悩める魔族
フィアはリリス達と別れ、家へと帰ってきた。
「シェイドー。ただいまー。シェイド?」
店頭にも台所をのぞいても姿が見えない。
「あれ?」
フィアは首を傾げ、茶の間をのぞいた。コタツの上に何か紙が置いてある。
「んーと。町内会の会合で出かけてきます……」
どうやらシェイドは公民館に行ったらしい。そんな話を聞いてなかったフィアはふくれっ面になる。
さっそく調査結果を報告したかったのに。
「うーん……つまんないなぁ。そうだ、お散歩でもいこう」
公園にでも行けば近所の子が誰かいるかも知れない。この時間なら大丈夫だろう。
そう考えたフィアは一度脱いだ毛糸の帽子をまたかぶる。そして家から出ると三輪車に乗った。
勢いよくペダルをこぎ、公園へと向かう。
公園の入り口から中をのぞきこむと、どの遊具にも子どもがいない。砂場にも人っ子一人見当たらなかった。この時間で珍しいこともあるものだとフィアは思い、三輪車に乗ったまま公園に入る。
ふと公園のベンチに男が座っているのに気づいた。それも人間ではない。魔族の男、ベルゼブブの部下であるカイムだ。
何故彼がこんな所にいるのか疑問に思いながら、フィアは彼の目の前まで三輪車を進めた。
「何してるの?」
カイムはぼんやりと考え事でもしていたらしい。声をかけられて初めてフィアに気付いたようだ。
「神様……」
何だか元気がないようだ。
フィアは三輪車からおりると、彼の隣に座った。
「元気ないね。どうしたの?」
フィアはきっとベルゼブブに叱られたんだ、と思った。自分もシェイドに叱られたらここでしょんぼりするのである。
「神様が量産型の私のことをお気にかけて下さるなど……先代の神様の時代には考えられなかったことです」
「うーん。意味わかんないよ」
「申し訳ありません……。ご心配して頂いて嬉しいと言いたかったのです」
ほうほうとフィアは頷いた。
「ベルゼブブに叱られたの?」
フィアの言葉にカイムは苦笑した。そしてフィアの問いには応えずにまた俯いてしまう。
どうやら本格的に落ち込んでいるようだ。これはいけない。
どうしたものかと悩み、一つ良い事を思いついた。
落ち込んでいる時は美味しいものを食べるのが一番である。ここは家に連れて帰り、シェイドの作った夕食を一緒に食べよう。ついでにマレンジャーごっこの相手もしてもらうのだ。
フィアは自分の素晴らしい思いつきに笑みを浮かべた。そして立ち上がる。
「神様?」
「カイム、フィアのおうちにおいでよ。一緒にご飯食べよう!」
「え、いや、私は……」
「ほら、早く早く!」
フィアはカイムの腕を掴み、彼と自分の三輪車とともに自宅まで転移した。
***
シェイドは自分の部下を尋問したというベルゼブブをじっと見た。あまりその尋問の部分は詳しく聞かないほうが良いだろう。
恐る恐る口を開く。
「えーっと……。それで、その秘書官とやらに何て言ったんだ」
「私に仕える者として相応しい行動をとるようにと言っただけだ」
「なんか……女と別れろとか具体的な命令されるより重いな、それ……」
シェイドは顔が引きつった。
「そもそも決まり事がある。人間との婚姻の禁止、もし人間との間に子ができた場合責任をもって抹殺すること、我々のような高位魔族が人間界に住む事の禁止。それらを考えれば取るべき行動などすぐに分かる」
そのような事も分からぬ者は必要ない、と言うとベルゼブブはお茶を飲んだ。
シェイドはふと気になって聞いた。
「なあ、そのカイムってのはどんな奴なんだ?」
「真面目で優秀。だがあまり自分に自信はなさそうだな。自虐的なところがある。よく自分は量産型だと言っているらしい」
「量産型?」
「ああ、奴は第三次天使計画で生まれたからだろう」
「それは何なんだ?」
「先代の神は大きく三回に分けて天使を創った。第一次から第三次まで。第一次天使計画で生まれた者は一体一体丁寧に創られている。生命を創る初期だったこともあるだろう。それゆえに、各自が強い力を持っている。天界のミカエル、魔界では上位の実力を持つ者たちだ」
なるほどとシェイドは頷いた。
ベルゼブブの説明では第二次は第一次より量を増やし、その分一体一体にかけた手間暇が少ない。第三次は第二次より更に量も増やし、創造もまとめて行われた個体たちだという。
もちろん彼らが持つ力は第一次で生まれた者に第二次で生まれた者は劣り、第二次よりも第三次は劣ると言う。
「ふーん。第三次の量産型とやらがお前の秘書官とやらになれるものか?」
「珍しい話だ。フルーレティの話では大変な努力家らしい」
シェイドは何とも言えない気分になった。
きっと良い奴なんだろう。だがそいつは人間の女に対して本気だったのか、遊びだったのか。
いずれにせよ悲しい結末しか待っていないのだが……。
「そいつ、本気だったのかな」
別にベルゼブブに聞きたいわけではなかったが、思わず呟く。ベルゼブブは黙っていた。
きっとそれが答えなのだろう。
「どうやって別れる気だろうな」
黙って姿を消すのか、ちゃんと話をして別れるのか。
シェイドは二人を気の毒に思う自分を嗤った。自分とて二人を別れさせる方向で考えていたではないか。
男のほうが遊びならば話は早いと思っていた。
魔界で人間との婚姻を禁じているのは知らなかった。だがお互いに本気であれば、ずっと一緒にいたいという話になり、それは婚姻に繋がるだろうとは思っていた。
その結果子どもが出来れば、その子はいずれ殺される。それも親自らの手で処分することになるのだろうと。
もしそれをやらなければ、化け物と変わった子どもが周りの人間に被害を及ぼす。シェイドはそういう例を過去に見た。異形化した混血児が人間の子ども達を、教団の僧兵達を糧とし喰らい殺した事件を。
人間が魔界に住むのも不可能ならば、彼ら高位魔族が人間界に住むのも不可能だ。子どもさえいなければ済むかと言えばそうではない。
離れて暮らせば、今のようにカイムとやらは頻繁にこの街を訪れる。二人が仲良くしているのを危惧し、チムノー司祭に報告した者がいるように未だに人間にとって魔族とは近しい存在ではない。
この街の住人はよその人間に比べて、エルフやハーフエルフといった異種の者に寛容だ。ここアンブラーをつくったのがエルフであり、その本人が今もなお住人に敬われているお陰でもあるだろう。
二十五年前、この街も出来損ないに襲われた。その時多くの魔族によってそれを救われたし、その後のウロボロスの掃討活動の甲斐もあって住人の寛容さは高位魔族にも及びつつある。
だがそれが人間の娘と、となると話は別だろう。
旅行などで遊びに来た者や、近隣の出来損ないエルフどもの掃討に来た者に寛容になれるのとは次元が違いすぎる。
おそらくミリアムのことを司祭に伝えたのは、この街では数少ない熱心な信徒であろうと思う。だがこのまま関係が続けば、熱心な信徒でなくても二人を見咎めるだろう。そうなれば彼女はここで暮らしていけるだろうか。
シェイドはそうは思わない。
だから別れるのも仕方ないと考えたのだ。
「仕方ないよな」
「そうだ。仕方ない」
まるで言い訳のように呟いた自分の一言にベルゼブブが同意してくれたのだけが救いだった。
***
フィアは遠慮して帰ろうとするカイムを引きずって家にあがった。
「ただいまー」
茶の間に入るとシェイドがコタツの上の湯のみを片付けている。湯のみは何故か二つあった。
もしかしたら自分が出かけている間にお客が来たのかも知れない。
「シェイド、カイムだよ。シェイドが探してた魔族だよ」
フィアはカイムをシェイドに紹介した。
「え、ああ……。シェイド・ブラックだ」
シェイドとカイムは何やらぎこちなく自己紹介しあっている。
「フィアね。カイムが落ち込んでたから、美味しいご飯でも食べさせてあげようと思って!」
「そうか」
「いえ神様……私は」
「いや。俺はあんたに話がある。だから遠慮すんな。ちょうどこれから夕食時だしな」
ちょっと待っててくれとシェイドは言い残し、夕食の支度に台所に行った。
夕食が出来るまでの間、フィアとカイムはテレビを見て過ごした。しばらくするとシェイドが夕食を運んでくる。
「手っ取り早く鍋にした」
シェイドは魔法式の卓上コンロを置き、その上に鍋をのせる。そして取り皿を各自に配った。
「美味しそう!」
フィアはさっそく鍋から肉を取る。鳥肉だ。さっぱりしたタレにつけて食べる。
せっせとフィアが肉を食べているとシェイドとカイムが話し込み始めた。
「ベルゼブブから話は聞いたんだが。何故アンブラーに?」
「話をしに」
「出来たのか?」
「いや……。公園で悩んでいたら神様にお会いして……」
「フィア、ちゃんと野菜も食べろよ」
「んにゃ」
とりあえず頷いておく。でも野菜は食べたくないのだ。
そうするとシェイドの手が伸びて来て、フィアの取り皿に野菜を放り込んだ。
やはり食べないのは許されないらしい。フィアは嫌々野菜も食べる。
「中途半端な話しか出来ないんなら、もういっそ何も言わずに消えた方がいいんじゃないか?」
「それも考えた」
「ま、えらく無責任だけどな」
フィアは顔を上げ、二人を見る。どうやら二人はチジョーのもつれの話をしているようだ。
そこでフィアはリリスの言葉を思い出す。リリスは確か『許されない恋……二人はどうやって知り合ったのかしら!』なんて言っていた。
「ねえ、カイム」
「神様、どうされましたか?」
「カイムはその人間の女の人とどうやって知り合ったの?」
「あ、それ俺も気になってた」
カイムは深々とため息をつくと、二人に語り始めた。
「ベルゼブブ様のお使いで、最初は団子とやらを買いに来たんです。その時団子を売ってる場所がわからなくて」
「あー、そこでミリアムに聞いたと」
「そう。その後、今度は揚げ饅頭とやらを買いに行ってこいと言われて……」
「また場所が分からなくてミリアムに聞いたと」
ほうほうとフィアは頷いた。
リリスが聞いたら『スウィーツで結ばれた恋!』なんて喜びそうだ。今度の収録で教えてあげよう。
シェイドとカイムが深刻そうにまた何か話し始めたので、フィアは鍋を食べることに専念した。
***
翌日シェイドは朝食を食べてすぐ出かけてしまった。
最近人さらいがいるから見回りをすることになったらしい。勇者である彼も自警団の手伝いをするそうだ。
これは正義の味方の出番かと思い、自分も行くと言ったらシェイドから断られた。それだけではない。勝手に出かけてはいけないとか、知らない人に声をかけられてもついていってはいけないとか色々言われるはめになってしまった。
一人お留守番となったフィアは今、自分の昼ご飯の支度をしている。
シェイドは夕食前に帰ってくるらしい。最初はフィアの為に昼食を作って行こうとしたが、それは断った。
実は食べてみたい物があるのだ。
昨日、ドキドキクッキングの時にもらったインスタント焼きそばとやらである。これはドキドキクッキングのスポンサーである食品会社の商品だ。フィアが焼きそば好きだと知ったスタッフがくれたのである。
お湯を入れるだけで焼きそばが出来ると聞いてフィアは心踊らせた。
シェイドにそのパッケージを見せ、これを昼に食べると言ったら最初はかなり反対された。シェイドが言うには栄養バランスが悪いから駄目らしい。
しかしフィアは粘り勝ちした。シェイドは出かけなければならず、朝あまり言い争いをする時間がなかったのだ。
フィアは紙のような素材の蓋を剥がした。
「んーと。具をいれて、お湯を入れる……」
中に入っていた小袋をあける。それらを麺の上から入れ、お湯を注いだ。しばらく待って、お湯を捨てる。
あまりの簡単さに笑顔になる。これで焼きそばが食べられるならば楽チンだ。具が少ないのが気になるが、それは仕方ない。
「えーと。ソース、ソース」
フィアは柔らかくなった麺にソースを入れようと探す。小袋に入っているはずのソースが見当たらない。
そこでフィアは気づいた。
ソースと書かれた小袋が封を切られ転がっている。流し台からは仄かにソースの香りがした。
さっと血の気が引く。
慌てて柔らかくなった麺に鼻を近づけて、その匂いをかぎ、叫んだ。
「うにゃーー!」




