すれ違い
オルサーストにきて一週間が過ぎた頃、イフェイオンがここに向かってきているという噂が街に流れた。
(うそ……)
この街にずっといるつもりはなかったが、もう少しだけ滞在していたと思っていた。
なんで、彼がこの街に?
偶然だとしても嫌だった。
せっかく彼を諦めることができたのに、手放せたのに、もし会ったらまた好きだった気持ちが蘇ってくるかもしれない。
そう思うと急に怖くなった。
どうしてこの街に来るのかはわからないが、呪われた元婚約者もこの街にいた、と噂になれば彼の人生の汚点になる。
最後まで迷惑をかけてはいけない。
彼がこの街に来る前に去らなければ。
急いで宿に戻り旅立つ準備をする。
取り乱していたからか、シオンが帰ってきたことにも気づかなかった。
シオンは私の様子がおかしいことに驚くも、すぐに落ち着いた声で優しく声をかけてくれた。
「お嬢様。次はどの街に行きたいですか?」
きっと、シオンの耳にもイフェイオンがこの街を訪れるという噂は届いているはずなのに、わざと知らないフリをしてくれた。
その優しさが今の私には何よりも有り難かった。
もう、私とイフェイオンは何も関係ないと言ってくれているようで。
「……そうね。次はどこがいいかしら?シオンは?どこか行きたい場所はないの?」
シオンのお陰で冷静さを取り戻せた。
どこに行きたいか考えたが、いい場所は思い浮かばなかった。
普通の生活をしたいと憧れていたのに、何が普通なのかわからなかった。
街で令嬢はどうやって過ごすのか?
平民たちはいったいどんな遊びをするのか?
何一つ知らなかった。
もし、知っていたら残り少ない人生を楽しむことができたのだろうか。
何も知らない自分が恥ずかしくなるのと同じくらい惨めで消えたくなった。
そんな気持ちをシオンには知られたくなくて笑いかけたが、上手く笑えなかった。
「そうですね。お嬢様はお花が好きでいらっしゃいますよね」
「そうね。花は好きよ」
オルテル家に庭はあるが、ルーデンドルフ家と比べると小さく、何より花が植えられていないからか、あまり魅力的な場所とは言えない空間だ。
咲いているのは雑草と間違われるような花だけ。
その花たちも好きだが、令嬢たちに花と認識されている花も好きだった。
「では、ルルシオに行きませんか?この時期に咲く、ネモフィラがたくさん咲いている場所が有名だそうです。とても美しいと評判みたいです」
どこでそんな情報を手に入れたのか気になるが、美しいと評判のネモフィラの花畑が気になり、気づけば「行きたいわ」と返事をしていた。
「では、決まりですね。行きましょう」
シオンは二人の荷物を持って、手を差し出した。
私はその手を掴み、「うん。決まり。行こう」と微笑んだ。
※※※
イフェイオンがオルサーストを訪れるという噂が流れる三日前。
イフェイオンはゲイルからエニシダがオルサーストにいるという情報を手に入れると、急いで船で出発する準備をするように命じた。
準備は順調に進み、次の日には出発できる予定だった。
だが、イフェイオンの元に予期せぬ来客が訪れたせいで、出発は延期になってしまった。
「公爵」
イフェイオンは父親の姿を目にした瞬間、嫌な予感がした。
本当は無視して船に乗りたかったが、乗ったところで無理矢理止められるのがオチだと思い、用件を聞くことにした。
「なぜここにいるのですか?」
親子の会話だというのに、二人の空気は重く、イフェイオンの声も冷たく刺々しい。
「それは、こちらの台詞だ。なぜ、お前はここにいるのだ?」
公爵の声もイフェイオンに負けないくらい冷たく刺々しかった。
「なぜ?おかしいなことを聞くんですね?」
ハッ、とイフェイオンはバカにするように鼻で笑う。
公爵はそれに怒ることなく淡々と「おかしなことをしている奴がいるから、おかしな質問をするしかないのだ」と挑発する。
「そう思うのなら、ほっといてくれますか」
「それはできんな。お前は私の息子で、時期公爵だ。そんな人間が不治の呪いにおかされた元婚約者を探しているなんて噂がたてば、我が家の恥になる。即刻やめろ」
公爵の言葉を聞くなり、イフェイオンは殺気を放つ。
実の父親に向けるような目つきではなかった。
今にも公爵を殺しそうな勢いの目だった。
「やめろと言われたからやめると思うか」
「なら、ルーデンドルフ家から名を消すことになるぞ」
さすがに、ここまで言えば大人しく帰るだろうと公爵は思っていたが、イフェイオンは「なら、消せ」と即答した。
本気か、と公爵は目を見開くが、イフェイオンの目を見て本気で言っているのだと気づいた。
恋は人を盲目にさせるというが、まさか自分の息子がそんな愚かな人間だったということに驚きを隠せなかった。
半信半疑でオルテル領の港に赴いたが、来て正解だったと思った。
一昨日、エリカの話しを聞いたときは信じられなかったが、今なら信じられる。
このままイフェイオンを行かせたら、待つのは破滅だ。
公爵はそう確信した。
例え、恨まれたとしても息子の未来のために引き止めなければならないと思った。
全ては息子の未来を思って言ったことだったが、その思いはイフェイオンには届かなかった。




