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婚約破棄


一週間後。


ようやく家を出る準備が整った。


あとは、イフェイオンに婚約破棄を告げるだけ。


父も夫人も私が呪いのせいで残りわずか生きれないことに嘆いて部屋から出てこないと思っている。


呪いが映ることはない教皇に断言されたが、万が一を考えてか、神殿に行った日からは使用人たちでさえ私の部屋に近づくことはなかった。


今なら誰にもバレずに家を出ることができる。


昨日、売った宝石のお陰で一年間遊んで暮らしても半分も使えないほどの金額を受け取った。


伯爵家の馬車は使えない。


街で依頼をするしかない。


今持っている中で最も高価なドレスを着て、私はイフェイオンに会いに行った。


婚約破棄を告げるために。




※※※




街の馬車の乗り心地は最悪だった。


座った瞬間から嫌な予感はしていた。


同じ道を走っているのに、揺れも痛さも何もかもが酷くかった。


でも、何故か楽しかった。


乗らなければ知らなかった違いを知れたことが嬉しかった。


でも、二度と乗りたくはないが、帰りもあるためもう一度乗らなければならない。




ルーデンドルフ公爵家に着くと門番に私が婚約者のエニシダ・オルテルと名乗り「会いたい」と言っていると伝えて欲しいと頼んだ。


事前に連絡もせず突然訪問することは無礼だとわかっていたが、婚約破棄したいからイフェイオンと会いたいと言っても許してもらえるはずがない。


手紙を出すとなっても、必ず父が内容を確認する。


そうなると、当日に訪問する方法しか残ってなかった。


少しして門番が帰ってくるが、隣にもう一人男性がいた。


服装からして執事だろう。


断られるのかと身構えたが、執事は挨拶したあと「ご案内します」と言って、門を開けさせた。


案内されている間、会話は一切なかったが気まずさはなかった。


彼の晒し出す柔らかい雰囲気のお陰だった。


屋敷の中に入ると思ったのに、彼は庭の方へと向かっていった。


なぜ?と思ったが、すぐにどうでも良くなった。


庭にある花があまりにも美しかった。


オルテル家とは比べ物にならないほどの色鮮やかな花たち。


きちんと手入れされていて、ここだけ別の世界なのではと思うほどの美しさだった。


(綺麗だわ)


花に目を奪われていると、執事から「あちらにお待ちしております」と声をかけられた。


執事に促されるように視線を向けると、庭の真ん中にこじんまりとした休憩場があり、そこにイフェイオンがいた。


後ろ姿しか見えず、彼が今どんな表情をしているのかは見えなかった。


突然訪問したけど、会ってくれる優しさに感謝した。


婚約者の立場を利用している自覚はあったが、今の私にはそれを利用しなければ会うこともできない。


罪悪感はあったが、呪いのお陰で彼を自由にできるのだからと納得させた。


もう二度、彼の近くにいることができないと思うと苦しくなる。


でも、彼が愛する人と幸せになれるのならこれ以上嬉しいことはない。


きっと、そんな未来が訪れたら私は自由を好きになることができるかもしれない。


「突然の訪問、お許しくださりありがとうございます」


話しかけても彼は私の方を見ずにいた。


「イフェイオン様」


名前を呼んでも反応はない。


「私達、婚約破棄しましょう」


長い沈黙が訪れる。


まるで時が止まったみたいに私達は動かない。


風が吹き髪が靡こうが関係ない。


雲で隠れていた太陽が顔を出し、私を照らす。


そのせいで彼が今どんな表情をしているのか見ることができない。


せめて、彼の目に映る最後は笑っている私でありたくて、柔らかい笑みを浮かべ続けていた。


ふと、彼と目が合った。


また、太陽が雲に隠れたせいだ。


「いま、なんと言った?」


(怒ってる?ううん、そんなことはないわ。そんなことあるはずないわ……)


私は彼の反応が想像していたのと違い困惑したが、冷静にもう一度同じ言葉を繰り返した。


「'私達、婚約破棄しましょう'、と申し上げました」


今度はイフェイオンの目をしっかりと見つめて言った。


宝石のように美しい彼の目を見ていると呪いで同じ色になった後もなる前も燻んでいるように感じてしまう。


「なぜだ?」


イフェイオンは眉間に皺を寄せながら問う。


「私、呪われました。もって半年だそうです。でも、もしかしたら、明日死ぬかもしれません」


まるで他人事のように話してしまう。


おかしくてつい笑いそうにもなってしまう。


今まで自分が死ぬ未来なんて考えたことは一度もないのに死ぬのは怖いと思っていた。


でも、いざ目の前に死の扉が現れたらなんとも思わなかった。


死ぬことより生きることの方が怖いと思っているのかもしれない。


だから、死を口にしても笑っていられるのだろう。


「だが、治るのだろう」


いくら好きでもない女でも、呪われて死ぬかもしれないと知れば心配なのだろう。


イフェイオンの口調はいつもと違い、どこか不安そうに聞こえた。


「いいえ、私にかけられた呪いは不治の呪いです。この呪いにかかったものは必ず死ぬと言われております」


首を横に振り、助かることはないと伝える。


また、太陽が顔を出した。


今、彼がどんな顔をしているのかわからないけど、目の前にいる女がもうすぐ死ぬと聞かされたらいい気分ではないことは確かだ。


無理矢理させられた婚約など早く忘れて幸せになって欲しい。


「短い間でしたが、イフェイオン様と婚約することができて幸せでした。どうか、今度は愛する人と幸せになってください」


そう言うと、イフェイオンの息を呑む音が聞こえた。


彼が何か言おうとしている雰囲気を感じた。


もし、励ましや慰めの言葉をかけられたら泣いてしまう。


彼の優しさを知れば忘れられなくなる。


それだけは駄目。絶対に避けないといけない。


嫌な女になりたくない。


死ぬまでそばにいて欲しい。


最後まで私の婚約者でいて欲しい。


そんなことを言ってしまいそうになる。


私をグッと歯を食いしばり、自分にしっかりしろと言い聞かせる。


これが本当に最後なのだ。


ドレスの裾を掴み、今まで一番美しく優雅なお辞儀で微笑んだ。

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