ニンジャごっこ禁止令
一夜明け、今日は今年最後の日だ。
シェイドは朝食後、店を店番君に任せ、おせち料理の支度に専念していた。昨日の夜遅くまでかけてある程度の仕込みはしたから、もう少しである。
すでに毎年の恒例行事なので慣れたものだ。
今はクリノミをイポメア芋の餡で和えている。
シェイドはクリきんとんが出来たら隠しておいた方がいいと思った。フィアが見つけたら全部食べてしまいそうだからだ。彼女はクリノミもイポメア芋も大好物である。
甘党ぞろいだから多めには作っている。だがあのフィアの事だ。つまみ食いと称して全部食べてしまうかもしれない。
更に言うならば、今煮ているクロマメも絶対に鍋の蓋を取らせないように気をつけねば。
カズノコは既に汁に漬け込んでいるから明日の朝まで待てば良い。ダテマキは近所の商店で買って来た。紅白カマボコも切れば良いだけだ。
シェイドの目の前には作り終えた紅白ナマスや酢バスといった酢の物、コブ巻きをはじめとする煮物が並んでいる。
あとは焼き物だ。今年は奮発して立派なロブスタを一尾、それよりちょっと小さいプロンを何尾か買っている。それと近所の魚屋お勧めのカンブリだ。
おせち料理の準備があらかた終わり、シェイドは小さな椅子に腰掛け休憩をとることにした。茶を飲みながら、昨日フィアと話したことを思い出す。
確かに言われてみれば、その通りなのだ。
自分がなすべきことは、受け止め見守ることだ。息子を信じ、時が来るのを待とう。息子の抱える苦しみは、自力で乗り越えるしかない。今息子はもがいてる最中なのだ。
自分は親子と言うものがどういうものか、忘れていたような気がする。
今の息子と同じ位の時、自分は勇者であることを知らされ旅立った。それまで実の親だと思っていた二人は養父母であった事もその時知らされた、
神殿からは決して生家にもどってはならぬと言われた。だが、それを破って故郷へ戻った自分を待っていたのは、無人と成り果てた勇者を育てる為だけに作られた村だ。
その後この大陸から発つ前、大神殿を訪問した時、行方知れずとなっていた養父母と再開した。再会の喜びを噛みしめるシェイドに彼ら二人は『勇者様の旅の安寧を祈っている』と、まるで赤の他人の様な顔で言ったのだ。
絶望したシェイドは縋るものを探し、神殿の機密文書をおさめている部屋へ忍び込み、自分の実の親を調べた。あっさりと勇者の生まれに関する文書を見つけ、シェイドは実の親を知った。
幸いなことに彼らは自分がこれから向かう港町に住んでいたのだ。だからシェイドは船に乗る前に彼らに会おうと思ったのだ。
だがそこで仲良く暮らしている一家——両親、自分の弟と思われる少年を見て、自分の居場所などないと痛感したのだ。
彼らだって生まれてすぐ手放した息子が実は勇者でした、と戻って来ても困惑するだけに違いない。これ以上傷つくのはごめんだった。だから諦めた。
シェイドは全て失った——いや、全ては幻で最初から自分は何も持ってなかったのだと失意の中この大陸を発ったのだ。
だが今、親子と言われて思い出すのは教団へと戻って行った養父母のことだ。
何も知らなかったあの頃、幸せだったあの暮らし。時に叱られ、時に優しく見守られ、自分は二人に育てられた。
あの彼らの愛情は果たして作られたものだったのだろうか。いや……今となってはそうは思えない。
教団で見た資料で知ったことだが、あの二人は長く子どもに恵まれない夫婦だった。勇者を育てる親が必要となった時、自らその役を引き受けたという。
自分は確かにあの両親に子として愛されていた。自分が親となった今だからこそ分かる。
あの言葉も甘ったれたところのあったシェイドが逃げ出してこないように、心を鬼にして言ったのではないか。
そして何よりも、勇者には帰る場所など無し、と言うのが教団の方針なのだから彼らだってそれに逆らえない。
シェイドは思わず苦笑する。
自分も息子のことを何も言えない、と。この歳になるまでちゃんと向き合おうとしなかった。
あの日以来、養父母には一度も会っていない。親に対する複雑な感情を持て余しているのは自分も同じだ。
彼等はまだ生きているだろうか。
可能性は薄い。何故ならシェイドを引き取って育て始めた時、子育てには遅いと思われる位には歳をとっていた。
ちゃんと向き合わず、あとになって後悔しても遅いのだ。
だからせめて、息子にはちゃんと向き合い彼を見守ろうと思う。
そして、今更にも思えるが神殿に養父母のことを聞こう。
もし二人が生きていたら、腹を割って話そう。万が一……いやその可能性の方が高いが、彼等が亡くなっていたら墓参りでもして親不孝な息子であった事を詫びよう。
シェイドがそう心に誓ったその時、音を立てて勝手口の戸が外から開かれた。
驚いてそちらを見ると、ヴァイスが息を切らして立っている。
「どうした?」
「フィアが……! とりあえず、来てよ!」
「フィアがどうした?」
「いいから! 急いで!」
シェイドは急かされ、慌てて草履をつっかける。そしてもうすでに駆け出したヴァイスの後に続いた。外が何か騒がしい。
ヴァイスが掛けて行く方向に人だかりが出来ていた。近所の住人だ。彼等は上を見つめている。
シェイドも彼等の見る方向を見て凍りついた。二軒隣の家の屋根の上にフィアがいる。
一体あいつは何をやってるんだ。
皆が息を詰めて見守る中、フィアは突然屋根の上を走り出した。そして端まで辿り着くと、隣の家の屋根に飛び移る。
落ちないギリギリの所に彼女は着地した。
シェイドははっと我に返り、叫んだ。
「フィア! お前は何やってんだ!」
「うにゃっ!」
いきなり下から怒鳴られ驚いたのだろう。フィアはよろめいた。
「危ない!」
見守る者達がどよめく中、フィアは何とか踏み止まった。そして恐る恐るシェイドを見下ろす。
シェイドはほっと胸を撫で下ろし、屋根の上に向かって言った。
「おりてこい!」
***
「だって、だって。あれはニンジャごっこだもん……」
目の前で正座したフィアが俯いて言った。
シェイドはまたか、とため息をつく。ひと月ほど前まではイッスンボーシごっことやらに凝っていた。寒い中、川に落ちたので懲りたのか今はやめているが……。
箱に乗って棒一本で川を下っていく彼女の姿はこの近隣で有名になったものだ。
魔界のテレビとやらで見たらしい。
フィアは定期的に夕方魔界へ行き、誰かの家でテレビを見せてもらっている。その影響を受けて、とんでもないことをしでかすのだ。
今回のニンジャごっこと言い、前回のイッスンボーシごっこと言い……。その前はマレンジャーごっこだった。
「お前は遊びのつもりかも知れんが、危ないだろうが」
「フィア落ちたりしないもん……」
「それだけじゃない! 瓦が落ちたりする可能性があるだろ。いいか、これからは人様の家の屋根を使ってニンジャごっこをするのは禁止だ!」
他所の屋根に飛び移れないなら、ニンジャごっこにも飽きることだろう。
シェイドは深々とため息をついた。
***
フィアは浮かない表情でペダルをこいでいた。
ニンジャごっこを禁止されてしまったから、昼食後お散歩をすることにしたのだ。
今乗っているのは納戸という場所で見つけた三輪車だ。ヴァイスが子どもの頃乗っていたものらしい。最近のフィアのお気に入りである。
フィアは公園の前を通りかかった時にヴァイスがベンチに座っているのに気づいた。彼は物憂げな表情をしている。
何か嫌なことでもあったのだろうか。
ヴァイスはフィアに気付いてない。意を決し、三輪車で彼へと近付く。目の前まで来て、はじめて彼はフィアに気付いた。
「何やってるの?」
「いや、特には何も……フィアは?」
昨日ヴァイスには『神様』ではなく名前で呼んで欲しいと頼んだ。ちゃんと名前で呼んでもらえた事にフィアは思わず笑みをこぼす。
「フィアはお散歩。ニンジャごっこ駄目って言われたもん」
「だいぶ叱られたみたいだね」
フィアは頷いた。
ヴァイスが出かける時もシェイドのお説教は続いていたのだ。
よいしょ、と三輪車からおりてヴァイスの隣に座る。彼は三輪車に目を留めた。
「これって……」
「ヴァイスが昔使ってたのだってシェイドが言ってたよ」
「そう。まさかとっておいたとは思わなかった」
そう呟くと彼はまた黙り込む。
フィアはこれは昨日のことを謝る良いチャンスだと思った。
「昨日はごめんね」
「え、ああ……いいよ。気にしなくて」
「うん」
そこでヴァイスはぷっと噴き出した。
どうしたんだろう。
フィアは思わず首を傾げてしまう。
「どうしたの?」
「いやいや、何でもないよ」
「むー、気になるもん」
「素直だなって思っただけだよ」
そうか、とフィアは頷いた。
そこでふと、昨日シェイドがヴァイスの友達が家に来ていたと言っていたのを思い出した。もしかしたら今ここにいるのは友達に会う為なのだろうか。
ならば邪魔をしたら悪い。
「ヴァイス、お友達に会うの?」
「え? 何で?」
「だって昨日シェイド言ってたもん。ヴァイスのお友達が家に来たって」
「ああ……。ネロは自警団の仕事が年末年始もあるから忙しいと思うよ。多分もう会う機会ないだろうね」
フィアはきょとんとなった。
昨日わざわざ家にまで来たのだから、ネロという人物はヴァイスに会いたいのではないか。昨日が駄目だったなら、また別の日に会えないか聞けばいいのに。
それをしないとなると、ヴァイスは彼に会いたくないのだろうか。
「ヴァイスは会いたくないの? お友達なんでしょ?」
「……わからない。昔さ、僕とネロと、あとロッソって奴……三人で仲が良かった。父さんに三人で剣と魔法習ったりしたんだ。ネロは剣の腕を見込まれて自警団に入った。ロッソは魔法の才能があって魔法学院へ。僕はどっちも駄目だったよ。父さんとは大違いだ」
フィアはその時、公園の中に屋台があるのに気付いた。その場に椅子があり、人々は屋台に向かって座りそのカウンターで何か食べている。
はじめて嗅ぐ匂いだ。ここからでは何を食べてるか分からない。
だが、椅子に座っている客以外にも沢山人が並んでいる。あれは美味しいという事に違いない。
真剣な視線で屋台を見つめるフィアにヴァイスは続けて語った。
「勇者の力は遺伝するような種類のものじゃないって言うのは……僕も分かってるけどね。だけど、複雑だ。自分が劣ってることを感じる。父親に、友人に。だから避けてしまうんだろうね」
屋台に意識を半ば奪われつつもフィアは答えた。
「シェイドはヴァイスが自分の子どもっていうだけで幸せだと思うよ。剣とか魔法とか関係ないもん」
フィアは無理やり自分の視線を屋台から外した。
いけない、いけない。今はお話中なのだ。あの屋台は後にしよう。
「だって、ヴァイスにとってシェイドは生まれた時から家族でお父さんなんだもん。シェイドはヴァイスの前では『勇者』じゃなくていいんだよ。それだけで幸せだと思う。フィアもシェイドやヴァイスと一緒にいる時は『神様』じゃないもん」
シェイドにとって勇者の肩書きは重たく、逃げたくても逃げられない。引退したと言っても彼は死ぬまで勇者と呼ばれ、そう扱われるのだ。
「だから剣が出来るとか、魔法が出来るとか、勉強出来るとか、そんなの関係ないよ」
ヴァイスはフィアの言葉に何も言わず黙っていた。
心配になって彼の顔を見る。フィアの視線に気付いて、彼はふっと笑った。
良かった。怒ったり、傷付いたりはしてない様だ。何を思っているかは分からないけれど。
フィアは安心し、先ほどから気になっていたことの方に話を変える。
「ねえねえ、ヴァイス。あれ、何かな?」
ヴァイスはフィアの指差すものを見た。
「ああ。ラーメンの屋台」
「ラーメン? 何それ?」
「麺料理だよ。あそこのラーメン屋さんは有名なんだ。いつも売り切れるとお終い。こんな時間までやってるの珍しいと思うよ。今日は年末でみんな忙しいからかな。空いてるね」
もう既に昼下がりだ。昼食には遅いが夕食には早い。
フィアは立ち上がった。
「フィア?」
「フィアあれ食べる」
「え? これから?」
「うん。今ならまだ間に合うもん」
食べた後、一杯遊べばいいのだ。そうすれば夕食時にはお腹も空く。
だがそこでフィアは重要な事を思い出した。
お金を持ってない。
「フィアお金ない……」
がっくりと肩を落とすフィアにヴァイスは笑って言った。
「じゃあ、僕も食べようかな。折角だし。でも父さんには内緒だよ。夕食前のこんな時間に食べさせてって言われそうだからさ」
その言葉にフィアは弾かれたように顔を上げた。
「いいの?」
「悩みも聞いてもらったしね。お礼みたいなもんだよ」
うんうんとフィアは頷く。
ヴァイスは自分の弟分だから悩みを聞いてやるのは当然のことだ。お礼を言われるような事ではないが、一緒に食べ、お金も出してくれるなら有難い。
「フィアはヴァイスのお姉ちゃんだもん。悩みを聞いてあげるのは当然だよ」
フィアが上機嫌で言った言葉にヴァイスはぽかんとなった。
「えっと、妹じゃなくて?」
「違うもん」
ヴァイスの腕を引っ張り屋台の行列最後尾へと向かう。もたもたしているうちに売り切れたら最悪だ。
フィアは意気揚々と歩いて行った。
***
ラーメンはとても美味しかった。フィアはスープまで飲み干してお代わりしようとしたが、ヴァイスに止められた。
夕食が食べれなくなる。それに今日は大晦日だから夕食にソバという麺料理が出る、と。
また来な、と言う店主に頷きフィアとヴァイスは席を立った。
そして二人はアンブラーの街をぷらぷらと散歩してまわった。
歩きながら色々な事を二人は話した。フィアは魔界のテレビのこと、最近お気に入りの魔界健康ランドにある温水プールのこと、そしてシェイド達と旅をしていた時の事を話した。
旅をしていた時のシェイドにまつわる話にヴァイスは『あの父さんがねぇ』と言い、信じられないとばかりに首を振った。
ヴァイスが話してくれたのは、自分の子どもの頃の話や亡くなった母親の話、そして仕事の話などだ。
ヴァイスは自分は父親にはあまり似ていないと言ったが、そんな事はないと思う。確かに外見は似ていない。だがフィアの話をちゃんと聞いてくれるし、心優しいところはそっくりだ。
シェイドはフィアが知らないと思っているだろう。だがフィアはちゃんと知っている。各地の神殿を訪れた時、いつも魔族と思われる子どもを連れていることを非難されていたのを。
でもシェイドはフィアを放り出したりしなかった。
そんな彼の優しさはちゃんとヴァイスに受け継がれている。それは戦う為の力なんかよりも遥かに大切なものだ。
二人は歩き回り、しっかりとラーメンを消化してから家へと戻った。
「ただいまー」
家に上がると、シェイドが台所から顔をのぞかせた。フィアとヴァイスが二人一緒なことに驚いた顔をする。
「あ、おかえり。二人は一緒だったのか?」
「うん。一緒にお散歩したんだ。ラーメンんにゃっ」
ラーメンを食べたと言おうとしたら慌ててヴァイスに口を手で塞がれた。
そうだ、忘れていた。秘密だったのだ。
シェイドが訝しみ何か言おうとしたが、それよりも前にヴァイスが口を開く。
「今日は大晦日だから、年越しソバだよね?」
「え、ああ。そうだぞ。蕎麦と天ぷら。簡単なもんで悪いな。おせち料理に掛かりっきりだったから」
シェイドの言葉に二人は同時に首を横に振った。それを見てシェイドが噴き出す。
「なんかそうしてると、本当に兄妹みたいだぞ」
「なんでも僕が弟らしいけど」
「フィアお姉ちゃんだもん」
フィアの言葉にシェイドとヴァイスが楽しそうに笑った。
今日で今年も終わる。
良い年だった。長い眠りから覚め、復活した。そして念願の家族が出来て、幸せに暮らしている。
来年も良い年でありますように。フィアはそう願った。




