近藤勇(~稲荷泥棒~)
――はい? と。ここで俺は止まるしかなかった。
だって、そうだろう。愛すべき読者の諸君。
いきなり、自分が見も知らない都に自分が移動していて(それこそ、宇宙人の誘拐置去を疑うレベルで)。
それで俺は、どこに行くこともできなくなって。怖くなって。橋の下に隠れていたのだ。びくびく、怯えながら。
そこに、いきなり飛び込んできた女の子がいて。
それが超絶、と言っていいくらい可愛らしい女の子で。
彼女が最初に俺を見て言ったことは、
「……あ、アンタ。この近藤勇の私有地を荒らそうっての!?」
……だ。
どうであろう、皆さん。
今の状況が、いかに理不尽と混沌に見舞われたものであるかは、ご理解いただけただろうか?
うん。理解いただけたところで、次に映るとしよう。
さらに――。俺の前に現れた桃色の髪の女の子は、その幼い顔立ちのわりに、俺と同じ歳に見えるくらいの勝ち気な瞳で、
「アンタ。なによ。こっ、こんな橋の下で待ち伏せなんかしちゃって……っ! い、いったい全体。何様のつもり?」
彼女の言葉は、色々な意味で破綻していた。
まず、意味が分からないことその一。待ち伏せとは、どういうことだろう? 俺は純粋に、周りの都が怖くて橋の下に避難していただけだ。
そして、意味が分からないことその二。何様って、どいういうこと……?
「……あの、」
「ま、待って! 待ってよ! とりあえず、払うからっ!」
「へ?」
キッとした瞳で、睨まれる。
それから彼女は、着物の袖口を漁って中から出てきた小銭を数枚、俺の手の上にのっけてきた。
「…………?」
「な、なによ。足りないっていうの!?」
俺の上にのった高価は、五百円玉でも、百円硬貨でもなく……なにやら、中央にぽっかりと四角い穴の開いた、『銅銭』と呼ばれる変な形の通貨だった。
うん、なーんか。どこかのテレビの特集で見たことがある。江戸時代に使われてた硬貨で、ときどき田舎の庭先から発見されることがあるらしい。ここほれワンワンではないが、大昔に先祖が埋めておいた財産なんだとか。
でも、ですよ?
その大昔の通貨を、俺の手にそっと握らせてくるこの女の子は、果たしてどういうことになるのですかね?
しかも、この硬貨。けっこう作られてから新しい。表面からツルツルとした光沢まで感じられる。
「…………あの、」
「う~っ。わ、分かったわよ! 勇ちゃん、奮発しちゃう! 奮発しちゃうから、ここに私が隠れてることは黙ってて!!」
と。さらに、俺の手に硬貨を握らせてくる。
俺は、その硬貨の冷たさよりも、彼女の白くて冷たい手の感触のほうに思わずドキリとしてしまったが――。向こうは、そんなこと気にしていないかんじだった。
そうこうしているうちに、俺たちが隠れる橋の表が、ギシッと軋みを上げる。
どうやら、先ほど追いかけていた男が、橋のほうまで探しにきたらしい。
『……ちっ。また逃げられたか……あのすばしっこい稲荷泥棒め。いっつも、この辺りで見失っちまうな……』
「………………」
ゴクリ。と、喉でも鳴らしそうな顔で、女の子は頭の上を見ていた。
つられて、なぜか俺まで息をひそめて固唾をのみながら見守ってしまっていた。俺がコソコソする理由は全くないのに、逃亡犯を匿うあの心理だろうか。
『毎度毎度、俺たち稲荷組合から稲荷を盗んでいきやがって……。今日という今日は、ギッタギッタに懲らしめてやろうと思ってたんだが』
ぶるるっと。その言葉を聞いて、隣の子が身震いする。顔も真っ青だ。
やがて。そんな女の子を置いて、オッサンの声は遠ざかっていく。
どうやら、あきらめて戻っていくようだ。
その太い足音も聞こえなくなって。女の子がホッと息をついて、小さな胸をなで下ろしたとき。
「……稲荷って?」
「ああ。あの人、そば屋さんなのよ。屋台の。そこで扱ってる具に、美味しい美味しい稲荷揚げが入ってるんだけど……。それを、私が隙を見て取ってきちゃうの」
「なんで? 他人事みたいにいってるけど、普通に買えばいいのに」
「私だって買いたいわよ。でも、これには複雑な事情があって……。いつか、あのおじさんにもお金を返したいって思ってるのに……」
と。悔しそうに肩を落としていた着物の女の子は、直後に「……って、」と俺に向き直って、
「なに自然に会話してるのよ! アンタ!」
「……! あ、あれ? そういえば……」
自分でも知らないうちに、ピンチを乗り越えたことで仲間意識が出てしまったのだろうか。というか。そもそも、そんなに深く考えずに俺はしゃべってしまっていた。
「元はといえば、アンタがこんな橋の下に待ち伏せしてるから焦って、小銭まで渡してしまったんでしょ!?」
「待ち伏せ……って。俺、そんなつもりなんか……」
「とにかく! 返しなさいよ、それ!」
と。言うなり、女の子は俺から銅銭を引ったくった。
「いや、まぁ……。いいんですけど。どっちみち、そんなお金使えないし」
「……? 使えない? なに言ってるのよアンタ? このお金が使えないんだったら、なにが使えるのよ」
ものすごく不思議そうな顔で、見られてしまった。
だって、そりゃそうだろ。銅銭だぞ? 昔の人が使ってるような。
自販機に入れたら当たり前におつりポケットに吐き出されるし、コンビニのレジでだしたら生温かい目で拒絶されるか、店の裏に呼ばれて取り調べられるかのどっちかだ。
だから俺は、この平成の世での硬貨を示すために、
「なにが使えるって、そりゃぁ……」
と、ポケットを探る。でも、財布がない。
ああそっか、よくよく考えたら財布はバスの定期入れと一緒にカバンの中に入ってるんだった――――と、そこまで考えて、俺はカバンを先ほどの路地に置いてきたことを思い出した。
「…………ぐっ……」
「な、なになに!? なんで急に突っ伏してるの!? アンタ?」
目を丸くする女の子に、俺は答えない。
カバンを置いてきた……って。こんな謎の都じゃなくても、十分すぎるくらいアウトだろう。俺よ。
通行人に拾われて、パクられるのがオチだ。それは、どこの世界でも変わらない常識だった。カバンを置いてきた俺は、どうして財布ぐらい抜いてこなかったのか…………。いや、まあ、そんな余裕はなかったんだけども。
「ふーん。なんか、変なやつね。アンタ。それに、格好もおかしい」
今さらかよ、という疑問を口にしながら、女の子はジロジロと俺の全身を見つめえてくる。学校のブレザーにズボンという俺の姿を。
「うん。なんか、気に入った。アンタ、名前はなんて言うの?」
「…………俺?」
「アンタ以外のどこに、アンタがいるってのよ。ほら、落ち込んでないで、ちゃっちゃと名乗る。なにも、番屋に引っ立てるなんて言ってるわけじゃないんだしさ」
ニッと。ちょとだけイタズラっぽい子供の笑みを浮かべる女の子。
さっき遭遇したときよりも、いくらか友好的な表情に見えた。
「俺は……慎也だよ。里中慎也」
「そ。私は、近藤。近藤勇よ。武蔵国の庄屋の娘として生まれたの」
そう自己紹介をして、俺の前で女の子は立ち上がった。
「――アンタ、うちに遊びにこない? うるさいのがいっぱいいるけど、賑やかでいいところよ」