恋バナと魔王の尋問
シェイドはケーキを切り分け、フィアの分は生クリームを添えた。そして茶とともに盆に載せ、茶の間へと持っていく。
フィアは既にコタツで待っていた。
「ケーキ!」
「ああ、待たせたな」
シェイドは自分の分とフィアの分をそれぞれ置くと座った。
フィアはいそいそとフォークを手に食べ始める。
「美味しい!」
「そうか、よかった。あのな……フィア。頼み事があるんだが」
フィアはケーキを頬張りながら、うんうんと頷いている。ちゃんと聞いてくれているだろうか。シェイドは不安になりつつも、言葉を続けた。
「最近、魔界からアンブラーに頻繁に来てる魔族を調べて欲しいんだ」
魔界では人間界に来る時必ず報告しなければならないと聞いている。許可を取る必要はないらしいが、誰がどこに行くのかを把握する為らしい。
フィアが聞けば魔界側も情報を開示する。最近この近隣でウロボロスの大規模掃討もやっていない。だから個人でこの街を頻繁に訪れている者は目立つだろう。
フィアはケーキを飲み込むと首を傾げた。
「調べてどうするの?」
「んー。実はなぁ。人間の女の人と付き合ってる魔族の男がいてな。その女の人のお父さんから相談受けたんだよ」
ほうほうとフィアが頷く。そして彼女は言った。
「チジョーのもつれ?」
お茶を飲んでいたシェイドはむせた。
「ち、痴情のもつれ……。どこでそんな言葉を覚えたんだ!」
「むー。魔界から届いた契約書に書いてあったんだもん」
「くそっ、変な言葉教えんなってベルゼブブに文句言ってやる」
そういうことは魔界きっての常識人、魔王ベルゼブブに言うのが一番だ。他の奴らに言ってもあまり意味がない。
「いいか。フィア、痴情のもつれなんて軽々しく口にするんじゃない」
「わかった……」
「あとな。魔界に調査を頼むとき、その女の人の話は秘密にしておいてくれ」
「どうして?」
「俺が話す前に魔界の連中に邪魔されたくないんだ」
「ふーん。わかった」
「理由を聞かれたら、そうだな……何故かは知らないが俺が探しているって言っといてくれ」
フィアは一つ頷くと、再びケーキを食べ始めた。
***
「やだー! 禁じられた恋……素敵ね」
フィアと向かい合って座るリリスは頬に手をあて、うっとりと呟いた。
ここはコキュートスチャンネルの社屋に入っているカフェだ。二人はさっきまでドキドキクッキングの収録をしていた。それが終わり、リリスからたまにはお茶でもと誘われたのである。
リリスはコーヒー、フィアはココアフロートを飲んでいる。この飲み物は最近のフィアのお気に入りだ。ココアも美味しいし、その上にのったソフトクリームも美味しい。
二人は今日の収録でシュークリームを作った。だがシュー生地は膨らまず、ぺしゃんこになってしまった。とてもクリームなど入れられない。
フィアとリリスは考えた末、二つのシュー生地でカスタードクリームを挟み、試食の二人に出したのだ。
とても良い案だと思ったのに、二人の評価はイマイチであった。
リリスは『アスタロト様って実はけっこう口うるさいわよね』とボヤいていた。フィアもそう思う。
モラクスが言うには『あの方はグルメだから仕方ない』らしいが、リリスは『だから嫁がいないんだ』とぷりぷり怒っていた。
そんなここ数回の収録でたまった不満をぶちまける為、こうやってお茶を飲みながらあれこれと話していたのだ。
そこで今日収録前にフィアがルシファーの城に行った話になった。何故城に行ったのかと聞かれ、フィアはついうっかりシェイドから聞いた話をしてしまったのだ。
しまった、と思ったが相手はリリスである。秘密にしてくれと頼めば大丈夫だろう。
「禁じられた恋はいいですけどね。リリスさん、声大きすぎ。少し静かに喋ったほうが良いですよ。聞かれるとなんですし」
モラクスの声が聞こえ、フィアとリリスは慌ててそちらを見る。
すぐ近くの観葉植物の陰になった所に彼は立っていた。少し呆れたような表情を浮かべている。
「ちょっと! 女子同士の恋バナを邪魔しないでちょうだい!」
リリスが怒るとモラクスはやれやれと首を振り、フィアに聞いた。
「神様、お隣よろしいですか?」
「うん」
「じゃあ失礼します。あのねぇ、リリスさん。恋バナって言うより、ただのうわさ話ですよ、それは」
近寄って来たウェイトレスにモラクスはコーヒーを頼む。そして、それが運ばれてくるまで黙っていた。
コーヒーが運ばれ、ウェイトレスが立ち去ったのを見届けてから彼は再び口を開く。
「うわさ話でもあまり大きな声で話して良い内容ではありませんよ。リリスさん、あなたなら分かるでしょう?」
「う……そ、それはそうだけど……」
フィアは首を傾げた。
どうしてだろうか。これが『すきゃんだる』というやつか。
「神様。疑惑のかかっている魔族、何ていいましたっけ?」
「カイムだよ」
驚いたことにシェイドが探していたのは、昨日書類を持って来てくれたカイムだった。他にも何人かの魔族がアンブラーを訪れていたが、短期間で複数回訪れているのは彼だけだ。
「カイム……聞いたことないわね」
「ベルゼブブの秘書官だって言ってたよ」
「うーん……。やっぱり私は知らないかも……」
リリスは首を傾げる。そんな彼女にモラクスが言った。
「まあ、間違いなく第三次天使計画で生まれた者じゃないですかね。第二次だったら我々も知ってるでしょう」
「そうね。でも第三次でベルゼブブ様の秘書官だなんて大出世じゃない?」
「そうですねぇ。ですが、あなたが大声でわめき散らしていた恋バナが露見したら、その立場も危ういですが」
「誰が大声でわめき散らしてたって言うのよ!」
「それですよ、それ」
モラクスはやれやれとため息をついて、コーヒーを飲む。
「ねえねえ。第二次とか第三次って何?」
「え、ああ。先代の神様が我々を創られた時の話です。第一次天使計画から第三次天使計画まで時期を分けて、我々は創造されています。詳しくはミカエル殿に聞かれた方が良いかもしれません。私より詳しいですから」
モラクスの説明にフィアはそうかと頷いた。
「私とモラクスは第二次天使計画で生まれたんです」
「そうなんだ。でも、モラクス。なんでコイバナって言うのが露見したらカイムは立場が危ういの?」
フィアはリリスに頷き返し、先ほどモラクスが言った気になる言葉について尋ねる。
彼は周りを注意深く見回した。そして誰もこちらに注意を向けてないのを確認してから、フィアに説明する。
「我々魔族は人間との婚姻を禁止されておりますので。たとえカイムという者がそこまで思ってなくても、ベルゼブブ様は厳しいお方です。何の処分もないとは言い切れないでしょう」
「ふぅーん。そうなんだ」
「そうよねぇ」
「だから、リリスさん。あなたが大声であんな事話しているのが誰かに聞かれて、週刊誌にでも書かれたら大変ですよ」
「わ、わかってるわ」
「神様も。私もリリスさんもそんな事を吹聴してまわったりしませんが、誰が聞いているか分かりません。どうか気をつけて下さい」
「わかった」
フィアはコクコクと頷く。
どうやら自分が思っていた以上に重大な話らしい。気をつけなければならない。
フィアはココアを飲みながら、自分に言い聞かせた。
***
シェイドは足早に家に戻っていた。
ドキドキクッキングの収録を終えたフィアがそろそろ戻ってくる時間なのだ。
今日は町内会の会合があり、公民館へと出掛けていた。定例会ではなく、緊急の会合で不思議に思った。公民館には自警団の者がいて重々しい雰囲気であった。
だが自警団の話を聞けばそれも納得だ。最近周辺の街で女子供が行方不明になると言う。いつここアンブラーでも同じ事件が起こるか分からない。だから各家庭も注意を、ということだ。
「フィアにも言っとかないとなぁ」
知らない人についていくな、と。のほほんとしている子だから要注意である。
もっともフィアを力づくで連れて行ける者などこの世に存在しないだろうが、念のためだ。
本人はお菓子などでつられるだろうし、誘拐犯はエルフかハーフエルフの幼児だと思うだろう。誘拐犯どもが珍しいエルフの幼児に目をつけないはずがない。
今回の誘拐犯はさらった者を奴隷として売っているとシェイドは考えている。
各教団は奴隷売買を禁止している。だが六つある教団のうち、闇の教団は影響力が弱い。他の教団ほど僧兵を用いた取り締まりを厳しく行ってもいない。
だからこの大陸で人をさらって、他の大陸の闇市で売りさばいているのだろう。
いつの時代も馬鹿な人間はいなくならないものだ、とシェイドはため息をつく。勇者として自分は魔物とずっと戦ってきた。だが同じ人間の犯罪者を相手にすることはあまりなかったのだ。こうやって同じ人間の愚かさを目の当たりにするとウンザリしてしまう。
勇者時代一緒に旅をしていたルクスやグレンからは『人間の悪意に慣れてない』とよく言われたものだ。自分ではあまりそうは思わない。勇者として都合よく利用されることが多かったから、人の悪意から目を背けていただけだと自分は思っている。それを正視してしまえば、人間の為に働くのが嫌になってしまうのを分かっていたのだ。
シェイドは小走りで家のすぐ近くまで来て気がついた。家の前に誰か男が一人立っている。
長い茶色の髪を一つに結び、漆黒の外套を着た男が振り返った。
「ベルゼブブ」
思わぬ客人にシェイドは驚き、その名を呟いた。
「少し用があってな」
「俺に?」
魔王が自分に用事とは何事だろうか、と疑問に思いながら家の鍵をあける。そしてベルゼブブを家の中へ招き入れた。
「悪いな。町内会の集まりがあったんだ」
「いや。こちらも連絡すれば良かったんだが」
茶の間へ案内し座ってもらう。そしてお茶を出した。
「で、用事とは?」
彼の向かいに座って、ここを訪れた用件をたずねる。
「勇者、お前が神様に調査を依頼した件だ」
「え、ああ……。フィアはお前に頼んだのか?」
「いや。私はたまたまルシファー様の城にいて、その話を聞いた。お前が頻繁にここアンブラーを訪れる者を探していると。文官が尋ねても神様はそれ以上の理由を言わなかったと聞いて疑問に思ったのだ」
「なるほど。まあ、色々ご近所のからみであったんだ」
シェイドはベルゼブブの真意がわからず、とりあえず曖昧な説明する。
ベルゼブブは出された茶を一口飲んで頷いた。
「なるほど。それはもういい。私の方で調べはついている」
「へ?」
思いがけない言葉にシェイドは驚いた。
「ここを頻繁に訪れているのは私の秘書官だ。名をカイムという」
「そ、そうか……。調べはついてるってのは?」
「本人に尋問した」
シェイドはさっと青くなった。
尋問。
シェイドの脳裏に見知らぬ魔族が拷問され色々と聞き出される姿が浮かぶ。魔族の、それも魔王による尋問などたちが悪い。色々と悪い想像をしてしまう。
神よ、と心で思わず呟いた。だがのんきにチョコレートを齧るフィアの姿が頭に浮かび、あまり効果がなかったのであった。




