悩める元勇者
シェイドは落としそうになった湯のみを持ち直し、一口飲んでから卓に置いた。
「私もその魔族に会ったことはありません。ですが娘と魔族の男が一緒にいるのを見かけられているのです。それが度々で、しかも二人があまりに親しげであると……」
「はあ……お嬢さんご本人は何と?」
「それが、これもお恥ずかしいことなのですが……私も気が動転するやらで、娘にちゃんと話を聞くこともなく、一方的に叱りつけてしまったのです」
年頃の娘を持つ、ましてや聖職者の父親ならばそれも仕方ないのかも知れない。
自分は息子しかいないから想像でしかないが、一人娘に男が出来たなんて聞けば色々心配するだろう。ましてや、それが人間じゃなければ尚更だ。
そこでシェイドは目の前の悩める聖職者が自分と同じやもめであった事を思い出す。娘と彼の間に入る者もいない訳だ。
この後チムノー司祭が言い出すであろうことを想像し、シェイドは胃が痛くなった。
「そうしたら娘が自分は誑かされてなどない、知りもしないのに勝手な事を言うなと家を飛び出して行ったのです」
「もしかして昨日は……」
「ええ。ご想像の通り、飛び出した娘を追いかけていたところだったのですよ」
「それで、お嬢さんは?」
「あの子の友人の家に。今もですが……」
迎えに行ったが拒絶されたらしい。哀れな父親はがっくりと肩を落とす。
「なるほど」
シェイドはとりあえず頷いておいた。
すると、今まで落ち込んでいたチムノー司祭がぐっと身を乗り出してくる。思わずシェイドを身を後ろに引いた。残念な事に椅子に腰掛けている為、たいして後ろに下がれなかったが……。
逃げ損なったシェイドの手をチムノー司祭がぐっと握る。そして懇願するように言った。
「勇者殿、私の娘と話をして説得しては頂けませんか?」
「へ……いや、その……」
「どうぞ我が娘を魔の手からお救いください!」
シェイドは断ろうとした。
何故ならば恋愛なんて当人同士の問題だからだ。確かに自分は勇者だが……今回の話は勇者のお役目には入らないだろう。
第一、司祭の娘も自分の話を聞き入れるとは思えない。例え勇者と言えど、近所のおっさんに過ぎないのだ。
恋する娘がそんな相手からあれこれ言われて、はいそうですかと男と別れる訳がないのだ。
相手である魔族の男が誰かはシェイドには分からない。そしてその男にとって彼女との事が本気なのかただの遊びなのかも分からない。
そんな中で自分に言えることは何もないのだ。
だが断る為に口を開きかけたシェイドは、とある可能性を思い出した。そして言いかけた言葉を飲み込む。
人間と魔族。自分には関係ないと言い切れない可能性を思い出し、冷や汗が流れた。
「あの……お嬢さんは……」
「何でしょう?」
首を傾げるチムノー司祭にシェイドははっと我に返った。そして言いかけた言葉を仕舞い、別の事を尋ねる。
「いえ、お嬢さんが今いらっしゃるご友人宅の場所を教えて頂けますか?」
「もちろんです」
「とはいえ、お嬢さんとお話しする前に相手の魔族の事を調べようと思います。ですので少しお時間頂けますか?」
チムノー司祭は安心したように頷いた。
シェイドは彼の娘ミリアムの友人宅の場所を聞き、神殿を出た。家への道を歩きながら、厄介な事になったものだとため息をつく。
シェイドが恐れる事はただ一つ。
人間と魔族の間に生まれた子どもはいずれ異形化する。その時期がいつ訪れるかは分からない。だがそれが早いか遅いかの差があるだけで、必ず混血児は魔族の血の影響で化け物と変わるのだ。
魔族との混血児は人間とエルフの混血児であるハーフエルフとは違う。特別何も力を持たず生まれ、いずれ化け物に成り果てる。
果たして司祭の娘ミリアムはそれを知っているのだろうか。
シェイドは先ほどチムノー司祭に聞こうとした言葉を思い出した。そして苦笑してしまう。
さすがに『お嬢さんとその男の関係はどこまで進んでいるのか』は我ながらないな、と。
そもそもそんな事を父親である彼が知ってると思えない。そんな事を聞いた途端、生真面目な聖職者は倒れてしまうかもしれない。
だがいくら父親の方に聞けないからと言って、ミリアム本人にそれを聞くのはもっと抵抗がある。
シェイド自身が興味本位で聞いているのでなくても、彼女からすれば嫌だろう。若い娘に何このおっさん、変態、などと思われるのはシェイドだってごめんだ。
まずは相手の魔族を調べることからだ。
司祭の娘ミリアムと話すより、そいつと話す方がてっとり早い。
シェイドからすれば、二人が清い交際だろうが深い交際だろうが知った事でない。更に言うならば、魔族の男の方が本気でも遊びでもどうでもいい。
だが万が一の可能性を考えると、どうでもいいと知らんぷり出来ない自分がいる。
大体、魔族の男の方は全て分かっているだろうに……。
憤懣やる方ないシェイドは足音荒く家への道を歩いたのだった。
***
フィアは天界にある神の城の中庭で『世界』の修復を行っていた。
ぺたぺたと漆喰を塗っているとお腹が鳴った。
「お腹空いちゃった……」
そう言えばもうそろそろお昼ご飯の時間だ。フィアは創造の力で創り出した世界修復道具を片付け、手を洗いに行く。
今日はシェイドにお弁当を作ってもらっている。それをここで食べるのだ。
フィアは自宅そっくりの『世界』の縁側に腰掛ける。そして持って来た弁当を開いた。
「カラアゲだ!」
思わず笑みを浮かべた。今日のお弁当はお握りとフィアの好物カラアゲだ。他のおかずにも嫌いな物は入ってない。
フィアは上機嫌でお握りを食べる。昨日福引で当てたイネノミを炊いたご飯で作ったお握りはやはり美味しい。
そしてフィアの好物のカラアゲは衣がからっとしている。ドキドキクッキングでフィアもカラアゲを作った事があるが、こんな風にはならなかった。肉にしっかりと味がついているのもたまらない。
水筒からお茶を注いで一口飲んだ時、フィアは声をかけられた。
「神様」
フィアはコップになっている水筒の蓋を置いて、自分に呼びかけた者を見た。少し離れた場所にいる彼は見知らぬ魔族だ。
「だれ?」
「お食事中に申し訳ありません」
「別にいいけど……」
「ベルゼブブ様にお仕えしております。秘書官のカイムと申します」
「秘書官?」
フィアは首を傾げた。
確かにベルゼブブには執務補佐官なる者がいた。フルーレティと言う名の執務補佐官は知っているが、カイムとやらは初対面である。
「はい。フルーレティ様の部下になります」
カイムの言葉にフィアはなるほどと頷いた。
彼はフィアに近づくと手にした封筒を差し出す。
「ベルゼブブ様からです。人間との契約書をお届けに」
「あ、そっか。ありがとう」
フィアはカイムから受け取った封筒の中から書類を取り出した。
魔界では人間界への干渉に関して厳しい取り決めがある。遊びに行ったりするのは簡単な報告だけで構わないが、人間と契約した場合は契約書を提出しなければならない。その契約に関してもあれこれ取り決めがあるのだ。
フィアが復活した際に魔界で許可を受けた契約書を天界へも提出することが決められた。とは言っても、フィア自身は流し読みする程度だ。
「んーと……契約者アスタロト。ありゃ、何でベルゼブブの所から来たの?」
アスタロトが契約者ならばルシファーの承認印がいるはずだ。ルシファーの承認印をもらった物をここまで持ってくるのは彼の部下だ。いつも来るのはメフィストフェレスかルキフグスロフォカルスあたりだ。
しかしこれを持って来たのはベルゼブブの部下である。
フィアの問いにカイムは苦笑した。
「ベルゼブブ様の書類を届ける予定があったので、頼まれたのです」
フィアは契約書にルシファーのサインがあるのを見て頷いた。そう言えばルシファーは仕事を溜め込んでいた。怒りに顔を引きつらせたベルゼブブはルシファーの城に泊まり込んで、彼の仕事を手伝いながら自分の仕事もやっていたはずだ。
ご苦労な事である。
その影響がこの秘書官にもやって来たのだろう。
フィアは契約書の文面を眺め、意味のわからない言葉を見つけた。
「ねえ、チジョーのもつれって何?」
「えっ?」
フィアは目の前のカイムを見上げる。
主であるベルゼブブと同じように真面目そうな青年はたじろいでいる。フィアはカイムに詰め寄った。
「だってここに書いてるよ。チジョーのもつれから来る恨みを果たすためって」
フィアはアスタロトと人間の契約書をカイムに突きつけた。
一体チジョーのもつれとは何なのだ。
「そ、それはですね……」
「それは?」
「好きあった男女がうまくいかず喧嘩したと言うか……」
喧嘩か。なるほど。
フィアは頷き、封筒に書類をしまった。これはミカエルに保管してもらうのだ。
その様子を見届け、カイムは一礼する。
「もう帰っちゃうの?」
「はい。それにしても天界も変わりましたね」
「そう?」
「ええ……」
そう言えばメフィストフェレスも似たような事を言っていた気がする。何故城の中庭に家があるのか、とか。城の前にお菓子の家が並んでいるのは変だとか……色々と騒いでいた。
フィアはカイムがじっと『世界』を見ていることに気付いた。闇の大陸の様式は人間界でも珍しい。魔族の彼には余計に見慣れないものだろうから、そのせいかも知れない。
じっとフィアが自分のことを見ているのに気付いたらしい。カイムは慌てて一礼し、今度こそ本当に去っていった。
フィアはそれを見送ると再び昼食に戻った。
***
「あーあ。何で俺はこんなに厄介な事ばっかり巻き込まれるんだろうなぁ」
一人ぼやきながら、シェイドはケーキを作っていた。今作っているのは、おやつの時間に帰ってくるフィアの為のケーキである。
司祭の娘ミリアムに近づいている魔族の男。それが誰か知るにはフィアの協力が不可欠だ。ここはフィアの好物を用意して、協力を頼もう。
ムギノミ粉と膨らし粉、ほんのちょっとの塩と香り付けに香辛料のシンナムを合わせておく。そしてフィアの大嫌いな橙色の根菜、赤サティウスを摩り下ろし始めた。
何の皮肉だろう。フィアの大好きなこのケーキは彼女の嫌いな野菜のケーキなのだ。
まあシェイドが野菜のケーキとしか告げてないのだから仕方ないのかもしれない。その切り口の橙色を見て、フィアは勝手にナンキンのケーキだと思い込んでいる。
そもそもこのケーキを思いついたのはヴァイスの子供の頃だ。身体には良いが子供の大嫌いなあの根菜を何とか食べさせようと考えついたケーキなのである。
表面はサクッと、中はしっとり、素朴な甘みのこのケーキはシェイドの企み通り、子供の頃のヴァイスとフィアのお気に入りだ。シンナムの香りで赤サティウスの匂いもしない。二人が騙されるのも当然である。
卵と砂糖を摩り下ろしと混ぜ、そこに魔界で最近発売された製菓用ごま油を加え、更に混ぜる。
「温度は……オッケーだな」
最近新しい物に買い換えた魔道具オーブンはさっきからあたためている。ケーキの型も油を塗り、粉を振って準備万端だ。
シェイドは摩り下ろし等を混ぜたものに、最初に混ぜて準備しておいた粉を振るう。そしてさっくりと混ぜ、型に流し込んだ。
型をオーブンに入れ、焼き始める。あとは生クリームを準備するだけだ。
そろそろ焼きあがるかという頃フィアの声が聞こえた。
「ただいまー。シェイドー、フィア帰ったよー」
シェイドは慌てて使わなかった赤サティウスを隠す。これがばれたら大変だ。
そして何食わぬ顔で、ぴょこぴょこと軽い足取りで台所に入ってきたフィアを迎えた。
「おかえり、フィア」
さて、どうやってフィアに協力を頼もうか。
そもそも他人の色恋沙汰を小さな子どもにどう説明するか。協力してもらうのに全く事情を説明しない訳にもいかないだろう。
シェイドは自分は本当に貧乏くじだ、と思った。




