穢された森
「リュミナは引き続き村を守って欲しい」
ライエルの傷を癒しながらユリウスが告げる。
「わかりました、お気を付けて……」
こうして――ユリウス、ヴォルカ、そして傷ついたエルフの王子ライエル=フェンローズの三人人による、エルフの里への旅が始まった。夜空には、星々が静かに輝いていた。しかし、森の奥深くには、かつての司祭サリオン=ダスクベインが待つ暗闇が広がっている。それは、新たな脅威との出会いとなるだろう。
ユリウスは剣を鞘に収めながら、静かに呟いた。
「サリオン=ダスクベイン……一体どんな人物なのか。そして、なぜこのようなことを……?」
***
彼の森は暗く、重苦しい。
木々は黒ずみ、まるで生き血を吸ったかのように不気味な斑点が浮き出ていた。精霊たちの囁きは甘美な旋律ではなく、喉を引き裂かれたかのような不協和音の呻きへと変わっている。空気そのものが淀み、息をするたびに肺が腐っていくような錯覚に陥る。以前は美しかったであろう苔むした小径は、今や足を取られる泥沼のようで、生命の気配は皆無だった。
「クソッ……気味悪ぃな。こんなの、森じゃねぇ。ただの墓場だ」
ヴォルカは低く唸るように吐き捨てた。普段の荒々しさは影を潜め、その瞳には明確な警戒心とわずかな恐怖が滲んでいる。煤炎竜としての本能が、この異常なまでの瘴気を拒絶していた。
一方、ライエルは唇を強く噛みしめ、手綱を握る手に血が滲むほど力を込めていた。
「全て……サリオンの仕業です。かつては敬われた司祭だったのに……人々の心を導き、森の加護を一身に受けていたあの男が……!なぜ……なぜこんなことに……」
その声は震え、怒りと悲しみ、そして絶望が綯い交ぜになっていた。
道中、闇に堕ちた精霊たちは執拗に彼らを襲った。歪んだ光を放つ鳥のような影はユリウスの剣で切り裂かれ、地面から這い出る粘つく蔦はライエルの放つ矢に射抜かれて黒い煙となって消えていく。ヴォルカもまた、鋭い尾で闇を薙ぎ払い、煤混じりのブレスで敵を焼き払った。しかし、数が多すぎる。一つを退ければまた新たな闇が湧き出てくる。ヴォルカは次第に焦りを募らせていった。
(くそっ、キリがねぇ……!それに……俺の炎じゃ、こいつらを完全に消し去れねぇ……!)
リュミナの灰を操る能力ならば、あるいは敵の気配を断ち、隠れることで突破できるかもしれない。だが、今のヴォルカには、ただ闇雲に力任せに暴れるしかできない無力感が付きまとっていた。ユリウスの的確な剣技と、ライエルのエルフとしての知識と弓の腕前がなければ、とっくに全滅していただろう。その事実が、ヴォルカのプライドをさらに傷つけた。
(俺は……ユリウスに守られてばかりじゃねぇか……!リュミナのやつなら、もっと上手くやるかもしれねぇのに……!)
***
やがて辿り着いたエルフの里は、まさに闇の沼地と化していた。かつては翠玉のように美しかったであろう木々は水分を失い、漆黒に近い色に変色して今にも朽ち落ちそうになっている。白亜の神殿は黒い蔦に覆われ、その輪郭さえ判然としない。家々からは灯り一つ漏れず、まるで死の世界のようだ。
そんな絶望的な光景の中、かろうじて存在を主張するかのように、淡い光を放つ結界が一つあった。そこに、エルフの長老セリュナ=ヴェイルは、数人の老エルフと共に辛うじて生き延びていた。
「よくぞ……来てくださった、ユリウス殿。そして……ご友人たち。あなた方が来ると、森が囁いておりました……」
老いた声は掠れていたが、その瞳には安堵と、そして確かな希望の光が宿っていた。ユリウスは静かに頷き、ライエルは父の無事を案じてか、長老の傍に駆け寄ろうとする。
しかしその時、結界の外から低い、ねっとりとした笑い声が響き渡った。
「フフ……フフフ……ハハハハハッ!なんと滑稽な!哀れな客人どもが、わざわざ死にに来てくれたか!」
声と共に現れたのは、かつての司祭――サリオン=ダスクベインだった。その姿は以前とは明らかに異なっていた。纏っていた清廉な司祭服は闇に溶け込むような漆黒に染まり、肌は不自然なほど青白く、目の下には隈ができている。そして何よりも恐ろしいのは、その背後に控える巨大な影――かつて森を守護していた大精霊が、今や黒い靄に覆われ、苦悶の形相で漂っていることだった。
「精霊は我が力の糧。エルフの里も、やがて闇に沈む。新たな世界の幕開けだ!ハハハハハ!」
サリオンの哄笑と共に、闇の精霊が暴れ出した。黒い蔦が四方八方から襲いかかり、不気味な光球が飛び交う。
「何か来ます!」
ユリウスは叫ぶと同時に剣を構え、ライエルは弓を引き絞った。ヴォルカもまた咆哮し、尾をしならせて迎撃態勢を取る。
戦いは熾烈を極めた。ユリウスの剣は正確無比に蔦を断ち切り、ライエルの矢は的確に闇の核を射抜く。しかし、サリオンが操る大精霊はその力だけで結界を軋ませ、大地を揺るがした。
ヴォルカは炎を吐き、尾を振るう。しかし、彼の煤炎は闇の精霊に触れるたびに力を奪われ、打ち消されてしまう。
(駄目だ……俺の炎じゃ……!)
焦りが焦燥に変わり、冷や汗が背を伝う。どれだけ力を込めても、目の前の強大な闇を前にしては無力だった。ユリウスやライエルが奮闘している中で、自分だけが足を引っ張っている。その自覚がヴォルカを苛んだ。




