異界の神
「いやいやいや! お前達おかしいだろ? 何でこの状態で肉の方を心配してんだよ! いきなり室内からこんな訳分からんとこに来た事の方を心配しろよ!」
シェイドの言葉にフィアは周囲を見渡した。
だが霧のせいで見通しが悪い。
今、自分は素足で柔らかい草の上に立っている。今まで畳の間にいたから、当然この場にいる者たちは皆靴を履いていない。
何やらミカエルに言い返しているシェイドを見ながら、肉をたべる。
やはり美味しかった。この場所に連れて来られる前に慌ててとっておいて正解だ。
「に、肉が……」
「ルシファー様、お気を確かに」
「私はまだネギしか食べてないのだぞ!」
叫ぶルシファーをアザゼルがなだめている。
肉をもぐもぐやりながら彼らを眺めていたらルシファーと目が合った。
フィアが肉を食べているのに気づいた彼の目が変わる。
これはまずいかも知れないと、思った。あれは獲物を見つけた猛禽類の目だ。
ルシファーが自分へと一歩近づく。そしておもむろに口を開いた。
「神よ、お前は随分と肉を確保しているようだな」
フィアは口の中の肉を飲み込んだ。ここで負けてはならない。毅然とルシファーを見返して言った。
「これはフィアのだもん!」
そして彼が手にしている酒の瓶を指差す。
「ルシファーはそれがあるのに!」
そうだ。ルシファーの奴はここに連れて来られそうになったあの時、肉ではなく酒をとったのだ。
これは自業自得である。
それに酒があるのに更に肉まで寄越せとは図々しい。
フィアの指摘にルシファーは少し怯んだ。すこしどもりながら、言い返してくる。
「こ、これはだな。ほら他の連中も飲めるだろう! お前も私に肉を分けてくれてもいいはずだ!」
「フィアはお酒なんて飲めないもん!」
ぷいっと顔をそらす。
お酒は大人になってから。子どもの自分は酒など飲めない。あと百九十四年後のお楽しみだ。
フィアの反応にルシファーが言葉に詰まっている。
彼の様子に己の勝利を確信したその時、ミカエルと話していたはずのシェイドが呆れた表情でフィアとルシファーに声をかけた。
「まだ、肉の話してんのか? そんな事より何で室内からこんなとこに突然来たのか、ここがどこなのかって言う方が大切だろ?」
そんなシェイドの指摘に一瞬キョトンとしたルシファーとアザゼルが笑いはじめた。
シェイドが爆笑する魔族二人にむっとした表情を浮かべる。
「ははっ! 勇者、お前はなかなか面白いな!」
「ここがどこかって……過去か未来かは分からんが異世界に決まってんだろ? 時と空間に干渉する、いわば召喚の魔法に巻き込まれたんだから!」
彼らの言葉にフィアは納得した。確かに自分たちは不思議な時空魔法に巻き込まれた。過去であれ未来であれ別の世界ならば異世界だろう。もしかしたら過去でも未来でもない別の場所の可能性もあるが。
それにしても……時と空間に干渉し異世界から誰かを召喚する魔法なんて存在するのか。それも初耳だ。さすがルシファーもアザゼルも長生きなだけあって物知りだ。
勇者は本当に面白い奴だなぁと笑い合う魔族二人に、シェイドがわなわなと震えている。
「お前達……笑い事じゃないぞ。こんな異世界なんか連れてこられてどうする気だ? そこまで分かってて肉、肉言ってたお前達の方がある意味面白いぞ」
「いやいや、ここはさっくり魔法で帰ればいいだけだろ?」
ルシファーは笑い過ぎて目尻に浮かんだ涙を指で拭いながら言った。
その言葉にシェイドは若干表情をゆるめた。
「じゃあ、早く帰るべきだな。そうすりゃ肉、肉言わずともいいだろ?」
「我々の魔法では無理だ」
「ミカエル……お前やルシファーの魔法でも無理なのか?」
シェイドの問いかけにミカエルが頷く。
その時、フィアの足元から黒猫の姿をしたケイオスが話しかけて来た。
「神よ、いまこの場で魔法を使えるのはお前しかいない」
ケイオスの言葉にシェイドが驚いた様に振り返る。ミカエルだけでなくルシファーにもアザゼルにも驚きが見えないから、彼らはそれを知っていたのだろう。
「フィアしか魔法が使えないとは?」
「勇者よ、ここは先ほどルシファーが言った通り異世界……お前達の世界ではない。だからだ。お前達はお前達の創造主が創った法則の中に生きる存在。他の神の世界で魔法など使えん。その世界にはその世界の法則がある。神は創り出す側の存在ゆえにそういう縛りがないだけだ」
「なるほどなぁ」
うんうんと頷くシェイドにケイオスが続けた。
「場合によっては人間が魔法を使えぬ世界もあるのだ」
「ケイオス、全ての神や世界は混沌から生まれるんだろ。この世界が分かるか?」
「今の時点ではなんとも言えん。と、言うのも……この場所は何かおかしい」
彼らの話を聞きながら、フィアは肉の最後の一切れを食べ終えた。空っぽになった器を哀しげな眼差しで見つめる。
本来ならば、今頃もっとすき焼きを堪能していたはずなのに……。
その時、卵液の中に肉が泳ぐ器を差し出された。
フィアは驚いて顔を上げる。
器を差し出していたのはミカエルだった。
「神様、どうぞお召し上がりください」
「いいの?」
「もちろんです」
ミカエルから器を受け取り、ほんの一枚だけ入っていた肉を食べる。やはり美味しい。
上機嫌で肉を頬張るフィアにミカエルは言った。
「神様、我々を呼んだのがどこの痴れ者かは分かりませんが……見過ごしてはおけません。断じて!」
フィアは柔らかい肉を噛み締めその味を堪能しながら、ミカエルの言葉にうんうんと頷いておいた。
「神様をこのような場所に拉致するなど、許し難い! どうぞこのミカエルにご命令ください! この世界に神罰を!」
最後の一枚だから大切に食べねばとゆっくり味わいつつ、また適当に頷いておく。
「お……おい、フィア?」
「お子様神様! ミカエルが変な方向へ突っ走ってるぞ!」
「ルシファー、変な方向などではない。今回の一件は神様に対する侮辱にも等しい。神様……大罪人を見つけ出し、邪神と邪神の創ったこの世界もろとも滅ぼしましょう!」
フィアは散々味わった肉を飲み込んだ。そして何の話かちゃんと聞いてなかったが、ミカエルに頷き返す。
だがその時、シェイドとルシファーが進み出た。アザゼルは後ろで呆れた表情をして成り行きを見守っている。
どうしたのだろうかとフィアは首を傾げた。
「ちょっと待て!」
「大体ミカエル、何でこの世界の神やら世界そのものまで滅ぼす話になるんだ!」
その内容に思わずぽかんとしたフィアとは反対にミカエルはやれやれと首を振ると、ルシファーとシェイドに向き直る。
「お前達こそ何を言ってるんだ? 連帯責任という言葉があるだろう」
「何だ、その壮大な連帯責任……」
シェイドはもはや真っ青である。
ルシファーは顔を引きつらせながらミカエルに詰め寄る。
「いや、それにな。お前邪神って何だ? 一応この世界の神だろう、そいつも」
「ルシファー。神様はただお一人のみ。我々にとっての神様以外は皆邪神だ!」
ミカエルがきっぱりと言い切った言葉にルシファーはうなだれ手を額にあてている。
その時、上空でばさりと翼が羽ばたくような音がして全員が上を見た。周囲の霧が徐々に晴れていく。
「異世界の神よ、あなたのミカエルは随分と好戦的に見える」
その場の全員を空から見下ろし、笑いながら言ったのは青い目に青い髪の毛を持つ見知らぬ男だ。そして何よりその場の者達の目を奪うのは彼の背に生えている白い翼。
フィアは言葉を失った。何だこの鳥人間は、と。
ハルピュイアやセイレーンと言った魔物は見た事がある。だがあれらは全て女であり、これは男だ。
謎の鳥人間はフィアの目の前におりてきた。
「はじめまして、異界の神よ。私はアイテール、この世界の神……」
「何だ、こいつ?」
「ルシファー様、ハルピュイアの亜種かもしれません」
「神様! 危険ですのでお下がり下さい!」
「あー、フィア鳥人間からはなれてこっち来い」
シェイドがフィアの腕を引こうとしたその時、アイテールと名乗った鳥人間が咳払いをした。
「お前達、私の話を聞いているか? 私はこの世界の神だ、神! 鳥などではない! そちらの世界では神も天使も魔族も翼を持たぬようだな……まあ異界ならば仕方ない。そのような違いもあろう」
ほうほうとフィアは頷いた。
そう言えば自分たちの世界でも人間は天使や魔族が翼を持つと思い込んでいる。聖書や神殿には鳥人間のような天使の絵が沢山あった。
実際はフィアもミカエルも魔族たちも翼など持たない。だから人間たちのその勘違いはどこから来たのかわからなかった。
フィアが納得して頷いていると、その隣からミカエルが進み出た。
「邪神め、何用だ?」
『邪神』の一言にアイテールの顔が引きつる。だが次の瞬間には彼は取り澄ました笑みを浮かべた。
「いや。我が世界の中で特別なこの閉ざされた空間へ突如客人が現れたから挨拶に来たのだ。言葉が通じているようで何よりだ。先ほどはやはり異界の者だから魔法が通じず私の言葉が分からなかったのかと思ったが……まあそちらにも神がいるからな」
「特別な空間ってなあに?」
「異界の神よ。ここからあなたの力で出られるか試したか?」
フィアは首を横に振った。
ケイオスからここでは神である自分しか力を使えないと聞いたがまだ何も試していないのだ。
なるほど、とアイテールが頷く。その顔に浮かぶ笑みに何か嫌な予感がした。
「ここに出入り出来るのは私のみ。あなたの力でも出られまい。そしてこの空間はさほど持たぬ。あとどれ位かな……まあいずれにせよ消滅する予定だ」
「にゃっ! フィアたちはどうなるの?」
「先ほども言ったろう? ここに出入り出来るのは私のみだ。あなた方は出られない。つまりこの空間の消滅とともに消滅する」
「ちょっと待て」
アイテールの発言に言葉を失っていたフィアは背後から聞こえてきたシェイドの声に振り返った。
見れば、シェイドもルシファーもアザゼルも難しい顔をしている。
ミカエルだけがただ一人俯いていた。どうしたのだろうか。また変な事を言わなければいいがと心配になる。
「俺たちは誰かの魔法でここへと連れて来られたんだぞ? 出入り出来ない? おかしくないか?」
「そうだ。それにここはお前の世界だろう。神であるお前がここを自分以外誰も出入り出来ぬようしていると考えるのが自然だ。ならば我々が出られるようにする事も可能なはず。そもそも我々をここに連れてきたのはお前でないのか?」
ルシファーの鋭い問いにアイテールは笑みを深めた。




