悩める父親
魔法研究都市アンブラーにある夕暮れ商店街では新年の大売り出しと福引が始まった。年に何度かある福引の中で最も規模の大きな福引である。
今日は抽選会の初日だ。商店街で買い物をし、補助券や福引券を手にした者たちが抽選会場に並んでいた。シェイドとフィアも二人仲良くその列に並んでいる。寒い中かなりの人数が並んでいる事もあり、甘酒が無料で配られた。シェイドとフィアはそれを飲みつつ、自分たちの順番が来るのを待っているのだ。
そしてとうとう、自分たちの前にいるのは一人だけになった。否応なしに緊張感が高まる。シェイドはフィアを見下ろして言った。
「次だな」
「あのがらがらで当たりが決まるんだ?」
「そうだ。俺の代わりに頼んだぞ!」
フィアは目の前の客が抽選器の取っ手を掴みまわしているのを真剣な眼差しで見つめた。
「お次の方どうぞ!」
前の客は末等が当たったようだ。前の客が立ち去ると同時に係員に呼ばれる。
「よし、フィア……頼んだぞ」
シェイドの言葉にフィアはコクリと頷いた。
二人は抽選器の前まで進み出る。抽選受付の係は商店街で顔なじみの男だ。シェイドは彼に福引券を手渡した。
「勇者さん、今年こそは……!」
受付の係にシェイドは重々しく頷き返す。今年こそスカ減らしの名は返上だ。末等でも構わない。必ず当ててみせる。
「では、どうぞ」
フィアの身長では抽選器の取っ手に手が届かない為、シェイドは彼女を抱え上げた。フィアが抽選器の取っ手を握り、まわした。ガラガラと抽選器のまわる音、玉と玉がぶつかり合う音が聞こえる。息をのみ見守るシェイドには、その回転があまりにもゆっくりに感じられた。
ぽろりと抽選器から飛び出した玉が転がる。その色は金色だ。その色を見た途端、受付の係はすぐそばに置いていた当たり鐘を掴み取った。そしてそれを鳴らし始める。
「一等! 一等が出ました! 一等!」
「シェイド、一等だって!」
「やったな!」
「勇者さんがとうとう当てたぞ!」
「はじめてじゃないか?」
「しかも一等!」
周囲の人間もシェイド達が一等を当てたことにざわめいている。受付の係は当たり鐘を置くと、シェイドの空いている方の手を握って言った。
「勇者さん、とうとうやりましたね……! おめでとうございます!」
シェイドがここに引っ越して来て十八年程だが、福引で何かを当てたのは今回が初めてだ。目の前の男もそれを知っている。
シェイドも感極まって男の手をぐっと握り返した。周りの別の客たちからも拍手が起こる。とうとう当たりを引いた。それも一等である。
やはり運の悪い自分が引かなくて正解だ。
そんな事を思っていると、シェイドの片腕で抱えられていたフィアが言った。
「ねえねえ! 一等って何?」
「え、ああ! 一等はですね。最高級ドロヌマ産イネノミです!」
係員はイネノミの入ったフクロを指差した。フィアはそれを見て瞳を輝かせる。
「シェイド、ご飯だよ!」
「しかも最高級ドロヌマ産だ!」
普段買っているイネノミより遥かに高級なそれにシェイドは頬が緩んだ。
その後フィアは残りの福引券の分、抽選器をまわした。結果は残念ながら全て末等だ。だが景品が菓子であった為、彼女は上機嫌である。
二人は軽やかな足取りで商店街を歩き、自宅へと帰っていた。途中乾物屋に寄り、ちょっと上等なコブとカレブシを買う。
炊き込みご飯にしても勿論美味しいだろうが、良いイネノミはそのまま炊いて味わうのが一番だろう。そしてそのお供に最適なのは美味いみそ汁だとシェイドは思っている。
美味いみそ汁を作るには美味い出汁だ。みそは年末に良いのを買っている。
コブとカレブシの包みを持って店の外に出たら、背後から声を掛けられた。振り向くと闇の教団の司祭が立っていた。
「勇者殿、あけましておめでとうございます」
「チムノー司祭、あけましておめでとうございます。お久しぶりですね」
チムノーは数年前ダンケルハイトの大神殿からアンブラーの神殿に異動してきた。シェイドの家の近所に住み、同じ町内会である。彼には確かヴァイスと同じ歳の娘が一人いたはずだ。
「チムノー司祭も買い出しですか?」
「いえいえ、これから娘を迎えに……」
「そうなんですね」
そこでシェイドは年末から神殿に聞こうと思っていたことを思い出す。
自分の養父母についてだ。彼らがどうしているのか教えてもらわねばならない。その為にはダンケルハイトの大神殿に問い合わせてもらわねばならないのだ。
初詣の時に神殿には行ったがあまりに混み合っていた。そんな中で聖職者を呼び出して、個人的な依頼をするのは躊躇われた。その為、まだ神殿に頼んでいなかったのである。
シェイドはチムノー司祭に調査を頼もうかと口を開きかけ、やめた。彼は今日休みだろう。休みを邪魔すべきではない。やはり改めて神殿を訪れ、依頼すべきだ。
シェイドが何かを言いかけたのに気づいたらしい。チムノー司祭が問いかけるように首を傾げる。
シェイドは慌てて弁解した。
「すみません。神殿に行く予定を思い出して……つい」
「そうですか。勇者殿が神殿にいらっしゃるとは……ダンケルハイトへ御用でも?」
シェイドはずっと養父母がいるであろうダンケルハイトの大神殿を避けてきた。何か用事があるときは必ずアンブラーの小神殿に間に入ってもらっていた。
チムノー司祭もそれを知っている。もちろん、シェイドが何故大神殿を避けるのかは知らないだろうが。
「ええ、ですので明日にでも神殿に伺います」
「そうですか……お待ちしております」
「では」
シェイドはチムノー司祭に背を向け、フィアを連れて歩き出した。だが数歩も行かない内にチムノー司祭に呼び止められる。
「勇者殿!」
「へ?」
その声に切羽詰まった雰囲気があり、シェイドは驚いて振り向いた。
チムノー司祭は若干気まずそうな顔をして言った。
「あ、申し訳ない。実は私も勇者殿にご相談したいことがありまして。明日、神殿にいらっしゃった時お話しさせて頂きたい」
「え、ええ。俺でよければ」
「ありがとうございます。では明日……」
チムノー司祭がほっとした表情で礼を言い、その場を立ち去る。
その姿を見送りながらシェイドは首を傾げた。あの司祭が自分に相談とは一体何事だろうか。
じっと黙って聞いていたフィアが言った。
「あのおじさん、どうしたのかな」
「うーん……わからん」
厄介事じゃなければ良いがと思いつつ、シェイドはフィアを連れて今度こそ家へ向けて歩き始めた。
***
「火の用心! 炭一本が火事のもと!」
フィアが拍子木のように何かを打ち鳴らし、夜回りの真似をしている。
シェイドはそれを聞きながら台所で夕食の準備をしていた。今日は美味しいご飯とみそ汁、焼き魚に野菜の煮物だ。
カレブシを削ろうと今日買ってきたそれを探す。
「あれ? おかしいな……この辺に置いてたんだけど」
作業台の上に置いていたはずのカレブシが消えている。シェイドは視線を巡らせた。だがどこにも見当たらない。
家中を歩き回り、夜回りの真似をしているフィアの声が近づいてきた。そして台所の前の廊下までやって来たフィアが、方向転換して台所の中に入ってくる。シェイドの目の前で立ち止まった。
「火の用心ですよー!」
なんちゃって夜回りフィアが拍子木がわりにしている物にシェイドの視線が釘付けになった。
探しているカレブシがあった。
二つ買ってきたそれはフィアの両手に握られている。
「ええっと……」
シェイドはどうやってフィアからカレブシを取り戻すか頭を働かせる。
返せと言って簡単に返してもらえれば苦労しない。子どもは気に入った物をなかなか手放さないものだ。
「フィア」
「なあに?」
「それな、食べ物なんだ」
シェイドは地道に説得することにした。取り戻す良い案を思いつかなかったのだ。
フィアは手にしたカレブシをまじまじと眺め、カレブシをコンコンと叩いている。そしてシェイドを見上げて言う。
「こんな硬いの食べられないもん」
やっぱりそう来るかとシェイドは思った。だがここで負けては折角買って来たのが無駄だ。
ふとそこで思いつく。
「それはな。削って食べるんだ。ほら」
シェイドは作業台に準備しておいた削り器を見せる。フィアを手招きし、近寄って来た彼女を作業台の椅子に座らせた。
お手伝い作戦だ。きっとフィアはカレブシを削る作業を気に入るに違いない。
「これで削るの?」
「そうだ。ちょっと貸してみろ」
シェイドはお手本にカレブシを削って見せる。それを終えると削り器の引き出しを開け、削られたカレブシ見せてやった。
フィアは瞳を輝かせている。
どうやら自分の作戦は成功したらしい。
「フィアもやる!」
「ん、ああ。今日使う分だけな。明日の分は明日削ってくれ」
フィアはうんうんと頷きながらカレブシを削り始めた。
何とかフィアからカレブシも取り戻し、シェイドは無事夕食を作りあげる事が出来た。フィアはカレブシを削った後、茶の間で楽しみにしていた夕方のテレビ番組をみている。
シェイドは茶の間へ行き、卓上を片付けてから夕食を運んだ。
「フィア、ご飯だぞ」
「んにゃ」
二人は向かい合い食事を始めた。
シェイドはまずみそ汁から飲む。やはり出汁が美味いだけあってみそ汁も美味い。そして今日の戦利品、最高級ドロヌマ産イネノミを炊いたご飯を一口食べる。先にご飯を食べたフィアが感嘆の声を上げた。
「美味しいね!」
フィアの言葉にシェイドも頷いた。ただの白いご飯だが、やはりその味はいつものイネノミと全然ちがう。
「ねえねえ、シェイド。フィア明日、天界でお仕事するんだ。だからお弁当作って欲しいな」
「分かった。お握りか?」
「うん!」
このご飯で作るお握りは美味しいに違いない。あえて具は何も入れずに作るかと考える。
「シェイドは明日神殿に行くの?」
「え、ああ」
そこでシェイドは思い悩んでいる様子のチムノー司祭を思い出した。
どんな相談をされるのだろうか。
それを考えると、シェイドは少し気が重くなった。
***
翌朝弁当を持って天界へ行くフィアを見送った後、シェイドは家を出た。予定通り、神殿に行くのだ。
神殿の入り口で僧兵に話しかけるとすぐに奥へと案内される。客間に通され椅子に座って待っていると、程なくしてチムノー司祭本人が部屋に入ってきた。
「お待たせしました」
「いえ」
チムノー司祭はシェイドの向かいの椅子に腰をかける。そしてシェイドに尋ねた。
「まずは勇者殿のご用件をお聞きしましょう」
「はい。俺の養父母のことで。あの二人は教団の人間だったはずですが、今どうしているか分かりますか?」
「残念ながら、私には……。ダンケルハイトの教団本部に問い合わせれば分かりますので、確認させましょう」
「ありがとうございます。俺の頼み事は以上です。ところで……司祭のご相談とは?」
シェイドの質問にチムノー司祭は瞳を伏せた。しばらくその状態で黙っている。どう話すか考えているのか、はたまた相談したいと言ったものの話す事を躊躇っているのか。シェイドは彼が話し始めるのを待った。
しばらくの沈黙の後、やっとチムノー司祭は顔を上げる。そして口を開いた。
「勇者殿は私の娘ミリアムをご存知でしょうか?」
「うちの息子と同じ歳のお嬢さんですね。最近お会いする機会は殆どありませんが存じていますよ」
「その娘のことなのです」
シェイドは困惑しながら頷いた。
司祭が相談と言うから、てっきり魔物や出来損ないエルフ、ウロボロスや神のことに関してかと思っていた。まさか彼の娘の相談をされるとは青天の霹靂だ。
「お嬢さんの事とは?」
「お恥ずかしい話ながら……娘が魔族の男に誑かされ、夢中になっているのです」
想像もしていなかった言葉にシェイドは手にした湯のみを落としかけた。




