タイトル未定2026/10/09 08:22
どうも、千作品を書いた作者です。
私はすべての作品をギャグのつもりで書いております。
どんなにシリアスに見えるものでも、ちっとも笑うところのないものでも──
シリアスとギャグの違いとは何でしょう?
そりゃ色々あるとは思いますが……
私が思うに、『シリアスは作者の思っている大事なことを書く』のに対して、ギャグは『なんでも書ける』というところが一番大きな違いだと思う。そういうふうに思います。←もちろんこの重複たっぷりの文章はギャグのつもりです。
ゆえに私の作品はすべてギャグです。
ちっとも面白くなくても、逆に感動して泣けてしまうようなものでも。
だって自分の言いたいことを作品に込めてないんですから。
思いついたことを何のこだわりもなく書いてるだけなんですから。
千作品も書けたのもこれがそのヒミツです。
私が自作を酷評されて怒ったことがないのもこれがそのヒミツです。シリアス専門のひとは酷評すると発狂したりするので嫌いです。
『戦争は悪いものだ』と考えているひとが真面目にシリアスなものを書いたら、平和を肯定し、戦争を否定するようなものになるでしょう。
しかしそれをギャグで書けば、弱い人々を殺しまくって権力ある方々がウハウハするようなものでも『ブラックジョークですね?』と笑ってもらえることもあるのです。
既に自分が何を言いたいのかわかりませんが──
つまりはギャグは何もかもを肯定できるのです。
シリアスは必ず何かを肯定し何かを否定するのに対して──
なんでもかんでもどーでもよくするのです。
ここにこそ、ギャグの崇高さがあります。
坂口安吾さまの『ファルス(笑劇)について』の中に、次のような文章があります。
『ファルス(笑劇)とは、人間の全てを、全的に、一つ残さず肯定しようとするものである。』
さらに、安吾は次のように述べています。
『ファルスとは、否定をも肯定し、肯定をも肯定し、さらに又肯定し、結局人間に関する限りの全てを永遠に永劫に永久に肯定肯定肯定して止むまいとするものである。』
こういった安吾さまの思想を私が解説するといつものように何が言いたいのかわからないものになってしまいますので、チャッピーさんに解説していただきました↓
特に重要なのは、安吾が「肯定すること」と「矛盾を解決すること」を区別している点です。人間のありのままの混沌を肯定し続けることこそ、ファルスの精神だと論じています。
なお、厳密には、安吾が述べているのは「すべてを肯定するからこそ、ファルスは他の文学形式より価値が高い」という単純な優劣論ではありません。冒頭で彼は、ファルスを悲劇や喜劇より低い精神から生まれるものとは考えていない、と述べています。
つまり、笑劇は人間の愚かさを批判して正すためのものではなく、愚かさも矛盾も含めた人間そのものを肯定する文学なのだ、という理解が近いでしょう。
この考え方は、ナンセンス文学や不条理な喜劇を考えるうえでも、非常に興味深い視点だと思います。
なるほど!
つまり、ギャグ(ファルス)はシリアスをも肯定するのですね!
過去にエッセイで『ギャグはシリアスよりも価値が高い!』みたいに書いたことのある私が否定されました。
でも、私はすべての作品をギャグのつもりで書いておりますから、あのエッセイの『ギャグはシリアスよりも価値が高い』という内容もつまりはギャグだったのです。否定を肯定したのです。
あぁ……ギャグってなんて便利なんだ。
そろそろこのエッセイの主旨を決めます。
ギャグはよく『くだらない』と言われますが──
くだらないものにこそ重要な価値があるんです!
はははは……。またシリアスを否定しちゃったかもだよ。




