悩める青年
シェイドはとりあえずフィアの駆け落ち発言は置いておくことにした。
それよりもミリアムだ。
「おい、ネロ。お前が送っていったんじゃなかったのか?」
シェイドの言葉にネロは気まずそうな顔をする。熊のような身体が少し小さくなったようにも感じた。
「あの……ミリアムの様子がおかしかったから。聞いたんです。どうしたんだって」
「なるほど」
「そうしたら、あいつ男のことで悩んでて。それが魔族だって言うから」
「それを責めたのか?」
「まさか! いや確かに相手が魔族って色々と問題あると思いますけど……。そういうんじゃなくて……」
ネロは益々いたたまれないといった感じに俯く。よくよく見ると赤くなっている。それも耳まで真っ赤だ。
シェイドはぴんときた。これはあれだ。
「もしかしてあれか? お前も彼女が好きで、あれこれ話を聞いているうちに勝手に気持ちが盛り上がって『実は俺もお前が好きだ!』とか言っちゃって、挙げ句の果てに『そんな男はやめて、俺にしろ!』とか格好つけて言ったのはいいけれど、彼女に走って逃げられたと」
「うげ……なんで分かるんですか……」
「年長者を甘く見るな」
そしてネロはミリアムから拒絶の言葉でも投げつけられたのだろう。こいつがその言葉にショックを受けているうちに、彼女は姿を消したに違いない。
そうじゃなければ走って逃げられても所詮は女の足。追いつけるはずだ。
「リャクダツアイ……」
背後でフィアの声がし、シェイドは慌てて振り返る。台所の入り口に半身を隠し覗きこんでいた彼女はぱっと完全に身を隠す。廊下で盗み聞きしていたようだ。
しかし略奪愛とは。またとんでもない言葉を覚えてきたものだ。シェイドは頭が痛くなった。
だがフィアの言葉にシェイド以上にネロが動揺している。口をぱくぱくさせて略奪愛という言葉を復唱している始末だ。
赤くなったり、青くなったりしているネロを見てシェイドはこれぞ青春かと思う。自分にはなかったものだ。
とは言え、ネロの言動はあまり褒められたものではない。
かつて仲間であった光の教団大司教の胡散臭い笑顔が頭に浮かぶ。あのルクスならば、この青年の行動は不合格だと言うだろう。
彼が言っていた言葉を思い出し、シェイドはネロに言った。
「光の教団の大司教様が昔言っていたぞ。女性が弱っているところに強気に責めてはいけないと。そういう時は過不足ない感じでそばに寄り添い、時に話を聞いてやり、上手く自分の居場所を相手の心の中に作りつつ、絡め取っていけと!」
「おじさん……! 光の教団は恋愛指南までしてるんですか? それ早く教えて下さいよ!」
そう言うなりネロは回れ右して外へ駆け出そうとした。シェイドは慌ててネロを羽交い締めにする。
「待て! どこに行くつもりだ!」
「俺は光の教団に入信します! 頭を丸めてやり直す!」
「バカ! お前が頭を丸めても厳つくなるだけで女にモテる要素は一つもない! お前は美坊主愛好会の女たちの厳しさを知らないからそんな事が軽々しく言えるんだ!」
***
フィアは再びこっそりと騒々しく騒ぐシェイドと熊さんのような男を覗き見た。二人は話に夢中でこちらの事は気づいてない。
これはチャンスだ。
フィアはにやりと笑った。
どうやら二人の話ではミリアムという女性もさらわれた可能性が高いようだ。カイムとカケオチした可能性もあるが、何事も最悪の事態を考えておかねばならない。これは正義の味方の出番である。
シェイドは取り込み中だ。こっそりと出掛ければ気づかれない。今こそ出陣だ。
フィアはこっそり玄関に向かい靴を履いた。そそくさと外へ出て三輪車に乗るとペダルをこぎはじめる。
悪者をやっつけるのだ。
フィアは意気揚々と三輪車を走らせた。
無事家を飛び出し、しばらく三輪車を走らせたフィアはきょろきょろと周囲の家の表札を見ていた。
「うーん……ないなぁ」
悪の組織のアジトを探している途中だ。一つ一つ表札を確認しているがそれらしい建物はない。
けっこう遠くまで来た。人通りもなくさびしい。それにそろそろ夕方である。一生懸命三輪車をこいで来たからお腹も空いてしまった。
フィアは小さくため息をつく。
その時背後から声をかけられた。
「お嬢ちゃん、迷子か?」
フィアは振り向いて声の主を見た。男の二人組だ。自警団の見回りだろうか。
「迷子じゃないもん……お腹すいただけだもん」
二人の男が顔を見合わせる。一人の男が手に何かの包みを持っていることに気づいた。その包みから何とも言えない良い匂いが漂ってくる。
手に包みを持っている方の男が笑顔で言った。
「お腹すいたのか。良かったらカラアゲ食べないか?」
「カラアゲ!」
自分の大好物にフィアは瞳を輝かせた。
「そうだ。いま商店街の肉屋で買ってきた、出来たてほやほやだ」
「食べる!」
「よし、じゃあ行くか」
フィアは男二人に挟まれて三輪車をこぐ。フィアの頭上で二人はこそこそ話を始めた。聞こえていないと思い込んでいるようだが、人より遥かに優れた聴力を持つフィアには丸聞こえだ。
「エルフか?」
「ハーフエルフかも知れんぞ」
「この際どっちでもいい。市場にはまず出回らないからな。高く売れるだろうよ。まだガキだが女だし」
「思った以上に自警団の見回りが厳しいな。隙を見て早くこの街出たほうがいいんじゃないのか」
「俺もそう思うが……決めるのは俺たちじゃないからなぁ」
二人はこそこそと話を続けている。
フィアは盗み聞きした内容で、この二人は人さらいの仲間だと分かった。そこでシェイドの言葉を思い出す。
知らない人について行ってはいけない。食べ物をくれると言っても駄目。
ついうっかり引っかかるところだった。さっと青くなる。
だがそこで思い直した。これは囮捜査である。こいつらと一緒に行けばアジトにたどり着く。そうだ、自分はカラアゲに引っかかった訳ではない。さらわれた人を救出するためなのだ。この悪者二人にはしっかり案内させねば。
そう考えたフィアは二人に気づかれないようにほくそ笑む。
少し歩いたところにある小さな民家の前で男たちは立ち止まる。フィアも三輪車をとめた。
「ここだ。ほら、おいで」
二人の男が玄関で手招きしたがフィアは首を横に振った。
「三輪車、どこに置けばいいの?」
「え、ああ」
カラアゲの袋を持った男は先に家の中に入った。もう一人の男が玄関の外に出てフィアを手招きした。
家の戸が閉まった。チャンスだ。
フィアは自分に背中を向けた男に向かって三輪車で突撃した。油断しきっていた男が三輪車にはね飛ばされ、その身体が吹っ飛ぶ。
一応手加減した。全力でやったら死んでしまう可能性があるからだ。
地に倒れた男にすかさず拘束魔法をかける。フィアは三輪車に乗った状態で男に近づき、魔力の縄でぐるぐる巻きの男を見下ろす。男はぐったりして動かない。
「うーん……ちゃんと手加減したのに。変なの」
フィアは首を傾げ、一つため息をつく。もしかしたら三輪車ではね飛ばす必要はなかったかも知れない。問答無用で拘束魔法をかければ良かったのだ。手加減とは難しい。
やれやれと首を振りながら、三輪車からおりた。念のため植え込みの陰に三輪車を隠す。
さあ、これからが本番だ。潜入開始である。
フィアはマレンジャーの主題歌を歌いながら、足取り軽く人さらい達の隠れ家に乗り込んでいった。
***
シェイドは光の教団に出家すると言い張るネロを何とか説得し、ミリアムの捜索に行かせた。フィアはカケオチなどと言っていたが、シェイドはその可能性はないと考えている。
ベルゼブブは厳しい。規律を破る者を許しはしないだろう。それが自分の部下ならばなおさらだ。ミリアムを連れて逃げても探し出され処刑されるのは目に見えている。カイムとて分かっているはずだ。それを考えれば今回のミリアムの失踪にカイムが関係しているとは思えない。
自分も探しに行かねばならないが、フィアに夕食を食べさせなければならない。ひとまず捜索は自警団の連中に任せ、後で合流しようと決める。
シェイドはフィアが先ほど隠れていた廊下へ出る。だがそこには既にフィアの姿はない。足元にぱんぱんに膨らんだ風呂敷包みが転がっている。
「あー、あいつ。そのままにして……」
やれやれとため息をつき、包みを拾い上げ台所の作業台にのせる。そして茶の間に向かった。きっとコタツに潜り込みテレビでもみている事だろう。
だがシェイドの予想に反してフィアの姿はなかった。嫌な予感がこみ上げる。
「フィア!」
名前を呼びながら家中を見て回る。だが見つからない。
「まさか……あいつ!」
シェイドは靴を履き、玄関から外に出た。いつも三輪車を置いている場所にそれがない。
自分がネロと喋っている間、こっそり出掛けたのだろう。
シェイドは何度目か分からないため息をついた。その時背後から声をかけられる。
「勇者、神様はいらっしゃるか?」
聞き覚えのある声に慌てて振り返る。
そこに立っているのは先日フィアに連れて来られ、あれこれと話をした魔族カイムだ。
彼は封筒を手にシェイドの家の玄関前に立っている。シェイドに封筒を見せ、カイムは言った。
「神様にお届けものだ」
「フィアはいない。出かけた」
「そうなのか。じゃあ、かわりに……」
カイムが言い終わるより前にシェイドが彼の腕を掴む。
「いやいや。あのご立派な魔王ベルゼブブの忠臣が、そんな大切な物を本人に直接渡そうとせず、人に頼んでそそくさ帰ったりしないよなぁ。職務怠慢だよな、それって」
「は……?」
「ここはだな。転移魔法でフィアの元まで行き、直接本人に手渡すべきだ」
シェイドは己の素晴らしい思いつきに満足気に頷く。
「まあ、もののついでだ。俺もフィアの所まで連れていってくれ。相談にのってやったし、夕食もご馳走したろ?」
「え……?」
突然の展開に意味が分からないのだろう。カイムは困惑した表情を浮かべている。
シェイドは面倒くさくなって、きっぱり言った。
「あのな。最近この辺で人さらいが頻発してる。そんな中ミリアムが行方不明になった。フィアは正義の味方ごっこで人さらい共を探し、さらわれた人間を助けるべく出かけている。分かったか?」
シェイドの言葉にカイムは明らかに動揺していた。だが次の瞬間にはそれを押し隠し、瞳を伏せて言った。
「彼女との事は終わったことだ」
シェイドはそう言われるであろうと分かっていた。主君であるベルゼブブにまで知られ釘を刺された今となっては、彼は諦めなければならないのだから。
だからシェイドは思いっきり項垂れている目の前の魔族の頭を叩いた。
「な……!」
「ばーか。お前、俺の話を聞いてるか? 俺はフィアの所へ連れて行けって言ったんだ。お前はフィアに書類渡さなきゃいけない。俺はフィアを探してる。何か問題あるか?」
渋々と言った様子でカイムは答えた。
「……ない」
「だろ? ほら、とっとと行こう。お前もそれ渡さないと魔界帰れないだろ」
フィアが人さらい達の元にいるかどうか分からない。連中のアジトを探すなどと飛び出したのだろうが、運よく見つけだせる可能性は低いだろう。
だがもしフィアが人さらいの所にいなくても、カイムと共にフィアの元へ行けば問題は殆ど解決したようなものだ。
正義の味方ごっこをしたいフィアはミリアムの元へ転移するようカイムに要求するだろう。フィアはミリアムを知らないから彼女のもとへ転移できない。だがカイムならば可能だ。カイム本人も安否は気になっているはずで、しかも神様からの依頼ならば断れない。ベルゼブブに知られても言い訳が可能だ。
ミリアムが人さらいの元にいるかどうかも分からないが、彼女の行方を探し、安否の確認は出来る。
そもそもこの街に他の街を騒がせている人さらい共がきて誰かさらったとしても、この街から無事逃げることはもはや出来ないのだ。自警団は厳戒態勢であるし、なによりこの街の入り口の門は特殊な代物だ。一見普通の門であるが、エルヴァンによって作られた魔道具である。どんな人間が出入りしているか確認できるのだ。
かつて旅をしていたシェイド達がこの街を訪れた時、エルヴァンと知り合ったのはその門のお陰なのだ。
だからもしこの街で行方不明になっている者がいれば、連中に連れられて街を出ようとした時に分かる。その時点で門を守っている者に人さらいたちは捕まるのだ。
「ほら、行こう」
シェイドに促され、カイムがため息をつき言った。
「神様にこれを受け取って頂くためだからな」
シェイドは彼の生真面目さに苦笑し頷く。すると転移魔法が発動し、二人の姿はその場から消えた。




