お子様神様と元勇者
薄っすらと霧がかかり見通しが良くない。足元は美しい緑の生い茂る大地だ。
そんな中、絶望感漂う叫びが響き渡る。
「に、肉! 肉がない!」
「鍋どこいった!」
「すき焼きー!」
「いやいやいや! お前たちおかしいだろ? 何でこの状態で肉の方を心配してんだよ! いきなり室内からこんな訳分からんとこに来た事の方を心配しろよ!」
「錯乱するな、勇者」
「アンタに言われたくない!」
ぎゃあぎゃあと騒ぐ彼らを見ながらケイオスは内心でため息をつく。
こんな事になろうとは。最初に異変に気付いた時、もっとしっかり神に注意を促すべきであった、と。
ケイオスは今更ながら悔やみ、異変の始まりとも言える今日の昼からの出来事を思い返していた。
***
「うにゃっ!」
幼い子どもの驚いたような叫び声とともに何かが転がる音がした。その次の瞬間、何かが割れる乾いた音が響き渡る。
その音につられ、木にとまっていた漆黒の蝙蝠が飛び立った。
漆黒の蝙蝠——ケイオスはパタパタと翼を羽ばたかせ、音のした場所へと向かった。
そこには三、四歳にしか見えない幼女が項垂れて立っている。彼女が見つめる地面には砕け散った瓦があった。
「神よ。人間界の様子を確かめずとも良いのか?」
ケイオスの言葉に神と呼ばれた幼女が弾かれた様に顔を上げる。
そして彼女は慌てて駆け出した。建物を回り込み、縁側の前にある池のほとりにしゃがみ込む。
彼女が池の水に小さな手を入れ魔力を込めた途端、その水面にどこか別の場所の光景が映し出された。
ケイオスは彼女の肩にとまり、その光景を覗き込む。
「人死はないようだな」
ケイオスの言葉に神はむくれた。
「でも、でも。穴ぼこになっちゃってるよ」
「それにむこうは大騒ぎになっている。晴れ渡った空から突然大きな雷が落ちたのだから当然か」
ケイオスの追い討ちをかけるような言葉に幼い神は肩を落とした。
「フィアうっかり瓦落としちゃった……。だって重かったんだもん」
「別に世界の修復にこのような家を建てる必要はなかったのだが……」
哀しげな神のつぶやきにケイオスは背後に建つ立派な瓦葺きの木造家屋を振り返った。
人間界の四つある大陸のうちの一つ、独特の文化をもつ闇の大陸の様式の建物だ。
もともとは立派な造りの家屋だ。だがよく見ればところどころが壊れていたり、穴があいていたりする。
その門の表札には『世界』と書かれていた。
まさにその名の通り、この家は世界そのものなのだ。
「だってケイオスが世界は皆が住む家の様なものだって言ったもん」
神の言葉にケイオスは何と答えるべきか悩む。
確かに自分はそう言った。
神の仕事の一つに世界の修復と言うものがある。この世界も創られて久しい。ところどころに綻びが生じるのは仕方のないことであった。
目の前でふくれっ面をしているのは、この世界の創造主たる先代の神の力を引き継いだ新米の神である。まだ幼く何も知らない。
そんな彼女に世界の修復の仕方を教える際にケイオスは言ったのだ。
『天界から人間界を修復する方法。世界は皆が住む家の様なものだ。その家の痛んだ部分を見つけ、それを修理するイメージで創造の力を使え。そうすれば世界の修復ができる』
その言葉に従い彼女が力をふるったところ……ここ天界の神の城の広い中庭にこの家が現れたのだ。
そして彼女は今、世界たるその家を修理中と言うわけだ。
そもそもふくれっ面をしている神に色々言いたいことはある。
家を修理するイメージと言ったが、誰も家を創り出せとは言っていない……。
だがこれ以上あれこれ言えば、この神はさらに迷走しそうだ。それにこれはこれで面白いので黙って見守ることにした。
今まで数多の神が混沌より生まれ、世界を創り、そして消えていった。
混沌の意思たるケイオスはそのほとんどを知っている。だが未だかつて、家を建てて大工仕事に勤しんだ神は見たことがない。
「まあ、人間界での被害が少なかったのは僥倖。少し休むがいい」
言い争う気のないケイオスはさり気なく話をそらした。
神はあっさりとそれに頷く。そしてすぐそばの縁側に腰をかけた。
「フィア疲れちゃった」
「今朝からずっと修復を行っていたからな」
うん、と神は頷く。その時ケイオスのものでも神のものでもない声が聞こえた。
「神様」
呼びかけとともに突然二人の前に神に仕える天使ミカエルが現れる。
「ミカエル、どうしたの?」
「そろそろ休憩をなされては如何かと思いまして。お飲み物をお持ちしました」
ミカエルは縁側にグラスを一つ置いた。
彼のまばゆい銀髪が光を反射する。金色の瞳とあいまって美しい。
神からはキンキラキンなどと言われているが、本人は気にもしないだろう。
先代の神に創られ、唯一天界に残った天使の彼は神に絶対服従を誓っているのだから。
「ありがとう! フィア喉乾いてたんだ」
神は早速グラスを持ち上げ口元へ運ぶ。
その様子を嬉しそうにミカエルは眺め、言った。
「神様が復活なされて初の世界修復ですからね。修復箇所は多いかと思いますが少しずつ行っていけばよいと思います」
そうだね、と神が相槌を打った。
彼女はつい最近二十五年の眠りから目覚めたばかりなのだ。眠りというのも正確ではないかもしれない。
世界を滅ぼそうとしたエルフと戦い、ボロボロになった世界を救うため彼女は肉体を失った。失われた肉体が蘇るのに二十五年かかったのだ。
風が吹き、神の二つに結んだ長い金髪を揺らす。
神のその尖った耳はエルフのものだが、その瞳は真紅で縦長の瞳孔の魔族のものである。一見するとエルフと魔族のハーフのようだが違う。
人間の子どもで言うと三、四歳にしか見えないが実年齢は六歳である。
寿命のない神やエルフ、人型の高位魔族は人間とは成長の速度が違うから仕方がない。二百歳までは幼体と呼ばれる位だ。
そんな幼い神は縁側から空を見上げ明るく言った。
「頑張ろうっと」
「ええ。そういえば、今夜は勇者宅で忘年会とやらがあるのでしょう?」
ミカエルの問いかけに神は嬉しそうに頷いた。
「そうなんだよ。フィアが復活したお祝いもまだしてなかったから忘年会って言うのと一緒にやろうってシェイドが言ってた。ミカエルもおいでよ!」
「よろしいのですか?」
「うん。だってルシファーたちも来るんだよ。そうだ、アダムも一緒においでよ!」
「そうですか。では俺もアダムとともに勇者の家に伺います」
「今日はねぇ、すき焼きなんだよ」
神は嬉しそうにすき焼きとやらについて語りはじめた。
ケイオスはそれまで彼女の肩にとまっていたが、そのまま彼女の身体の中へと溶け込んだ。
神の中に共存し、世界で生きることを体験する。その対価としてケイオスは神に知識を与える。
昔交わした契約だ。
本来混沌の意思たるケイオスには肉体などない。多少世界へ干渉する力があっただけだ。
神の中に共存することでその創造の力の一部を借り、己を実体化させることが出来るようになったのだ。
彼女はしばらくすき焼きについてミカエルに語り、それが終わると飲み物を飲み干して立ち上がる。
「今日はもうフィア帰るね」
「お気をつけて。また後ほど」
「うん。シェイドにもミカエルが来ること言っとくね!」
神はミカエルへ手を振ると転移魔法を使った。
次の瞬間、目に映る風景ががらりと変わる。
何やら騒がしい。人だかりが出来ている。
神はこそこそと物陰から人が集まっている所を覗き込んだ。野次馬たちの話し声が聞こえてくる。
「すごい大穴ねぇ」
「あんなに晴れてたのに」
「神殿は神罰に違いないって言ってるぞ。これから神の怒りを鎮めるべく祈りを捧げるとさ」
どうやらここは先ほど神が瓦を落とした結果、雷が落ちた場所らしい。
人々の話す内容に神が困った顔をして呟いた。
「むー。別にフィア怒ってないのに……」
確かに神は怒っていない。単にそそっかしいだけである。もっとも人間がそれを知ることはない。
直接被害状況を確認しに来たらしい彼女は一つため息をつくと再度転移魔法を使った。
目の前の景色が薄れ、瞬く間に一軒の家屋の前に出る。
そこは先ほどの『世界』とそっくりな家であった。いやこの家が『世界』と似ているのではない。あの『世界』がこの家を模したものなのだ。
彼女にとっての家とはかつての仲間であった勇者と暮らすこの家以外にないのだろう。
「シェイド、ただいまー!」
神は勢い良く木と硝子で出来た引き戸を開けた。
神の声に戸のすぐそばに立っていたシェイドが振り返る。
「おかえり、フィア」
「何やってるの?」
神は土間にいたシェイドのそばまで近寄ると彼の手元をのぞきこんだ。
「在庫確認だよ」
「ふぅーん。フィアお手伝いしようか?」
「いや、もう終わったとこ」
そう言うとシェイドは帳簿を閉じ、棚の菓子を綺麗に並べて土間の奥へと歩いていく。彼は黒髪黒目の平凡な容姿の中年男に見えるが、その何気ない動作にも隙がない。
身のこなしも鍛えられた身体も彼の経歴を物語る。歳を重ねたと言っても衰えは感じられなかった。
シェイドと神がいる土間にはいくつか陳列棚が並び、そこには様々な種類の菓子が置かれていた。
シェイドの後ろを歩きながら神は一つの菓子を手にとった。そしてその包みを開け、茶色い板上の菓子に齧りつく。
「フィア……」
「にゃっ、にゃに?」
「売りもん食う時は言えっていったろ?」
彼は振り向くとむにむにと神の頬をつまむ。
「ごめんにゃたい」
もぐもぐやりながら神はシェイドに謝った。
やれやれ、と彼はため息をつく。そしてチョコレートがひとつと呟きながら手にしていた帳簿を開き、何か書き込んだ。
「俺、今日の忘年会の買い出しに行くから。店番頼むな」
彼はそう言いながら、土間の上がり口へ帳簿を置いた。その横に神は腰掛ける。
シェイドはそばにおいてあった上着を羽織ると入り口へと歩いていった。
その背中に神が返事をする。
「うん。あ、そうだ。ミカエルとアダムも来るよ」
「参加者追加、了解。店のやりかた、もう分かるよな?」
引き戸に手をかけたままシェイドは心配そうに振り返った。
「大丈夫!」
「じゃ、まかせた」
そう言うとシェイド——元勇者シェイド・ブラックは自宅兼店を後にする。
ここは引退したかつての勇者シェイドの営む菓子屋なのだ。
二十五年前、今の神フィアは魔法使いとして勇者である彼の旅に同行した。
世界の崩壊を防いだその日から二十五年の眠りを経て再び世界へ戻ってきた神フィアは元勇者シェイドの家に居候している。
神は肉体を失っていたから当時のままの姿だが、元勇者はすでに四十五歳だ。だが時を経ても二人は当時のまま実の兄妹か親子のように仲がよい。
彼女はここから天界へ通勤し神の仕事をしたり、元勇者の菓子屋の手伝いをしたりして暮らしているのだ。
シェイドが出かけた後、何人か菓子を買いに来た。
ここで暮らし始め二月ほど経つ神は既に店番にも慣れ、客の相手をこなしている。
今もまた客を一人見送り、受け取った銅貨を数え、金を仕舞う箱へとおさめた。
その時、ケイオスは魔法の気配を感じた。正確に言うと、時や空間に干渉する時空魔法の気配だ。
それが何の魔法なのかまでは分からなかったが不審に思ったのだ。この場には神しかいないが、彼女は魔法を使っていない。
その中に共存している自分は彼女が魔法を使えばすぐに分かるのだ。
転移魔法も時空魔法の一種であるから、誰か転移して現れれば納得出来る。だがそんな気配は全くなかった。
『神よ』
彼女の内からその精神へ話しかける。
「なあに?」
神は丁寧に言葉にだして返事をしてくれた。
『魔法の気配がした。お前の使った魔法ではない』
ケイオスの言葉に神は首を傾げる。どうやら彼女は気づかなかったようだ。
「うーん……フィアにはわかんない」
そう言われるとケイオスもなにも言えない。既に先ほどの魔法の気配は消えている。
あまりにも微弱な気配だったから彼女は気づかなかったのだろう。
そうなれば自分に出来ることは忠告くらいしかないのだ。
『そうか。だが何者かの魔法かも知れぬ。気をつけよ』
「うん、わかった」
そののほほんとした様子に本当に大丈夫だろうかと不安になり、ケイオスは密かにため息をついた。
***
いつもシェイドと神が食事をする茶の間はコタツが片付けられ、その代わりに来客用の大きな卓が置かれている。
その上には皿が並び、鍋が三つ設置されていた。鍋を温めているのは魔法式卓上コンロである。
いつでも宴会は始められる状態だ。すでに夕暮れ時。そろそろ客人が来る時間である。
その時、廊下から賑やかな声が聞こえ神が背後の襖へと駆け寄り開ける。
そこにはシェイドとミカエル、さらに魔界からの客人である魔界の主で破壊の神とも呼ばれるルシファー、その配下であるアザゼルがいた。
「適当に座っててくれ。すぐにでも始められるんだが、まだ揃ってないな」
シェイドは客人に座布団をすすめながら言う。だがアザゼルが首を横に振った。彼はすすめられた座布団に座りながら言う。
「あー。アスタロト様は少し遅れるから先にはじめといてくれってさ」
「アスタロトもか? 何で遅れるか理由は聞いたか、アザゼル?」
ルシファーは不思議そうに尋ねた。
「魔界テレビの取材が長引いてるらしいです。そう言えば……ベルゼブブ様もまだお見えじゃないですね、ルシファー様」
ルシファーは卓に置かれた杯にさっさと手酌で酒を注ぐと一口飲み、アザゼルに答えた。
「あいつは残業だ。まあ間もなく来るだろう」
「そうなんですか? あれ? そう言えばメフィストの奴もいませんね」
「あいつは年末年始の休みに入ってる」
二人はここに居ない魔族のことを話し込みはじめた。
シェイドはまた何か用事があるのか部屋から出て行く。
すでに座布団に座って目の前の鍋をじっと見つめていた神が襖の前に立ち尽くすミカエルに気づいて声をかけた。
「ミカエル! ここだよ!」
「では失礼いたします」
ミカエルは神にすすめられた座布団へと座る。
神は部屋を見渡し、そう言えばとミカエルに尋ねた。
「アダムは? 一緒じゃないの?」
「アダムは勇者に場所を借りて神様の為のデザートを作っております。途中までアルフヘイムで作っていたものをここへ持ち込みまして」
「へぇ、楽しみだなぁ……。あ、シェイド!」
先ほど部屋から出て行ったシェイドが手に酒の瓶を持って入ってくる。
そしてその場に座っていた神をはじめとする四人を見渡して言った。
「あー、エルヴァンさんとゼムリヤさんは酒買って戻って来るって言ってた。アダムは今デザート作ってるし、アスタロトとベルゼブブも後から来るんだよな? じゃあ、先にはじめるか!」
シェイドは神の横の座布団へと座る。
「挨拶は……全員揃ってからでいいか。じゃ、折角のすき焼きだから食ってくれ」
シェイドの言葉にその場の者がみな頷き、それぞれ卵を手に取る。
「シェイド! フィアの卵割って、割って!」
「へいへい。フィアは黄身だけでいいんだよな……」
シェイドは卵を割り入れた器を神へと渡す。神はそれを入念にかき混ぜると、鍋の肉へと早速手を伸ばした。
その時の事だ。
また先ほどと同じ、時空魔法の気配をケイオスは感じ取る。黒猫の姿で神の膝にいたケイオスは慌ててその顔をあげた。
この場の者たちは微小な気配にまだ誰も気づいてない。
和やかに談笑し、酒の杯を傾けている。肝心の神も必死に肉を頬張っており、気づいてない。
遅れて来る参加者が転移魔法で現れる可能性があるが、先ほどの一件がある。
ケイオスが神へと注意を促そうとしたその時の事だ。
今までほんの僅かだった魔力が突然膨れ上がる。
これはおかしい。転移魔法などではありえない。
ケイオスはその魔法の正体に気付いた。そして、この魔法に引き込まれるのを防ぐべく慌てて神に声をかける。
「神よ! どこかへ転送されるぞ!」
その言葉に神ははっとなった。そして慌てて鍋の肉をごっそり自分の皿へ移す。
あまりに予想外な彼女の行動にケイオスは思わず叫ぶ。
「違う! その様な事より他にやるべき事があろう!」
徐々にこの場の者たちの姿が薄れていく。
すでに使い手不明の強大な魔法に飲み込まれつつあった。
ケイオスはこの場で神を除くとただ一人、この事態に対応できるであろう存在——ルシファーを一縷の望みをかけて見る。
ルシファーは慌てて目の前の酒瓶に手を伸ばしていた……。
「ルシファー! お前もか!」
ケイオスの絶望的な声が響く。その場の者達は完全に魔法に飲み込まれていった。




