神様は合宿前で大忙し
「お菓子づくり教室?」
フィアとリリスは声を揃えて問い返した。大きな机を囲んで座っているドキドキクッキングのスタッフや司会者モラクスは頷いている。
ここはコキュートスチャンネルの社屋にある小会議室である。フィアは収録でもないのに、コキュートスチャンネルまで呼び出されていた。
「ほら、来月はヴァレンタインデーがあるでしょう?」
モラクスの言葉にリリスはああと納得したような顔になった。
「そのヴァレンタインデー前に放送する回で、私と神様がお菓子づくり教室に行くってこと?」
「そうです。教室でチョコレートの作り方を習っている姿を放送する予定です」
フィアは同じ建物内のカフェから持って来てもらったココアフロートを飲みながら、それは珍しい回だと思った。と言うのも、ドキドキクッキングは毎回フィアにもリリスにも収録が始まるまで何を作るか教えない。当然教室で習うなど、あり得ないことだった。
そんな中で今回の企画である。ヴァレンタインとは何か特別な日なのだろうか。
「ヴァレンタインってなに?」
「え、ああ。神様はご存知ないんですね。ヴァレンタインデーとは女性が好きな男性にチョコレートを贈る日なのです」
「それだけじゃなくて、普段お世話になっている人に義理チョコを渡したりもするわ」
モラクスとリリスの言葉にフィアはほうほうと頷く。その様子を見て、ディレクターが言った。
「神様は勇者殿に贈ってはどうでしょう。家族に義理チョコを渡すことも多いのですよ」
「シェイドに?」
それは良いアイディアかもしれない。日頃の感謝をこめて作ったチョコレートを贈ればシェイドも喜んでくれるだろう。
そんな事を考えているフィアの隣で、配られた資料を読んでいたリリスが首を傾げた。
「ねえ、でも……ここのところ収録のスケジュールがかなりタイトなんだけど。何かあるの?」
つい昨日も一本収録を終えたばかりだと言うリリスにディレクターが言った。
「神様が合宿に行かれる予定が出来たそうなので」
その一言でフィアはその場の者たちから注目されてしまった。
モラクスが不思議そうな顔でフィアに尋ねる。
「合宿とは?」
「んーとね。フィア、幼体向けエアーバイクの教習所に行くの!」
「ああ、あれ!」
リリスがなるほどと頷いた。前々から彼女にはエアーバイクの免許を取りたいと言っていたのだ。
フィアは長きに渡る説得の末、やっとシェイドに許可をもらったのだ。まずは説得の為、教習所のパンフレットを見せ、ともに教習所の見学に行った。それでも渋る彼を説得するため、幼体向けエアーバイクを販売している会社の営業マンに家まで来てもらい、その安全性を説明してもらった。
「合宿免許は短期間でリーズナブルにとれるって噂ですからね。神様はどこの教習所に行かれるのですか?」
「アケロンドライビングスクールにしたんだ」
フィアの言葉にモラクスがおやという顔をした。きっと彼はフィアがコキュートスにある教習所に行くのだと思っていたのだろう。
フィアが合宿に参加するアケロンドライビングスクールは魔界の第一層にある。高位魔族たちはあまり第一層には行かず、そこにいる殆どが低位魔族たちだ。
「モラクスさん、最近アケロンドライビングスクールはかなり気合いを入れてるんですよ」
「ディレクター、何か知ってるんですか?」
「この間ちょっと特集やりましてね。アケロンドライビングスクールはお金に余裕のある低位魔族や高位魔族向けの経営をしてるんです」
「へぇ、そうなんですね。じゃあ神様、今けっこう忙しいんじゃないですか。合宿って十日位かかるでしょうから」
「うん」
十日程教習に集中する為、ドキドキクッキングの収録だけでなく神様業の方も今のうちにある程度やっておかねばならない。だからこの打ち合わせが終わり次第、フィアは天界に向かう予定だ。世界の修復や魔界からくる書類、それについ最近抱え込んだ問題もある。
フィアは天界で待つ彼と彼女のことを考えると少し気が重くなった。
「じゃあ、なるべく早く打ち合わせは終わらせましょう」
ディレクターの言葉に打ち合わせが再開される。スケジュールや場所などの説明が済んだところで、リリスが口を開いた。
「ねえ、この中にアスタロト様が入ってないけれど……」
「ああ、アスタロト様は今回いらっしゃいません。現場に一緒に行くのは私だけです」
「へぇ、意外ねぇ。あの味に小うるさいアスタロト様がいらっしゃらないなんて。教室で習って作ったものならば味はマシだろう、とか仰って絶対いらっしゃると思ったのに!」
リリスの言葉にモラクスが苦笑した。
「まあ……あれです。スタジオじゃなくて一般人もいる教室ですから。収録当日も当然他の生徒さん方がいらっしゃいます。アスタロト様もお見えになったら女性陣がどんな騒ぎになることか」
その言葉にリリスがケッと悪態をつく。
「リリスさん、貴女もずいぶん変わられましたねぇ。最初の頃なんて『アスタロト様とお話ししたいわ』なんて言ってたのに」
そう言えばリリスは初回の収録の時そんな事を言っていたとフィアは思い出す。だが最近フィアとリリスが収録後にお茶をする時は、彼の味への煩さに関する愚痴で二人は盛り上がるのだ。
ぷいっとそっぽを向くリリスを皆と一緒に笑いながら、美味しいチョコレートが出来るといいなぁとフィアは思った。
***
フィアはコキュートスチャンネルでの打ち合わせが終わるとすぐ天界に向かった。
神の城の奥深くの一室には先代の神が残した世界創造や生命創造等の記録が残されている。走り書きのような物からちゃんとした資料に至るまで数多くあるそれは、先代の神の試行錯誤の結果である。
「神様、お待ちしておりました」
フィアが部屋に入ると文書庫管理係の男が迎えてくれる。彼はつい最近フィアがここ天界へ連れて来た。
何の資料がどこにあるかも分からないこの部屋の管理を彼に任せたのはミカエルだ。天界に住むからには神様の為に働け、ということらしい。ここに来る前も文官として魔王に仕えていた男は、ミカエルの言葉に異を唱えることなどなかった。おとなしく指示に従い、資料室とも言えるこの部屋の整理にとりかかっている。
「どうかな?」
フィアの言葉に男は頷き、いくつかの紙束を渡す。
「こちらが先代の神様が人間の魂を作った時の覚書です。あとこちらも魂の構造について書かれております」
「難しいことが一杯書いてるね……」
フィアは文面に目を通し、ため息まじりに呟く。そしてこの部屋の奥にある、ガラスによく似た容れ物を見た。金魚鉢のようなそれの中には丸い光が浮遊している。
人間の魂だ。
この魂は今フィアの目の前にいる魔族の男といる為に、人間界を捨てた人間の女のものだ。
「今のところ、どれ位もってる?」
フィアの問いかけに男がそうですねと少し考えて答えた。
「日によって違いますが、長くて半日です」
「そっか……」
フィアは部屋の奥まで歩き、魂の入っている容れ物を見下ろした。
生きている人間は天界へ入れない。だから彼女が天界に入り、そこで生活していく為にはそのままの状態では駄目だった。
まず器である肉体と魂を切り離し天界へと入れる。そこからが今フィアが苦労しているところなのだ。目の前の男は先代の神の資料を漁り、それを手助けしている。
フィアが考えたのは天使や魔族、エルフと同じように魔力でこの魂そのものを人型へと実体化させることだ。実際に神の創造の力を使いやってみた。その結果、肉の器に魂がおさまっていた時と同じ姿に彼女の魂は姿を変えた。
だが先代の神により創られた人間の魂は、肉の器におさまることを前提に創られている。本来あり得ない形に歪められた生命は元の姿に戻ろうとし、人型を長く保てないことが判明したのだ。
そこで今、人型の状態を固定化させるにはどうすべきか研究中なのである。
「んー。とりあえず、合宿中に読んどくね……」
フィアは手にした資料と魂を交互に見る。難しい資料に渋い表情をフィアが浮かべているのに気づいた男は、気づかうように言った。
「彼女は半日でも有難いといっておりましたよ。それに……私も仕事がありますので、一日中彼女と一緒という訳ではありませんし」
人型をとれるのが一緒にいるひと時だけでもじゅうぶんという事か。
フィアは仄かに赤くなっている男の姿を見て、リリスがこれを見たら『恋バナ、素敵!』と騒ぐか『ケッ』と悪態をつくかどっちかだなと思った。
「でもね。このまま不安定な状態にしておいたら、いつ消滅するかわからないよ」
フィアの忠告に男は真剣な表情になり頷く。
「ミカエルの話だと、神の力に満ちてるこの場所なら比較的もつだろうって事だけど……。それに人間の魂そのものは長持ちするけど、こうやって形を変えたら転生を繰り返すのとは違うし……」
だから彼女の魂は永遠には生きられない、とフィアは考えている。
気が遠くなりそうな年月の間で消滅する事なく魂が転生を繰り返せるのは、肉体を失い死を迎えるたびに天界に戻り、記憶や人格を洗い流されるおかげだ。もし目の前の彼女が永遠に生きたければ、それをしなければならない。そうなると今度は彼女が彼女ではなくなる。それは目の前の彼も彼女も望むところではないだろう。
そこまで何とかしようとなると魂をバラバラに分解し、新しく創りなおさねばならない。出来るならばそうしてやりたい。しかしケイオスは今のフィアではそこまで高度な技——根本的な部分から生命体を創り変える事は不可能だろうと言う。無から新しいものを創りだすより、本来あったものを壊さないように全く別物につくり変える方が難しいのだそうだ。ましてやそれは自分が創ったものでないのだから、尚更である。
だからフィアは自分に出来る範囲で頑張っている。きっと目の前の男が探し出してきた資料はその範囲を広げてくれる事だろう。
フィアは魔界で罪人となり名を失った文書庫管理係の男に言った。
「頑張ろうね、カイム」
***
シェイドはフィアとともにコキュートスにある魔界デパートを訪れていた。
数日後にはフィアは合宿に行く。その準備のための買い物だ。
グローブやエアーバイク専用のゴーグル、ヘルメットを購入する。ついでに下着も買っておこうと子ども服のフロアに向かった。
子ども下着売り場では最近女の子の幼体に大人気という花柄かぼちゃパンツが大量に並べられている。
「フィア、どれがいい?」
こういう物は本人に選ばせるのが一番だ、とシェイドはフィアを振り返った。そして絶句する。
なぜかフィアはかぼちゃパンツを頭にかぶろうとしていた。
はっと我に返り、慌ててフィアの手を掴んで止める。子どもの行動は本当に読めない。なにをするか分かったものではない。この子は特にそうだ。
「フィア!」
「むー。ヒマなんだもん」
「あのなぁ、お前の為の買い物だぞ」
シェイドはがくりと肩を落とした。
「ねえねえ、シェイド。フィア屋上に行きたいな」
「え、ああ。あれか」
シェイドはなるほどと頷く。ここの屋上にはフィアのお気に入りがあるのだ。これをエサにさっさと買い物を済ませよう。
「全部買い物が終わったらな。ほら、下着選べ」
「んにゃっ!」
フィアは手にした花柄かぼちゃパンツを元の場所へぽいっと戻す。そしてその場を離れると、少し奥まった場所に陳列されている三枚いくらのお買い得な定番かぼちゃパンツを掴んで戻ってきた。
まだ洒落っ気がないせいか、家計に優しい子である。しかしそのせいでドキドキクッキングの衣装さん泣かせらしい。衣装のスカートをはかせたら、その下に自分のズボンをはいてスタジオに現れたという話だ。それを聞いた時シェイドは頭痛がした。
そんなこだわりの無いフィアはあっさりと買う物を決めてくれる。さっさと会計を済ませた二人は屋上へと上がった。
屋上は幼体向けの遊び場だ。ゲームや乗り物が並んでいる。
この中で一番のフィアのお気に入りは硬貨を入れると一定時間動く乗り物だ。ハンドルと足で踏むボタンで自由自在に柵の中で動かせる。
フィアはここを知ってからというもの、デパートに来ると必ず屋上にやってくる。そして乗り物に乗るのがお決まりになっていた。お小遣いと相談して三回までと自分で決めているらしい。いくつも並ぶ乗り物の中でどれが良いか厳選して楽しんでいる。
そうやって乗り物を楽しんだ後は売店で売っているソフトクリームを食べて帰宅するのだ。
あっさりとどれに乗るか決めたフィアが乗り物に乗り込み、お金を入れている。動き始めた乗り物を操縦しはじめた。
柵にゴンゴンぶつかっているフィアを見て、シェイドは不安がこみ上げてきた。思わず呟いてしまう。
「こんなんでエアーバイクの操縦ちゃんと出来るのかねぇ」
果たして許可を出したのは正しかったのか。シェイドは少し後悔しながら、楽しそうに乗り物に乗っているフィアを見守ったのだった。




