彼女の過去
「イフェイオン様。至急ご報告したいことがあります」
ルーデンドルフ家に帰って早々、オルテル家に潜入させていた部下からそう言われた。
その者は影なため、誰にも気づかれずに部屋までついてきた。
「それで、何がわかった」
その者は顔色一つ変えずに自分が見たこと聞いたことを淡々と話し始めた。
「栄光の冠はエニシダ嬢ではなく、その妹のアドリアナ嬢が保有していました。伯爵はそのことを知らず、夫人と使用人たちは知っておりました」
イフェイオンは部下の言葉を聞いた瞬間、怒りが頂点に達し、椅子の肘掛け部分を破壊してしまう。
そんなイフェイオンを気にせず、部下は話しを続ける。
「それと、エニシダ嬢は日常的にオルテル家の者とそこに仕える使用人たちから虐げられていたようです」
「……!それは、どういうことだ」
今度は反対側の肘掛け部分を破壊する。
「現伯爵夫人がエニシダ嬢の実の母親でないことと関係あるみたいです」
「では、本当の母親はどこにいる?」
「エニシダ嬢を産んですぐに亡くなられたそうです。その後、すぐに愛人が妻の座につきました。それが今の伯爵夫人です」
「……」
イフェイオンは頭が真っ白になった。
戦場でもこんなことはなかった。
どうしたらいいか悩んでいると、更に頭を鈍器で殴られたような衝撃の話しを部下はさらに続けた。
「それと、いま社交界でエニシダ嬢のことについての噂が流れています」
その噂はイフェイオンが戦場にいるときに行われた令嬢のお茶をきっかけに流れ始めた。
「エニシダ嬢の実の母親は娘を捨て若い男と逃げ出した。そのせいで、伯爵を傷つけた女の娘を可愛がることができない夫人はエニシダ嬢を愛さない、と」
「なんだ、そのふざけた噂は。誰が流したのだ」
イフェイオンはふざけた噂を流した者たちを八つ裂きにし、その家紋を潰してやろうと本気で思った。
「カーウィン伯爵令嬢、スウェイト侯爵令嬢、マキオン侯爵令嬢、二ヴェール子爵令嬢の以上四名の令嬢たちです」
「俺の婚約者に喧嘩を売ると言うことは、俺に喧嘩を売ったも同然だ。潰せ」
「畏まりました」
部下は頭の中でどうやって彼らを潰すそうか作戦を練りはじめる。
「それと、もう一つ重要なご報告があります」
「なんだ?」
まだ何かあるのか?とオルテル伯爵に対して怒りを通り越して呆れてしまう。
エニシダの父親だからと普段はしない優しい対応をしたが、彼女を傷つけていた害虫だと知っていたら容赦なく斬れば良かったと後悔した。
「エニシダ嬢は三週間前から行方がわかっておりません。イフェイオン様がオルテル家を訪れた際、既にあの屋敷にはいませんでした」
「……!」
イフェイオンは勢いよく椅子から立ち上がった。
その反動で椅子は大きな音を立てながら後ろに倒れた。
「なら、彼女は今どこにいる?」
「わかりません。エニシダ嬢がいなくなって、すぐに伯爵が領地内に検問を設置しましたが、もしエニシダ嬢が魔道具で髪色を変えていた場合、既にオルテル領地から出ている可能性もあります。部下たちにオルテル領地内を徹底的に探させてますが、見つかっておりません」
念の為、数人だけオルテル家の潜入を続けさせているが、それ以外は全員エニシダの捜索をさせていた。
「……エニシダ嬢が消えたのはいつだ」
イフェイオンは叫びたいのを我慢し、深呼吸を繰り返して冷静さを取り戻した後、そう尋ねた。
「公爵家に来た日です」
(あの日か……)
イフェイオンは後悔した。
あの日、何としてでも彼女を引き止めるべきだった、と。
何も言わずに別れた過去の自分を本気で殴りたくなった。
彼女の生い立ちも過去もどれだけ辛い日々を過ごしていたのかもさえ知らなかった。
そんなときに、不治の呪いにかかった。
彼女はそのとき、いったいどんな気持ちだったのか、想像してみてもわからなかった。
ただ、今すぐ彼女に会いたかった。
会って謝りたかった。
「その日、何があったか調べはついているか」
「はい。もちろんです」
部下はエニシダが公爵家を去った後の話しを調べて知った全てを報告した。
妹に暴言吐かれたこと、伯爵と夫人に殴られたこと、騎士たちに襲われたことを一つ残らず話し終えると、イフェイオンは彼らに対して殺意が湧いた。
「彼女は無事なのか?」
怒りで声が震える。
騎士に襲われたのなら怪我をしているのではないかと心配になる。
行方不明の理由が騎士に襲われたことなら、その者たちは必ずこの手で殺してやる誓う。
「何者かがエニシダ嬢を助けたみたいです。その者の正体はわかりませんが、可能性としてエニシダ嬢はその者と一緒にいるのが高いと思われます。ただ、その者がエニシダ嬢を守っているのか、攫ったのかまではわかりません」
部下は申し訳ありません、と謝る。
イフェイオンは今すぐ屋敷を飛び出してエニシダの元に向かいたかったが、どこにいるかわからない以上、どうすることもできなかった。
オルテル領地内にいるならいいが、もうとっくに出ているだろうとなんとなく感じていた。
そうなると行き先がわからなければ、動くことができない。
せめて、どこの検問から出たかだけでもわかれば進路を予想することができる。
それすらもわからない現状ではうつ手がない。
せめて、無事なのかだけでも知りたかった。
会いたい。彼女に会いたい。
でも、何もできないでいる自分に腹を立てていると扉を誰かが叩いた。
「ギルバートです」
「……入れ」
イフェイオンは今にも消えいるそうな程の弱々しい声で許可した。
ギルバートは初めて聞くイフェイオンの声に困惑しながら部屋に入ると、怒っているのか、泣きそうになっているのか、なんともいえない表情をしている彼に生まれて初めて心配になった。




