指輪
「皆さん!今日は好きなものを存分に買いましょう!」
トリスタンの明るい声が市場の雑踏に響いた。休日の街は活気に満ちており、露店が軒を連ねていた。学院での日々を忘れるような解放感が漂っている。
「あの道具屋、今日セールしてるみたいです」トリスタンが指さすのは魔術師御用達の小さな店だ。
「じゃあ荷物は僕が持つから見てきていいよ」ライナスがにっこり笑う。普段は大人しい彼も、今日はどこか浮かれている様子だった。
「いやー、この雰囲気だけでテンション上がるなー!」エドガーが大きく伸びをした。彼の尻尾がぴょこぴょこと揺れている。
「落ち着け、買いすぎは後で後悔するぞ」コンラッドが冷静に諭す。普段通りの彼だが、目は少しだけ輝いていた。
アストライア組も負けじと観光を楽しんでいた。
「ふん、手際よく運べ。無駄に騒ぐなよ」ダミアンがハインリヒに指示を出す。
「はい、王子様」ハインリヒは恭しく答える。
「ダミアン様、あちらの店も気になりますか?」アレクシスが興味深そうに指さす。
「悪くない」ダミアンは悠然と答えた。
セナはブルドランの後ろをちょこちょこ付いて回っていた。
「……ぼ、僕も見ていいですか?」小さな声で尋ねると、ブルドランは豪快に笑った。
「いいぞ、どんどん見ろ!」
全員がそれぞれの楽しみ方で市場を散策し始めた。
しかし、しばらくしてダミアンはふと気づいた。
「……ユリウスの姿が見えんな」
ライナスが周囲を見回す。「あれ、どこに行ったんだろう?」
ダミアンは僅かに眉をひそめた。(……あいつ、また独りでふらふらしているのか)
「仕方ない。少し探すか」そう呟くと、人混みの中へ歩み出した。
***
ダミアンが市場の奥へ進むと、ふと花の香りが鼻をくすぐった。路地の一角に佇む小さな花屋。そこで彼はすぐに目的の人物を見つけた。
「……ここにいたか、ユリウス」
声をかけられて振り返ったユリウスは、驚いた様子で目を丸くした。
「ダミアン、失礼しました。少し花を見てました」
ユリウスは白い百合の前で足を止め、穏やかな表情で花弁に触れていた。その仕草はまるで幼い頃、母が教えてくれた花の名前を再確認するような慈しみに満ちていた。
(……この花……母が生前好んでいた花だ……)
ダミアンの胸に懐かしさがこみ上げた。幼い日、母が病床で白百合の香りに癒されていた記憶が蘇る。そして……花を愛でるユリウスの横顔が、どこか母の優しい面影と重なった。
(そして……花を愛でるお前の横顔……母の優しさを思い出させる……)
「この花、色も香りも落ち着きますね……」ユリウスがぽつりと呟いた。
「……ふん、そうか……」ダミアンは平静を装いながらも、その一言に心が震えた。
ユリウスはゆっくりと歩きながら、一つ一つの花を丁寧に見つめていた。時折立ち止まり、目を細めて香りを楽しむ姿は、まるで時間が止まったかのように美しい。
「一つ一つ丁寧に見ていると、時間を忘れてしまいます」彼の声はどこまでも柔らかかった。
「ダミアンも、どうぞご覧になってください」
「……私は見飽きた。気にせず楽しめ」ダミアンはそう言いながらも、ユリウスの真剣な眼差しから目が離せなかった。(……無垢に花を楽しむお前の姿……心を打たれる……)
***
花屋を後にした二人は、隣接する小さなアクセサリー店に入った。店内には様々な装飾品が並び、淡い光を反射していた。
ユリウスがふと足を止めたのは、琥珀色の指輪が陳列されたショーケースの前だった。
「……この石は、温かみがあって綺麗ですね」彼の目が琥珀の輝きに吸い込まれていく。
その瞬間、ダミアンの心臓が跳ねた。(……俺の瞳の色……興味を持ってくれている……ふ、ふん。偶然だ)
内心の動揺を押し殺しながら、ダミアンは静かに店員を呼んだ。
「この指輪をくれ」
「はい、かしこまりました」店員が微笑む。
「以前の礼も兼ねてだ。受け取れ」ダミアンはそっと箱を差し出した。
「……ダミアン、ありがとうございます」ユリウスは少し戸惑いながらも、嬉しそうに受け取った。
「礼など要らん。勝手に渡しただけだ」ダミアンは素っ気なく言い放ったが、その声には僅かな温もりが滲んでいた。
ダミアンは店員に背を向けると、こっそりと別のショーケースを見つめていた。そこにあったのは、青みがかった美しいアクアマリンの指輪。まるでユリウスの瞳の色そのものだった。
(お前の瞳の色……俺の宝物にしておこう……)
彼は心の中でそっと微笑みながら、店員に合図を送った。
***
ダミアンとユリウスが店を出た直後、待ち構えていたかのように仲間たちが駆け寄ってきた。
「おお、二人とも揃ったな!」トリスタンがにっこりと笑う。
「何やら怪しい雰囲気じゃないか?」ライナスが意味深な視線を送る。
「これは完全にロマンス展開だなー!」エドガーが無邪気に叫んだ。
ダミアンは即座に冷静さを取り戻した。「……くだらんことを言うな」
「え、あの……何か言われているのですか?」ユリウスは戸惑いながら辺りを見回した。その頬がわずかに赤く染まっている。
「ほらほら、ユリウスの顔が赤くなってるぞ!」ブルドランが豪快に笑った。
「ダミアン様も少し赤いんじゃないのか?」リュシアンが目を細めて観察する。
「……無礼だ。貴様ら、何を見ていた」ダミアンの耳がわずかにぴくりと動いた。
「いやいや、見逃せませんでしたよ」コンラッドが肩をすくめる。
「王子、落ち着かれたほうが……」アークライトがそっと進言する。
「……余計な口を挟むな。先に進むぞ」ダミアンは威厳を取り戻そうと声を張ったが、その声音には微かな動揺が残っていた。
「はい……でも、皆様は楽しそうですね」ユリウスは小さく笑った。その手には、ダミアンから贈られた琥珀色の指輪の箱が大切そうに握られていた。
ダミアンはその姿を一瞥すると、さりげなく自分の手首に巻いた布の下を確認した。そこには、彼だけの秘密が隠されている。ユリウスの瞳と同じ色をしたアクアマリンの指輪。それは彼にとって、新たな想いを誓う小さな証だった。
(ユリウス……これからもお前の横にいられるのなら……それでいい)
「ふん……馬鹿騒ぎもいい加減にしろ。行くぞ」ダミアンはそう言い捨てると、先頭に立って歩き出した。しかし、その心にはこれまでにない温かな波が広がっていた。




