楽しいお正月
フィアは伝説の剣バンノーボーチョーを構え、目の前の敵と睨み合っていた。
野菜帝国の四天王、紫色の身体を持つメリザナだ。
あの野菜のスポンジのような果肉は火を通すとぐにゃぐにゃになる。フィアはそれを思い出して身震いした。
恐れていては駄目だ。百姓たちを虐げる野菜帝国を倒す為、フィアは百姓一揆のリーダーとなったのだから。
「どうした……臆したか?」
「……そんなことないもん」
自分には神ノーキョーの加護があるのだ。
フィアは勇気を出し、駆け出した。バンノーボーチョーで斬りつける。だがギリギリでかわされた為、追撃で大きな炎の玉を作り出し放った。
炎がメリザナを直撃する。その身体が燃え上がった。
こんがりと焼ける匂いが漂い、フィアは勝利を確信した。
だが炎がおさまった後も、メリザナは平然と立っている。
「なかなか良い強火だった。そして直火……最高だ。抜かったな。焼き茄子、それは茄子の最高の食べ方!」
フィアは呆然とパワーアップしたメリザナを見つめる。
「いでよ、我が眷属!」
その背後に二つの影が現れる。
「ショーユ、カツオブシがくわわった私は無敵だ」
フィアはがくりと膝をついた。ここまで頑張ったのに。あの忌々しい緑の帝王にまで辿り着けぬとは……。
『……ィア、フィア!』
声が聞こえる。そして自分の身体が揺れ始めた。地震だろうか。
「フィア!」
フィアは薄っすらと目を開けた。ひんやりとした空気を感じ、布団に潜り込もうとする。
だが再び身体を揺さぶられた。
しっかりと目を開いて見る。シェイドが寝ている自分を覗き込んでいた。
「起きたか?」
「四天王は?」
「四天王……何だそりゃ」
「野菜帝国と戦ってたんだもん。メリザナが……」
シェイドは少し笑った。
「初夢には一日早いが縁起がいいな。ほら、起きろ。おせち料理食べるぞ」
おせち料理、の一言にフィアは飛び起きた。
そうだ。昨日言っていたではないか。おせち料理というご馳走を食べると。
「着替えはコタツの中だからな」
シェイドの声を聞きながらフィアは部屋から飛び出した。早く顔を洗って着替えを済ませ、ご馳走を食べるのだ。
フィアは顔を洗うと茶の間に駆け込んだ。
そしてコタツの中から着替えを引っ張り出す。昨日の夜の内にシェイドに頼んでおいたのだ。おかげで温まっている服を着る。
手早く着替えを済ませ、コタツに足を入れて座った。
そわそわして待っているとシェイドが大きなお弁当箱のような物を抱えて入ってきた。
卓に置かれたそれをじっと見つめる。
驚いたことにそれは何段にもなっている。1番上の蓋を取れば、ぎっしりとご馳走が詰められていた。
フィアは瞳を輝かせ、中身を覗き込む。
フィアの視線を浴びながらシェイドは一段一段順番に広げていった。それが終わると彼は立ち上がり、部屋から出て行った。
入れ替わりにヴァイスが入ってくる。
「あけましておめでとう」
ヴァイスにかけられた言葉の意味が分からずフィアは首を傾げる。
「なあに……?」
「新年の挨拶なんだよ」
「……あげましておめでとう」
ヴァイスがぷっと噴き出した。
「あげじゃなくてあけ。フライじゃないんだから」
そうか、とフィアは頷いた。目の前で黄金にかがやくクリノミを何かで和えた一品に視線が釘付けになりながら、ヴァイスを真似して言う。
「あけましておめでとう」
襖が開き、再びシェイドが入ってきた。いろいろと載った盆を手にしている。
彼は食器を配り、それぞれの前に湯気の立つ椀を置いた。
「とりあえず、餅は一つずつにしといた。足りなかったら言ってくれ。出来ればおせちの方を先に片付けたいんだよな」
シェイドは自分も座った。そして既に座っていた二人に言う。
「じゃあ、改めて……あけましておめでとう」
フィアとヴァイスも同じようにシェイドへと新年の挨拶を返し、早速おせち料理へと手を伸ばす。まずはさっきから気になっていたクリノミの入った料理からだ。
一口食べて、思わず笑みを浮かべた。これは自分の大好きな芋の餡だ。
自分の皿に取り分けたそれをせっせと口へと運びながら、次は何を食べようか考える。またこれを食べるのも悪くはないが、せっかくこんなに色々と種類があるのだ。
ふと煮物の中に見え隠れする橙色の花に目が留まった。よくよく見れば自分の大嫌いな根菜だ。橙色の根菜はいつもと違い何故か花の形に切られている。
「フィアはお花の形なんかじゃだまされないもん……」
「いや、騙すためにやってんじゃないんだが」
シェイドは困惑したように呟き、エビと呼ばれる種類の海の生き物を取った。
フィアはそれを見る。重箱の中には二種類のエビが入っていた。とても大きいのが一つ、それより小さなフィアも食べた事があるプロンと呼ばれるエビがいくつか。シェイドが取ったのはプロンのほうだ。
フィアもプロンを取り、頭を毟ってから殻を剥く。その姿を見てシェイドが言った。
「フィアは絶対でかい方から取るかと思ったけどな」
フィアはプロンの殻を剥きながらぶんぶん首を横に振った。
こういうのは大きい物ほど美味しくない。クラーケンを食べた時のあの衝撃を思い出す。あれはオクトープスとは大違いだった。
その時、シェイドが何かを思い出したように立ち上がった。
「あ、忘れてた」
そう呟くと襖を開けて、部屋から出て行く。
フィアはやっと殻を剥き終わったプロンに齧りつきながら首を傾げた。
何だろうか。それにしても、このプロンは美味しい。プリプリした身が最高だ。
口の中の物を飲み込んで、ヴァイスに聞いた。
「シェイドどうしたのかな」
「さあ……あ、もしかしてお年玉かも」
「お年玉?」
聞いた事のない言葉にフィアは思わず聞き返す。だがヴァイスは意味ありげな笑みを浮かべ、すぐに分かるよと言うだけだ。
首を傾げ、汚れた手をお手拭きで拭ったその時シェイドが戻って来た。
「フィアにお年玉だ」
シェイドはまた腰掛けるとフィアに小さな袋に入った何かを差し出す。フィアは綺麗になった手でそれを受け取った。
袋の大きさの割に重さがある。
「これは僕から」
「お前も用意したのか?」
「これでも給金もらってるんだよ。はい」
ヴァイスからも同じように小さな袋をもらう。
「お年玉って何?」
フィアの問いかけにシェイドは少し笑い説明してくれた。
「新年に子どもが大人からもらえるお小遣いだ」
お小遣い、と聞きフィアは瞳を輝かせた。
今フィアにはちょうど欲しい物があるのだ。
いそいそと袋の中を見た。二つとも大銀貨が入っている。
フィアは嬉しくなった。これでテレビを買える日がまた近づいた。
毎月もらう小遣いの残りを貯金してテレビを買うつもりなのだ。更に今年は魔界テレビに出演してお金を稼ぐ予定もある。受信とやらが出来るようにこの街に住む研究狂エルフにアンテナという魔道具を作ってもらう約束もしていた。
そうしたらわざわざ夕方魔界のアスタロトの屋敷にまで行かなくていい。
「ありがとう!」
二つの袋をポケットにおさめ、二人に礼を言った。
ご馳走にお年玉。新年のお祝いは最高だ。
フィアは上機嫌で、また新しい料理に手を伸ばした。
***
フィアはぴょこぴょこと軽やかな足取りで人通りの多い道を歩く。
「フィア、はぐれるなよ」
ヴァイスと並んで歩いているシェイドが背後からフィアに声をかける。
フィアは立ち止まり二人が自分に追いつくのを待った。これから三人で初詣とやらに行くのだ。周囲を見渡せば自分たちのように家族で仲良く神殿へと向かう姿が沢山あった。
初詣とは神殿へと行き、賄賂を贈って願い事を叶えてくれるよう祈るものらしい。
フィアはそれを聞いた時、青くなったものだ。多くの者がわざわざ賄賂までして神に何かを願うとは。そして自分はそれを全て叶えてやる事ができないのだ。困った、と。
そうしたらシェイドは慌てて、お賽銭を受け取って懐に入れるのは教団だからフィアには関係ないと言ってくれた。その言葉にフィアは胸を撫で下ろしたのだ。
それにしても教団は賄賂を皆から集めておいて、肝心の願い事の方は叶えてやっているのだろうか。これはミカエルに調査をさせたほうがいいかも知れない。
そんな事を考え、フィアはやっと追いついた二人と共に再び歩き始める。
フィアが初詣に同行するのは、お祈りをする為でもなければ神様として教団を訪問する為でもない。
新年には神殿前にずらりと屋台が並ぶ、と子ども会で聞いたのだ。初詣に訪れた参拝客向けの屋台こそがフィアのお目当てである。
ここアンブラーにある神殿は街の規模にそぐわない小さなものだ。
それも仕方ない。ここは神の敵と遥か昔から言われてきた種族であるエルフがつくった街なのだ。
もっともこの街をつくった研究狂のエルフ——エルヴァンは教団など気にもしないだろう。彼の興味は研究にしか向かない。
だが彼が気にせずとも教団側はそうではない。その結果ここの神殿はこじんまりとしたものなのだ。
そんな小さな神殿前の参道は人々でごった返していた。
フィアは最初こそ大人しくシェイドについて歩いていた。だがとある屋台の匂いに心惹かれフラフラとそちらへ近づく。シェイドもヴァイスも気付いてない。
あっという間にシェイド達は人ごみに紛れ、フィアはその姿を見失う。
勝手にチョロチョロしないようにと言われていたが、はぐれても転移ですぐ合流できる。それに自分は神殿に行くつもりはない。
そう心の中で言い訳し、そのまま目的の屋台へと近づいた。鉄板で焼かれているそれを見て、フィアは何の屋台か知る。
オクトープスにそっくりな足が十本ある海の幸セーピアを焼いてタレをつけたものだ。香ばしい香りがたまらない。
「おじさん、一個ください」
フィアは懐の財布から硬貨を取り出して、背伸びをして屋台の中の店主へと渡す。
「はいよ。熱いから気をつけてな」
硬貨を受け取った店主はセーピア焼きの串をフィアに手渡した。
早速その場でフィアは串に刺さったセーピアに齧りつく。ふっくらと焼きあがった肉厚のセーピアに甘辛いタレがよく合う。期待した以上の美味しさだ。フィアは口の周りをタレでべとべとにしながら夢中で食べた。
「あれ……チビ助?」
必死に食べているフィアの背後から知っている声で、最近つけられたばかりのあだ名を呼ばれた。
「う?」
食べながら振り向くと、子ども会でフィアのお世話役をしているジャッロが立っていた。子ども会では小さな子は年長のお世話役がつくのだ。
フィアが子ども会に入った時、近所に住んでいる十歳のジャッロにその役が割り当てられた。なかなか自分から馴染めないフィアに話しかけ、他の子を紹介してくれたのも彼なのだ。
「チビ助、うわっ……タレで汚れてるぞ!」
ジャッロは慌てて手巾を取り出し、フィアに近づく。そしてフィアの口周りではなく、防寒用の上着に垂れたタレを拭った。
しまった。気付かなかった。
何時の間にか服にタレがついてしまったらしい。
「あー。けっこうヒドイなぁ。あんまりゴシゴシすると落ちなくなるってウチの母ちゃん言ってたから、これくらいにしとくな」
「ありがとう」
「チビ助、一人か?」
フィアは食べながら首を横に振った。
「勇者のおじさんとはぐれたのか?」
「うん」
その時背後からジャッロを呼ぶ声がした。
振り向くとそこには彼と同じ年頃の少年が二人いる。子ども会で会ったことのある顔だ。
「チビ助が迷子になったみたいだから、勇者のおじさんの所連れていってくる」
ジャッロは声をかけてきた二人にそう言うと、フィアの空いている方の手を引いて歩き出した。
「ジャッロー! いつもの銅像前で待ってるからなー!」
二人の少年はそう言うと人ごみの中へと消えた。
「フィア一人でシェイドのところに戻れるよ」
「わかった、わかった」
「むー。ジャッロはなにしてるの? 初詣?」
「ちげーよ。あいつらと遊びに来たんだ。ウチは去年妹が死んだから、おせちも食べないし、お参りにも来ない」
「何で死んだの?」
「病気。チビ助と同じくらいの歳だったんだけど……」
ジャッロはフィアと話しつつ、その手を引いて上手く人ごみをかいくぐり進んでいく。
そして神殿の入り口脇で立ち止まった。
「ここで待ってりゃ確実だ」
その言葉にフィアはうんうんと頷き、セーピア焼きに噛り付いた。その時だ。
「フィア!」
自分を呼ぶ声がして慌てて顔を上げると、神殿から出てきたシェイドがヴァイスとともにこちらに向かってくる。
「勇者のおじさん、こんにちは……ってヴァイス!」
ジャッロに挨拶されて、シェイドは彼に目を留める。
ジャッロはヴァイスを驚いたように見つめ、ヴァイスも同じようにジャッロを見つめていた。二人はどうやら知り合いらしい。
「こんにちは。あれ……魚屋さんとこの子か」
シェイドの言葉に我に返ったジャッロが慌てて自己紹介する。
「はい! 子ども会でチビ助の世話役してます! 友達と遊びに来てたんですけど、チビ助が一人でセーピア焼き食いながら立ってて。迷子みたいだから連れて来ました」
「あー、どこ行ったかと思ってたんだよな。ありがとう」
「あと、服に汚れがついてたから……拭きました。口の周りは拭いてやっても、またべとべとにしそうだからそのままですけど……」
「何から何まで悪いな」
申し訳なさそうなシェイドの言葉にジャッロはぶんぶん首を横に振った。
「大丈夫です!」
ジャッロはそう言うと今度はヴァイスに向き直った。
「ヴァイス、久しぶり!」
「久しぶりだね、ジャッロ。今日はお参りじゃないの?」
「あー。一番下の妹がこないだ死んじゃったんだ……」
「……そうなんだ。ごめん、知らなかった」
「いやいや。いいよ」
申し訳なさそうなヴァイスにジャッロは笑顔で言った。
「じゃあ、俺友達が待ってるんで行きますね。チビ助、劇のセリフ忘れんなよ!」
じゃあな、と手を振るとジャッロは駆けて行った。
それを見送ってからシェイドはフィアを見下ろした。
「フィア、勝手にチョロチョロするんじゃない。まあ転移で戻ってくるかとは思ったけど……。いなくなる時はちゃんと言えよ」
「ごめんね、シェイド。だって、すごくいい匂いがしてたんだもん」
「はぁ……。お前の前に食べ物置くとどうなるかって事ぐらい分かってるよ。でも今度からはちゃんと言ってから行け、な?」
フィアは頷いた。
そしてシェイドはヴァイスへとたずねる。
「あの子、もしかしてお前が昔子ども会で世話役してた子か?」
「そうだよ。ちょうど僕があの子くらいの時だね」
「はぁ、時間が経つのはあっという間だな。俺もおっさんになるわけだ」
フィアは食べ終わった串を片手に思わずシェイドをぽかんと見上げる。
おっさん……。
そう言えば、シェイドはこの間老化現象とやらの話をしていた気がする。
「シェイド。髪の毛真っ白になったり全部なくなっても、ロウガンになっても、尿モレしても、階段のぼれなくても、腰が痛くても、耳毛が伸びてきちゃっても、肩が痛くて腕があがらなくても……シェイドはシェイドだもん!」
シェイドは唖然としてフィアを見下ろした。
どうしたのだろうか。
しばらく沈黙が続き、シェイドはほろ苦い笑みを浮かべて言った。
「あ……ありがとう。だけどな、フィア。俺まだそこまでなってない……」
「むー。だってこの前シェイド言ってたもん」
「あ……あれは将来的にはそうなるかもって話だ。あくまでも可能性の話であってな……」
しどろもどろになっているシェイドにヴァイスは呆れたように言った。
「父さん、そんな事よりフィアのタレまみれの口まわりを拭いてやったら?」
「そんな事って……そんな事じゃないぞ!」
「いやいや、まだそこまでなってないんでしょ。だったらそんな事だよ!」
「お前は何もわかってない。フィアはそういう事をついうっかり他人に言うんだ。しかもそれがすでに現実かのように!」
「それは父さんがそんな事教えるからでしょうが!」
何か良くわからないが二人の話が盛り上がってきたようだ。
家族仲良しだなぁ、とフィアは思わず笑った。




