大司教は語る
「なるほど。それは災難であったな」
フィアと向かい合って食事をとっているルクスが楽しそうに笑った。
ここは光の大陸にあるマルクト王国、光の教団本拠地ウァティカヌスである。現大司教ルクス・ネーファンはかつて勇者の仲間だった人物だ。
フィアは目の前に並べられたご馳走をせっせと食べながら頷いた。
インスタント焼きそばのソースを入れ、お湯を注いだせいで全てが台無しになってしまった。少し食べてみたが、味気なくとても完食できると思えない代物だったのだ。
すっかり気落ちしたフィアは空腹を持て余し、ルクスの元を訪れた。ここならば何か食べさせてもらえると思ったのである。
それにシェイドも出かけるなとは言ったが、ルクスの元ならば何も言わないだろう。人さらいが出ているのはアンブラーである。大陸すら違い、屈強な僧兵達が守る大神殿ならば安心のはずだ。
フィアが転移で現れると、神様がお越しだと大騒ぎになった。想像しなかった程の大騒ぎに驚き、居心地が悪くなった。そのためフィアはルクスの執務室とやらで一緒に食事をとっている。
今、世界には六つの教団がある。
そもそもこれは遥か昔には一つの教団であった。その頃は、神が天使を自らの遣いとして神殿に送り、神の言葉を伝えさせていたらしい。ミカエルなどはその遣いの天使の代表格だそうだ。
教団が分かれた今でも聖書にその時のことが記されている。
教団が分裂するきっかけとなったのは、先代の神が人と関わるのをやめたことだ。今まで語りかければ返事をしてくれた神が何も言わなくなった。天使も神殿に現れない。
そこから人々は自分たちの考えで宗教や神をつくりだしたのだ。神は眠りについた。その力を分け与えられた六柱の神が天界から見守っている、と。
一体誰が言い始めたのか分からないその話がいまや世界各国で信じられている。
フィアの存在に関しては、眠りについた主神の復活として各教団で扱われている。フィアが肉体を失い復活を待つ間、あのミカエルも人間達に教団を統一しろとは言わなかった。真の神様を至高の存在と崇めるのならば、それ以上何も言わないと言ったらしい。
フィアはそういった事にあまり興味がないので気にしていない。
ここ光の教団は六つの教団のうち最も大きく、信徒も多い。シェイドが言うには一番の金持ちで、そこらの国よりお金を持っている。
かつて一緒に旅をしたルクスは偉い人になった。彼は出世のため勇者に同行していたのだから、念願叶ってという事だろう。
それをルクスに言ったら、神様になったフィアに偉い人になったと言われるのは変な気分だと笑っていた。
一緒に旅をしていた当時はまだ若く、美坊主愛好会の女の人から大人気だったルクスもおじいさんになりつつある。だが今でも『ジジ専』の女性に大人気だそうだ。
渋好みの女性は多いのだ、と言うルクスにフィアは頷いておいた。ジジ専や渋好みの意味が分からないが難しい神学の話なのかもしれない。
何故ならば昔、ルクスは神学の勉強会にしょっちゅう行っていたのだ。一緒に旅をしている時の話だ。ルクスはシェイドとグレンがショウカンに遊びに行っている間、フィアの勉強をみてくれた。そして二人が帰ってくるとデートとやらに出かけていたのだ。デートとは神学の勉強会だそうだ。熱心な女性信者を教え導く為といつもルクスは言っていた。
何故かシェイドとグレンは『あの腐れ聖職者』と苦虫を噛み潰したような顔をしていたけれど。
食事をしながらフィアは最近あった出来事を色々とルクスに語った。もちろん今シェイドを悩ませるチジョーのもつれの話もだ。
ルクスは微笑んで言った。
「しかし、恋愛相談とは。あのにぶちんのシェイド殿には最も不向きな分野であろう」
「そうなの?」
「ああ。だが相談相手が誰であろうが結果は同じかと思うが。恋と言うのは障害があればあるほど燃え上がるものだ」
フィアはほうほうと頷いた。
そう言えばリリスもそんな事を言っていた気がする。
熱心に耳を傾けるフィアにルクスは更に語った。
「周囲が反対すればするほど二人は孤立し、お互いの結びつきを強める……と言う訳だ。だが皮肉と言うべきか、万難を排したその時には情熱がさめる事も多いのだ」
「どうして?」
「障害が二人にとってのスパイスになっていたからだろうな。似たような話だと、略奪愛だな。他人のものだから欲しい。手に入らないから欲しくて欲しくて仕方ない。だが、実際その相手を手に入れると……」
フィアはナイフとフォークを手にぐっと身を乗り出した。
「手に入れると?」
「途端に相手がつまらなく感じるものだ。あれ? この人はこんな冴えない人だったか……と。あの頃のキラキラ輝いていた宝石のような彼、彼女はどこにいったのだ、となる。まさに略奪愛とは略奪するまでが醍醐味よ」
「ふぅーん。大変なんだね、リャクダツアイって」
これはリリスに教えてあげた方が良いかも知れない。彼女はコイバナとやらが大好きだからきっと喜ぶだろう。そうしたらまたココアフロートをおごってくれるに違いない。
ふとそこでカイムとミリアムという女の人のことを思い出した。では相談を受けているシェイドはどうすれば良いのか。
「シェイドはどうするのかなぁ」
「まあ他人の色恋沙汰に首を突っ込むなど愚かの極み。しかも娘側はどうか知らぬが、男の方は既に主君たるベルゼブブから釘を刺されている。これ以上何も言うべき事はあるまい」
「そっかぁ……」
フィアは落ち込んでいたカイムを思い出す。そしてちょっと彼が気の毒になった。
「そう言えば……フィア。先ほど話していた人さらいの件だが……」
「なあに?」
「シェイド殿はなんと?」
「んー。つかまえて他の大陸でドレイとして売ってるんだろうって」
「なるほど。どこの教団も人がさらわれる様な実害がなければ、闇市での売買に目を瞑っている事が多いからな……」
「フィアが教団のかわりに悪者をやっつけてやるんだから!」
そうだ。自分はまだ諦めた訳ではない。
昨日のマレンジャーでも悪の組織の秘密アジトに正義の味方が乗り込んでいた。何故マレンジャー達が悪者のアジトの場所を知っているのか不思議だったが、隣にいたカイムに聞いたら『正義の味方だからでしょう』と教えてくれたのだ。
ならば自分にも人さらいのアジトが分かるに違いない。
「フィア、あまり気合いを入れるな。周りの者が迷惑するぞ」
「むー、なんでー!」
「何故ならばお前は正義の味方ではなく、神だからだ。悪を裁くのは神でなくとも出来る。人間には法というものがある。法は必ずしも正義ではないが……」
何だか難しい話になってきた。フィアは首を傾げる。
そんなフィアを見て、ルクスが苦笑した。
「すまない。話が少しずれたな。話を戻そう。お前は神だ。罪人を許すのもまた神の役目だと私は思っている。神にしか出来ぬことだ」
「でも、悪いやつだもん」
「そうだな。だが神に許さないと言われれば、その者はもはや誰にも許されないだろう。そして私はお前に覚えておいて欲しい。人間は愚かな生き物だ」
フィアは唸った。
難しい。でもなんとなくわかる気がする。先代の神はルクスが言うところの『人間の愚かさ』にも嫌気がさしたのかも知れない。
だから新しい神である自分はその愚かさをちゃんと知っておけとルクスは言いたいのだろう。
「難しいね」
「そうだな。まあそんなに考え込むな、食事中だ」
あれこれ難しいことを言っておいて何だ、とフィアはふくれっ面になった。それを見て、ルクスがふきだした。
ひとしきり笑うと彼は昔よく浮かべていた胡散臭い笑みを浮かべて言った。
「許せ。宗教にとって建前とは非常に重要なものでな」
***
シェイドは昼前に見回りをし、自警団の詰め所で打ち合わせがてら昼食をとった後、再び見回りに出た。
「フィアのやつ、大丈夫かな」
一人留守番をさせている幼子のことを思い出し、気が重くなる。
ちゃんと昼食を食べただろうか。インスタント焼きそばとやらを食べると言い張っていたが……。どう見ても栄養バランスが悪そうだ。焼きそばを食べたいなら、せめて夜まで待てば作ってやったのに。
昼食の事だけでない。一人でこっそり出かける可能性だってあるのだ。それでついうっかり連れ去られたら笑えない。
彼女ならば転移魔法で一瞬で帰ってくる事が出来る。だが連れ去られた先で起こすであろう問題を想像すると頭が痛い。
シェイドはそんな事を考えながら公園の前を通りがかる。
人さらいの件は街中に広まっており、狙われるであろう女子どもは殆ど外を出歩いていない。いたとしても安全を考え、必ず付き添いの男がいる。
誰もいないであろう公園へ視線を向けたシェイドは立ち止まった。一人の娘がベンチに座っていたのだ。この大陸には多い黒髪、黒目の娘。
ずいぶん無用心だなと思いながら歩み寄る。近づいていく内にシェイドは彼女が誰か思い出しはっとなった。
チムノー司祭の娘ミリアムだ。
近所に住んでいるが、司祭一家が引っ越して来たのは妻が死ぬ少し前である。その頃にはヴァイスももっぱら男同士で遊び、女の子と遊んだりすることがなかった為、あまり顔を合わせることがなかったのだ。だからすぐに気づく事が出来なかった。
ミリアムはシェイドの接近に気づいているのかいないのか、ぼんやりと物思いに耽っている。
「ミリアム、人さらいの件は知ってるか? 無用心だぞ」
「おじさん……」
シェイドに話しかけられたミリアムは何か言いたげな顔をした。
「どうした?」
「彼が会いに来ないんです。本当は昨日来る予定だったのに……」
「……何か用事でもあったんじゃないか?」
ミリアムは緩く首を振って項垂れた。
「まさか……だからここで待ってるのか? そいつが来るのを」
「連絡が取れないから私は待つしかないんです」
「それはそうだが……」
ミリアムは顔をあげシェイドを見た。そして尋ねる。
「おじさん、知ってるんですか?」
「え、ああ……司祭から聞いてな」
「父は何も知らないのに勝手なことばっかり」
「まあ、相手が相手だからなあ……」
シェイドの言葉にミリアムは哀しげな表情を浮かべ、黙ってしまった。
チムノー司祭からは頼まれたが、実際本人を目の前にすると言えることは何もなかった。既にカイムはベルゼブブに釘を刺されている。もはや全て終わったのだ。
知らないのは当事者である目の前の娘だけ。
いや、もしかしたら彼女は気づいているのかもしれない。元々いつまで続くか分からない関係だ。ただそれを認めたくないだけなのだろう。
その時公園入り口からシェイドを呼ぶ男の声がした。振り返ると自警団の青年ネロだ。
彼はヴァイスの友人で、子どもの頃からシェイドが剣を教えてやっていた。その腕を見込まれ自警団へ入ったのだ。
「おじさん、どうしたんですか?」
駆け寄ってきたネロがシェイドに尋ねる。
「いや……」
「あれ、ミリアム」
シェイドがどう説明しようか悩んでいると、ネロがベンチに座るミリアムに気づいた。同じ町内会だから当然かもしれないが、二人は知り合いらしい。
「ミリアム、こんな所で一人で何やってんだ?」
「ちょっと……」
口ごもる彼女にネロは首を傾げる。それ以上何も言おうとしないミリアムにため息をつき、ネロはシェイドに言った。
「すみません。俺こいつを送って行くんで……」
「ああ、任せとけ」
シェイドは頷き返す。
ネロはミリアムの腕をとり立ち上がらせた。そして彼女を連れ、公園の出口に向かう。
公園を出る間際、何か言いたげな顔でミリアムがシェイドを振り返った。だがネロに促され、彼女は何も言うことなくその場を去っていった。
シェイドは見送り、再び見回りに戻った。
あちこちを見回り、交代の時間が来た。朝から見回りをやっていたシェイドは今日のお役目終了だ。
家に帰り、夕食の支度をしなければならない。足早に自宅に戻った。
静まり返った家のなかに嫌な予感を感じつつも、部屋を一つ一つ見ていく。どこにもフィアがいない。
最後に台所をのぞいた。そこにもフィアはいなかった。だが作業台の上にフィアが食べると言い張ったインスタント焼きそばが置きっぱなしになっている。
「なんだこりゃ?」
全く食べてないと言っても過言ではない量の麺。シェイドはそれを指でつまんで一口食べる。
「まずっ」
殆ど味もしない。美味しくなかったからお腹が空いてどこかに出かけたのだろうか。
作業台の上の食べる気もおこらない焼きそばとその周りに散らばったゴミを集め、ゴミ箱に捨てる。
「どこ行ったんだ、あいつは……」
書置きもない。
シェイドはため息をついて米をとぎはじめた。
あれだけ言っておいたから、さすがにアンブラーの街をぷらぷらしてる事はないだろう。魔界か、誰か知り合いの家に行って何か食べさせてもらっているのかも知れない。
米をとぎ終えたところで保護者フォンを取り出し、幼体フォンに連絡する。すぐにフィアが出た。
「フィア、どこにいる?」
「ルクスのとこ」
シェイドはほっと息をついた。
「もうそろそろ夕食の時間だから帰ってこいよ」
「はーい」
保護者フォンを切り、再び食事の準備に戻った。
しばらくしてやっとフィアが帰ってくる。背中に山ほどの神への供物とやらを詰め込んだ風呂敷を背負っていた。光の教団大神殿でたんまりお土産をもらったらしい。ほくほく顔だ。
「ただいまー」
「おかえり。フィア、出かける前にちゃんと連絡しろよ」
「う、ごめんなさい……」
フィアは風呂敷を下ろすとぴょこんと頭を下げた。
シェイドがとりあえず風呂敷の中身を片付けるように言おうとしたその時、台所にある勝手口の戸が外から強く叩かれる。誰だろうと思いながら開けると、そこには血相を変えたネロがいた。
シェイドが用件を尋ねるより前にネロが叫んだ。
「おじさん、ミリアムがいなくなった!」
驚くシェイドの背後でフィアののほほんとした声が聞こえる。
「カケオチ?」
駆け落ち——誰がそんな言葉をこいつに教えた。




