婚約者突撃
「旦那様!大変です!」
真っ青な顔をした部下が慌てて部屋に入ってくる。
「ノックもせずにはいってくるとはな」
伯爵は苛立ちを隠さず部下を睨みつける。
「も、申し訳ありません。急いでお伝えしなければと思いまして」
部下は慌てて頭を下げて謝罪をする。
殴られるのを覚悟して伯爵の言葉を待つ。
「そうか、ノックをするのも忘れるくらい急いで伝えなければならない用事があったのか。言ってみよ」
もし、これで大した用事ではなかったらこいつを気が済むまで殴ってから辞めさせてやる、と決める。
エニシダが見つからなくてイライラしているなに、部下までもが自分をイラつかせることが伯爵には許せなかった。
「はい。イフェイオン様がお見えになりました」
「今、何と申した」
聞き間違いであって欲しいと思い、部下にもう一度言うように言うよう命じる。
「イフェイオン様がお見えになられております」
「どこにいる」
なぜイフェイオンが?
いつも手紙を寄越してから訪ねてくるのに、どうして今回は何も寄越さずに訪ねてきたのか。
もしかして、エニシダが消えたことに気づかれたのか、と考えるもすぐに頭からその考えを消し去る。
きっと、婚約破棄についてのことだから大丈夫だ。
もし、エニシダに会いたいと言われたら、呪いのせいで体調が悪いと言って断ればいい。
伯爵はイフェイオンが待っている客室に急足で向かった。
客室に入ると、イフェイオンは険しい顔をしていた。
「イフェイオン様。お待たせして申し訳ありません。今日はどういったご用件でしょうか」
伯爵は普段使わない表情筋を動かして、媚を売るように笑いながら尋ねる。
「伯爵に聞きたいことがありまして」
イフェイオンは伯爵の目をしっかりと見つめた。
「な、なんでしょう」
イフェイオンに感情が消え去った目で見つめられると、心臓を直接掴まれたみたいな恐怖の感覚に襲われた。
「私が贈った栄光の冠はエニシダ嬢が持っているんですね」
「もちろんです。当然ではありませんか。エニシダが大事にもっていますよ」
伯爵は笑顔で答える。
「そうですか。それならいいんです。ただ、妙な話を聞きまして」
「妙な話とはなんでしょう」
伯爵は笑顔で返事をしながら、「若造が威張りやがって」とイフェイオンの態度に内心腹を立てていた。
「エニシダ嬢は栄光の冠を受け取っていない、と。本人もそれを認めたと。これはいったいどういうことでしょうか?伯爵。私は毎年、エニシダ嬢に栄光の冠を贈っているはずですが?なぜ、こんな話が出回っているんでしょうか?」
イフェイオンに凍てつくほどの冷たい視線を伯爵は自分の首に剣が突きつけられているかのような死の恐怖に襲われた。
下手なことを言ったら殺される、と錯覚してしまうほどの目だった。
そもそも、なぜそんな話が出ているのかさえ伯爵にはわからなかった。
伯爵の頭の中は金儲けのことで頭がいっぱいだった。
エニシダが社交界でなんて言われているかは知っていたが、どうでもよかった。
公爵家と繋がりが持てたことは良かったが、元々使い道がなく権力と金儲けのために政略結婚させる以外価値がない存在だった。
そのため、エニシダが何をしようが何をされようが興味がなかった。
アドリアナと違って、会話らしい会話などした記憶もない。
エニシダのことは全て妻に任せていた。
栄光の冠が贈られたときも毎回渡すよう指示を出していた。
それなのに何故エニシダが栄光の冠を持っていない、という話が社交界で出回っているのか理解できなかった。
いくら今の妻が元平民で愛人だったからといって娘の婚約者が贈ったものを盗んだりしないだろう。
相手が公爵家ならなおさら。
そこまで頭が悪い女ではないはずだ。
だからこそ理解できなかった。
エニシダも栄光の冠を受け取っていない、と認めたことが。
どんな話が社交界に出回っているのか知る必要があったが、今は目の前のイフェイオンを納得させる方が先だった。
伯爵は妻のことを信じ、イフェイオンの目を見てこう答えた。
「もちろん、贈られてきた栄光の冠は毎回エニシダに渡しております。そのような話は全て嘘です」
「伯爵が直接渡しているのですか?」
「あ、いえ、妻が渡しております」
「そうでしたか。わかりました。伯爵の言葉を信じましょう」
「ありがとうございます」
伯爵はイフェイオンの纏う空気が柔らかくなり、張り詰めていた緊張が解け疲れがドッと押し寄せてきた。
なんとか乗り切れて良かったと思った束の間、イフェイオンの言葉を聞いて更なる緊張が生まれた。
「ただ、もし今の言葉が嘘だった場合は、もちろん覚悟はできていますよね。公爵家のものを盗んだことになりますから」
まるで、そうであって欲しいかのように話すイフェイオンに伯爵は心の中で「大丈夫だ。栄光の冠はエニシダがもっている」と何度も自分に言い聞かせるように繰り返し呟いた。
「では、私はこれで。エニシダ嬢にお話がありますので」
そう言ってイフェイオンはこの部屋から出て行こうとすると、慌てた様子の伯爵に止められた。
「それは駄目です!」
「なぜですか?」
イフェイオンは眉間に皺を寄せる。
「エニシダは今は誰にも会いたくないと申しております。自分の醜い姿を誰にも見られたくないと。どうかお察しください。不治の呪いをかけられて、いつ死ぬかもわからないのです。娘が自らの意思で出てくるまで待ってもらえませんか?」
イフェイオン様が来られたことは伝えておきますので、と頭を下げながら言った。
「……わかりました。今日は帰ります」
イフェイオンは一瞬悲しそうな顔したが、すぐに元に戻ってから小さな声で言った。
本当は今日会って、こないだ言えなかったことを伝えたかった。
ーー婚約破棄はしない。あなたが呪われようと側にいさせて欲しい。一緒に生きていきたい。
そう伝えたかった。
だが、今の状態のエニシダに言うのは自分勝手な気がして落ち着いたときにきちんと話すべきだと思った。
辛いときに側にいることを許してもらえない自分の不甲斐なさに腹を立てながら、オルテル家から出て行った。




