墓参り
新年三日目。
台所で朝食後からせっせと作業をしていたシェイドは思わぬ客人を迎えた。
「で? どういった用だ?」
シェイドはどっかりと椅子に腰掛けたアザゼルにたずねた。
本来ならば魔界で年末年始の休暇を謳歌しているであろう彼が突然現れたのは、つい先ほどだ。もしかしてルシファー達の様に人間界で旅行でも楽しんでいるのだろうか。
「いや、おせち料理ってあるだろ?」
「ああ」
「もし残ってたら、食わせてもらおうと思ってな」
アザゼルは懐へと手を入れ、何か紙切れのようなものを取り出した。そしてそれをシェイドへと見せる。
「ま、もちろんタダとは言わねぇ。コキュートスの魔界健康ランド特別パスポートだ」
「そりゃどうも」
シェイドが紙切れを受け取ると、それは自分の手のひらに溶け込んだ。魔界健康ランドの入り口にある石板に手をのせたら、パスポート所持者であることが分かる仕組みである。
本音を言うと別にお返しは要らないくらいだ。元勇者宅では、そろそろおせち料理に飽きてきている。
あと少し残っているそれをどう片付けるか、シェイドはあれこれアレンジ料理のレシピを考えていたくらいだ。それを食べてもらえるならばありがたい。
しかしこの魔族は施しのようなことをされるのを嫌うだろう。そう思い、特別パスポートを受け取った。
更に言うと、シェイドもフィアも魔界健康ランドが好きだ。シェイドは温泉目当て、フィアは温水プール目当て。風呂につかったりプールで遊んだ後は、宴会場で美味い料理を食べる。二人それぞれが楽しめる休日の過ごし方である。
「残ってるのもあるし、なくなったのもあるぞ。クリきんとんとクロマメ、プロンの塩焼きはもうない」
「あるやつだけでいいんだ」
「そうか……ちょっと待っててくれ」
シェイドは重箱を取り出した。そして手早く作業台の一画を片付ける。ちょうどアザゼルが座っている真ん前だ。
「これなんだが……」
シェイドは残ったものを詰め直した重箱を彼に見せる。
「お、いいな。これがおせち料理か」
アザゼルは身を乗り出して重箱を覗きこんでいる。どうやらこれで問題ないらしい。
シェイドは取り皿とフォークを彼へ渡す。
そこでふと思いついた。
「餅も食べるか?」
「もらう、もらう!」
アザゼルは早速煮物をとり、食べ始めている。
実は餅も残っていて困っていた。雑煮も飽きたし、甘い餅にも飽きた。揚げ出し餅にしたり、白サティウスの摩り下ろしと柑橘の汁、醤油を混ぜたものをかけたおろし餅にしたり色々頑張ったが限界がある。
シェイドはアザゼルがこう見えて甘いもの好きだったのを思い出す。料理に合うかは別として、きな粉餅と餡子餅にすることにした。
ちょうど今シェイドはオハギを作っていたのである。きな粉も餡子も準備してあった。
シェイドはアザゼルと共通の知人である魔族たちの話をしながら手早く二種類の餅を作っていく。
「シェイド」
その時、いつの間に来たのかフィアがひょっこりと台所を覗き込んだ。
「どうした、フィア?」
彼女は茶の間のコタツで絵本を読んでいたはずだ。朝食を食べて間もないし、ジュデッカ製菓から入ってきた新製品のチョコレートを摘まんでいたからお腹が空いたと言うこともないだろう。茶の間には茶の入ったポットもある。
シェイドは出来上がった餅を皿に盛りつけアザゼルへと差し出し、フィアへと向き直る。
フィアはちょっとアザゼルに目を留めたが、彼を素通りしシェイドの目の前にまで歩いて来た。
「あのね。シェイドがね、お水流すところの掃除する時に使ってるの貸して欲しいの」
「水を流すところ……?」
シェイドは考え込む。該当する掃除道具はいくつかある。何種類もある洗剤のうちの一つか、はたまたブラシのような道具なのか。
「うん。ほら、お水が流れなくなったときに使うの!」
「ん、ああ! 排水管の詰まりをとるやつか。流しこんで、しばらく置いてから、また水で流す液体のことだろ?」
彼女にも分かるように説明すると瞳を輝かせ、うんうんと頷いている。どうやら当たりらしい。
だが、そこでシェイドは疑問に思った。排水管の詰まりを溶かす薬液をどうするのか。どこか詰まったのだろうか。
「どこが詰まった?」
家庭用だがあれも劇薬である。
人間ではないフィアにはどうと言う事はないのかも知れないが、子どもに使わせるのは躊躇われた。
「ここのおうちじゃないんだけど……」
「ここじゃない?」
「うん。ミカエルの使い魔が来てね。詰まったって言ってたから」
シェイドは益々訳が分からなくなった。
ミカエルから、と言う事は間違いなく天界の事だ。そして天界に詰まるような排水管などないだろう。
「なあ……フィア。よく分からんが、天界にはそんな排水管があるのか?」
フィアはぶんぶん首を横に振った。
「違うもん。お水じゃないもん。魂がね、詰まっちゃったんだって」
シェイドは思いがけない言葉に呆気にとられてしまう。
魂が詰まる。どこに?
そもそも魂は詰まるようなものなのだろうか。
二人の話をおせち料理を食べながら黙って聞いていたアザゼルがああ、と納得したような声を上げた。
「あれだろ。魂が人間界から天界へと入るときに通る管のことか?」
「そう、それ!」
「まあ、あれを管って言って良いのかは分からんが……」
「ミカエルはそう言ってたもん」
訳が分からないと言う顔をしているシェイドにアザゼルは説明をしてくれる。
死ねば魂は天界へと還り、そこで生前の記憶などを洗われ真っ新な状態となってから再び人間界へやって来る。それが転生の仕組みだそうだ。
その時、フィアの言う管のようなものを通って天界へと入り、先代の神が創った装置に入るのだそうだ。
その肝心の入り口で魂が詰まっているのだ、と。
「魂が詰まって、大渋滞なんだって」
フィアの言葉にシェイドは思わず唸った。
まさか人間界だけでなく、天界までも……。いやあれはこの時期にはつきものだ。明日、明後日あたりはピークだろう。
「帰省ラッシュか……」
「いやいや。勇者、それおかしいよな!」
「どこがだ。魂の故郷は天界だろうが」
「あーいや……何て言うか、もういいわ」
アザゼルはため息をついて、再びおせち料理に手を伸ばした。それを横目で見ながらシェイドはフィアに尋ねる。
「でもなぁ、フィア。魂って溶けるのか? あれは詰まってるのを溶かす薬だぞ。魂を溶かして良いのかって問題もあるが」
フィアはシェイドの言葉に眉を八の字に下げた。その顔には『困った』と書いてあるようだ。
「どうしよう。どうしたら良いのかなぁ」
フィアの呟きに餅を飲み込んだアザゼルが事も無げに言った。
「あの魂の装置は古いからなぁ。いい加減ガタがきてんだよ。修理できないなら、神様の力で新しく創り直した方がいいんじゃねぇの?」
「修理……」
「ちょい待て。俺も行く。天使時代にちょっとは弄ったことあるしな」
どうやら魂が溶かされる危機は去ったらしい。
シェイドは何に使うのか聞いて良かったと胸を撫で下ろした。
「ねえねえ、アザゼル。修理とか創り直すのって時間かかるかな?」
「いや。人間みたいに手作業でやる訳じゃないしな」
フィアは安心したように笑顔になり、シェイドへと振り向いた。
「シェイド、お昼ごはんまでには帰れると思う。フィアもちゃんとお墓参り行けるよ!」
「そうか。じゃあ待ってるよ」
シェイドはフィアにうなずき返した。
今日は昼食後、亡き妻の墓参りに行く予定だったのだ。あと何日かで別大陸へと戻る予定のヴァイスが望んだのである。
今作っているオハギは妻の好物だった。だからお供え物はこれがいいだろうとシェイドは考えた。そういう訳で朝から二種類のオハギを作っていたのだ。
最初の予定ではヴァイスと二人で行く予定だった。だが朝食の時にフィアに話したら、自分も行きたいと言い出した。その結果三人で行くことが決まったのである。
「よし、ご馳走さん」
「どういたしまして」
「じゃあ、アザゼル行こう!」
フィアは元気良くシェイドにいってきますと告げる。そしてアザゼルと共に転移魔法でその場から消えた。
***
フィアは昼食の準備を始めたころに一人で帰ってきた。
魂詰まりの問題はどうなったかと聞いたところ、先代の神が創った装置を新しく創り直したと言う。
『んーとね。ドラム式で水流強めだなってアザゼルが言ってた』
シェイドにはよく分からない話だが、とりあえず問題ないようだ。
無事問題も解決し、元勇者宅は三人揃って昼食をとった。そして今、亡き妻の墓参りへ向かっている。お供え物のオハギと花、掃除道具や線香なども忘れずに持って来た。
とりとめもない話を三人でしている内に墓所に到着した。
木桶に水を組み、柄杓と共に墓石の前にまで持っていく。
フィアは柄杓が気に入ったらしい。桶から水を掬ってはまた注ぐを繰り返している。子どもは水遊びが好きだから仕方ないとシェイドは諦めた。
「じゃあ、まずは掃除から始めるか」
シェイドは掃除道具を取り出し墓石とその周りの掃除を始めた。先ほどまで遊んでいたフィアは、言われた通り熱心に布で墓石を磨いている。シェイドとヴァイスは雑草を刈ったり、掃き掃除をした。
程なくして掃除は終了した。
シェイドは花立てに水を入れる。そして花を飾った。これは天界でフィアが摘んで来てくれた花だ。天界の花はまるで空のような美しい青である。
敷紙を折り、その上にお供え物を置く。紙の箱におさめたオハギだ。
シェイドはロウソクに火をつけ、そこから線香を点火し香炉に立てた。水を墓石へとかけ、しゃがみ合掌する。
妻が死んで四年近く経った。
彼女はもう何処かに生まれ変わっているだろうか。彼女の次の生の幸福を祈った。
シェイドは立ち上がり、息子と交代する。
その後ろ姿を見ながら思った。
親である自分や妻と繋いでいた手は離れ、その手はいずれ伴侶と繋がれる。そしてヴァイスも己の子どもと手を繋ぐ日が来るだろう。
シェイドは思わず隣に立つフィアを見た。フィアは両手で左右の耳の上——エルフ特有の尖った部分を曲げたり伸ばしたりして遊んでいる。フィア曰く、ウサギごっこだ。
彼女は視線に気づいてシェイドを仰ぎ見た。そしてこてんと首を傾げる。
「ほら、フィアの番だ」
ヴァイスが立ち上がったのに気づいてフィアを促した。
「うん!」
フィアはシェイド達の真似をしてお参りをする。
しゃがんで合掌している小さな背中を見てシェイドは苦笑した。
こっちの方はまだ手を離すまで時間がかかりそうだ。
彼女が大人になるまで、およそ二百年。自分が寿命で死ぬ時も、まだ小さな子どものままだろう。それを考えると心が痛んだ。
だが自分も気が気でなくて、おちおち死んでもいられない気がする。彼女が大人になるまで魂のまま周りをうろつき、野菜食べろだの、朝はちゃんと起きろだの説教する羽目になりそうで恐ろしい。
シェイドは己のその姿を想像し、まあそれも悪くないと思わず笑った。




