どんな形でも
タオルを持って、急いで池にまで戻るとそこにエニシダはいなかった。
誘拐されたのかと焦るが、周囲に人の気配はない。
それに秘密の花園はシオンたちも偶然見つけることができた。
そんな場所を誘拐犯がたまたま見つけて、そこにいたエニシダを誘拐した可能性は限りなく低い。
だが、それよりもっとエニシダが自分の足で歩いて移動した可能性の方が低い。
エニシダはもう自分の足で歩くことができない。
シオンはエニシダを必死で探すが見つからない。
いったいどこに行ったんだと後ろを振り返ったとき、何か違和感を感じた。
何が、と聞かれたら上手く説明できないが、今見ている光景はどこかおかしかった。
よく目を凝らして観察して、ようやくその答えがわかった。
踏まれた花が折れていない。
元通りになっていた。
魔法か何かでそうなったのだろうか。
カラクリは今はどうでもいいが、もし魔法だと仮定したら、その魔法がエニシダに何らかの影響を及ぼしたのではないかと思った。
シオンには魔法の才能がないため、この仮定が正しいか判断することはできない。
結局、振り出しに戻ってしまったが、そのとき花に水がついているのが見えた。
その水は池の近くの花から始まっていた。
さっきまで見えなかったその水が、今は宝石のように輝き、エニシダが移動した道を教えてくれているかのようだった。
シオンは考える間もなく、その水に導かれるように走り出した。
その道なりは長かったようにも感じたし、短かった気もする。
時間にすれば、たった三十秒程度の距離。
美しい花畑に寝転んでいるエニシダを見つけた。
(見つけれて良かった)
頭の中では否定していたが、もし本当に誘拐されていたらと思うと怖くて仕方なかった。
エニシダの姿を見つけ、安心したからか急に体の力が抜けた。
声をかけたが返事がなかった。
シオンはゆっくりと近づき、エニシダにまた声をかけようとしたが、あまりにも幸せそうに眠っているので声をかけるのを躊躇ってしまう。
だが、その寝顔を見て胸がざわついた。
不安になった。
幸せそうなのに、二度と目を覚さない気がした。
息をしているか呼吸を確認しても、脈を測っても動いていなかった。
シオンは最悪な現実をこの瞬間、叩きつけられた。
最後まで一緒にいさせてほしい、と頼んだのに最後の最後でその約束を破らせるなんて、なんて酷い人なのだろう。
エニシダが自分のためを思って、優しさのつもりでしたことだとシオンにはわかっていたが、その優しさがシオンの心を傷つけた。
シオンの世界が崩れかけているとき手紙が目に入り、それが自分宛だとわかると封を切り、何が書いてあるのか確かめた。
シオンは文字を読むことができない。
だが、封に書かれてある文字が自分の名前だとわかることができた。
それは紙にかけられた魔法のお陰だろう。
噂で聞いたことがある。
紙にある魔法をかけると、文字が読めない人がその文字を読むと頭の中で勝手に理解できるようになる魔法があると。
ただ、その紙は普通の紙よりとても高く貴族の中でも裕福でなければ買えない代物だと。
貴族は文字が当たり前に読めるのに、なぜそんな魔法を作ったのかと文句を言われていた。
所詮噂、存在しないと思っていたが、その紙が自分の手元にある。
シオンが文字を読めないと何気なく言った言葉をエニシダが覚えていて、わざわざその紙で手紙を書いてくれたことが嬉しかったが、素直に喜ぶことはできなかった。
書かれていた内容はシオンを嬉しくさせたのと同時に地獄へと落とした。
特にシオンの心を傷つけたのは「忘れてください」という文字だった。
シオンにとってエニシダを忘れるということは、これまでの人生の全てを否定するということだ。
どうでもいい他人に「忘れろ」と言われても何とも思わないが、恩人でありシオンの全てであったエニシダ本人から言われるのは心掛けて張り裂けそうなくらい痛かった。
それとは別に手紙を読んでエニシダは大きな勘違いをしているとシオンは思った。
言っていないのだから、そう思ってしまうのは仕方ないことだ。
手紙には「あなたは私が死んだ後も人生は続きます」と書いてあったが、それは違う、と心の中で即否定した。
シオンはエニシダのいない世界で生きて行くつもりなど最初からなかった。
ゲイルは何も言わなかったが、きっとエニシダが死んだら自分も後を追おうたしていることには気づいていただろう。
それでも何も言わず、尊重してくれたことには感謝しかない。
シオンはエニシダがいたから、これまで生きてこれただけだ。
エニシダがこの世界からいなくなった以上、シオンはこの世界に留まる理由などない。
ーー生きろ。生きて幸せになれ。
そんな言葉を例えかけられてもシオンの心には響かなかっただろう。
その言葉がどれだけ残酷で人を不幸にするかもしれない言葉だとシオンは身をもって知っていた。
それに最後まで共について行くと約束した。
破るわけにはいかない。
いや、どんな形でもいいから側にいたかった。




