別れ
「あ、おはようございます」
喉が渇き、いつもより早く目が覚めて階段を降りると、既にゲイルが台所に立って朝食の準備をしていた。
「ああ。おはよう」
ゲイルは優しく微笑んでくれた。
挨拶をして挨拶を返してくれるだけでも嬉しいのに、微笑みながら挨拶してもらえて嬉しくて目頭が熱くなり、涙が溢れそうになった。
「今、作り始めたばかりだからもう少し待ってくれ」
「私も手伝います」
「ありがとう。じゃあ、こっちで一緒に作ろうか」
「はい」
初めて料理をした。
野菜を切るのも、魚を焼くのも、スープを作るのも。
全部初めてすることで上手くできなかったが、ゲイルは呆れることなく丁寧に何度も教えてくれた。
そのおかげで、料理をするのがこんなに楽しいことなんだと初めて知った。
死ぬ前にそのことを知れて嬉しかった。
出来上がった料理に感動していると「お嬢様。おはようございます」と声をかけられた。
後ろを振り向くと髪も服もきちんと整えられていた。
「おはよう。シオン」
最初はオルテル家の騎士とわかっても敬語で話そうとしたが、シオンに敬語はやめて普通に話して欲しいと何度も言われてそうすることにした。
「俺にはなしか?」
私の隣にいたゲイルは眉間に皺を寄せて言う。
もし、この顔のゲイルを昨日の私が見たら怖くて気絶していたかも知れない。
「ああ。ゲイルもいたのか。おはよう」
シオンは声をかけられて気づいたのか、それから挨拶をした。
「はぁ。お前はそういう奴だよな」
ゲイルは呆れたようにため息を吐いてから、料理をテーブルへと運んでいく。
私とシオンも一緒に料理を運んだ。
「あの、これ……」
私は小袋に入った金貨をゲイルに渡そうと胸の前に持ってくる。
「これは?」
ゲイルは小袋を不思議そうに見ながら首を傾げる。
「診察と食事と泊めてもらったお礼です」
受け取ってください、と渡そうとするがゲイルは「これは受け取れないよ」とお礼を拒否された。
「どうしてですか?」
医院に病気を診てもらったらお金を払う。
お店で料理を食べればお金を払う。
ホテルに泊まればお金を払う。
当然のことだ。
私が彼にお金を払うのは当然のこと。
それなのに、どうしてゲイルは受け取ろうとしないのだろうか。
「俺、昔あいつに助けられたんだ」
そう言って、懐かしそうに目を細めるゲイルに私はその視線を辿ってシオンを見た。
二人の過去は知らない。
何があったのか、どうやって知り合ったのか。
でも、二人のやりとりを見るだけでお互い信頼しているのがわかる。
「今の俺があるのはあいつのおかげだ。だから、あいつが困っているときや助けて欲しいときは助けると決めている」
そこまで言うとゲイルはシオンから私へと視線を移した。
真っ直ぐ私を見つめてこう続けた。
「だから、このお金を受け取ることはできない」
「……そういうことなら、わかりました。本当にありがとうございます」
お礼をしたいけどもうすぐ私は死ぬ。
ここにいてゲイルに恩を返したいと思うけど、そうすれば迷惑になる。
オルテル家に追われているのに、そんなことできるわけがない。
私にできるのは心から感謝の言葉を述べることだけだった。
※※※
「ほれ、これ」
ゲイルはシオンにブレスレットを投げる。
「なんだ、これ?」
シオンは受け取る。
少し金がはがれているシンプルなブレスレットをみて首を傾げる。
「変身魔道具だ」
ゲイルの言葉を聞いてシオンは目を見開く。
そんなシオンを無視してゲイルは話を続ける。
「髪の色を変えてくれる。あの子につけてやりな」
あの髪の色は目立つからな、とつけたす。
「気づいていたのか」
「あの品のよさは貴族のものだろ。歩き方も食事も全てにおいて美しいという言葉がよく似合う。それになによりお前が一緒にいるからな」
「……!確かに、そうだな」
「会ったことはないが、一目見て気づいたよ。彼女がエニシダ様だってな」
二人の間に沈黙が流れる。
先にその沈黙を破ったのはゲイルだった。
「もう、戻ってこないつもりか?」
「……」
シオンは何も答えず、微笑んだ。
「後悔のないように生きろよ」
「……ああ。そのつもりだよ」
「元気でな」
「ああ。ゲイルもな。今までありがとう」
ゲイルは二人の姿が見えなくなってもその場から立ち去らず、ずっと見送り続けた。
もう二度と会うこともない二人の幸せを願った。




