「あれは良い妻、良い母親のアピールだ。家でそんなことするわけがない。それに仕事辞めて暇だし、家にずっと閉じこもってると他人にチヤホヤしてもらえないから……。そういう教室は全部外に出かける口実も兼ねてる」
「ふぅーん……」
よく分からないが、そんなものかと頷いておく。
微妙な沈黙が四人の間に流れた。空気を変えようと思ったのだろう。オークの幼体トシーノが慌てて言った。
「そういえば今日は夜に『どうぶつ摩訶不思議』があるよ!」
彼の言葉にメロが頷いた。
「あれ、面白いよね。いつも見てる!」
「どうぶつ摩訶不思議って何?」
フィアの問いに二人は驚いた顔をした。
「神様はどうぶつ摩訶不思議みたことないんですか?」
「毎週コキュートスチャンネルでやってるんですよ。動物がいっぱい出てきて、面白いんです」
「へー、知らなかった……。フィアもみたいなぁ」
「じゃあ、後で皆で一緒にみましょう!」
「私おうちから美味しいアップルティー持ってきてるから、私のお部屋でみよう!」
お友達の部屋で一緒にテレビ……楽しそうだ。二人の提案にフィアは飛びついた。
「うん、フィアも行く」
するとメロが黙っているセーレに気づき、恐る恐る尋ねた。
「セーレ様は……?」
「……俺はそんなガキっぽい番組はみない。それに今日はリンボチャンネルでライラのでるドラマをやるから、そっちをみる」
「ライラ?」
聞いたことがない名前にフィアが首を傾げる。
「おま……神様は知らないのか。ライラのこと。今魔界で人気の子役だぞ」
「うーん……」
「へー。コキュートスチャンネルで番組持ってるくらいだから知ってると思ったけど。ライラはな、俺よりちょっと年上の女の子でめちゃくちゃ可愛いんだ!」
セーレはライラという幼体女優のことを熱心に語り始める。その話でフィアはリリスからライラの話を聞いたことがあったのを思い出した。
リリス曰く『相手によって態度を変える性悪なガキ』というライラにフィアは会ったことがない。
「えーっと、セーレはライラと仲がいいの?」
フィアの問いかけにセーレは顔を赤くして答えた。
「ち、父上の関係で何度かあって話したことがあるだけだ!」
そういえばセーレの父親はリンボチャンネルの出資者だったはずだ。何度か会ったことがあるだけの相手のことを口を極めて褒めちぎる。それも見た目だけではない。内面のこと、性格までも褒めていた。
「俺は父上とは違う。上っ面に騙されて性悪な女に引っかかったりしない!」
力強く宣言する彼にフィアは既に引っかかっているのではないかと一人唸ったのであった。




