機械鳥
その日ユリウスはラザフォード家の宝物庫にいた。財宝の封印はもう9割終わっているが、残りが難航していたのだ。床に散らばる羊皮紙の海の中に座り込んだユリウスは、眼前の銀の首飾りをじっと見つめていた。
他の財宝に比べれば確かに見劣りする。傷んだ鎖に取り付けられた小さな紋章は曇り、磨けば輝くかもしれないが、その価値は金銭以上のものであることをユリウスは直感していた。
「きっと……封印した人にとっては大事なものだったんだろうな……」独り言ちながら指先でそっと触れる。首飾りから伝わる魔力の波動は穏やかでありながらどこか寂しげだった。
この封印だけは呪いを介するものではない。解析すれば確かに強引な手段で解けるだろう。だがユリウスは、これは挑戦状でもあると考えた。ここまで封印を解いたのならこれぐらい解けるだろう?と嘲笑っているようにも思える。そして同時に、どこかでその封印者の想いを感じ取っていた。
「複雑だけれど……芸術的だ」
呟きながらユリウスは深く息をつく。ドワーフ語でもドライアド達が使っていた古語とも異なる複雑な魔術式は美しささえあった。指先が無意識に空中で式をなぞる。
背後で微かな衣擦れの音がした。
「あれ?エドワード様、いつの間にいらしてたんですか」振り向いたユリウスの瞳には驚きと親しみが浮かぶ。その表情は宝物庫の薄暗がりの中でさえ輝いて見えた。
実は声を掛けようとして真剣なユリウスの横顔に見惚れていたエドワードはコホンっと咳払いをしながら「ああ、ついさっきだ」と小さな嘘をついた。ユリウスがまた首飾りに向き直るのを眺めながら、エドワードは複雑な気持ちを隠せなかった。
***
ユリウスは美しい。どこか神聖な雰囲気を漂わせる彼は本当に人なのだろうかと時々思うことがある。その頭の先から爪先まで全てが愛おしく思えるのだ。この感情は単なる友情を越えている。
「ここまで彼に惹かれるのは自分が恋愛経験が薄いからだろうか?」
自問するエドワードだったがすぐに否定する。確かに自分は他者との深いつながりを避けてきた。それでもユリウスに対する感情はそれだけでは説明できない。
彼の姿は時に眩しい。無邪気な笑顔でありながら、古代の魔術式に向かう集中した横顔には神秘的な深みがある。その瞳には遥か昔の知識への憧憬と未知への好奇心が宿っていた。まるで遠い時代を垣間見るような感覚に襲われる時がある。
そして時には脆さも感じる。彼が自身の能力を自重しようと努める姿を見ると胸が締め付けられる。彼の本質はもっと大胆で自由であるはずなのに、それを封じ込めようとする節制が痛ましい。
「きっと神聖で危うい光だからだ」
エドワードは思った。そんな光に人は抗えない。
***
ラザフォード家の書庫でユリウスは思い出したかのように口を開いた。
「そういえば、僕が統治する村があるのですが、そこで発明した魔導具がありまして」
何もない空間から突然現れた鳥籠にエドワードは目を見張る。
中には機械仕掛けと思われる文鳥の姿があった。羽毛の代わりに精緻な金属線で覆われた体、眼球には水晶が嵌め込まれている。
「これなんですが、対になっているもう一羽を通して遠方から簡単な会話ができるんです」
エドワードは絶句した。通信魔道具はあるにはあるが、これは全く別の原理で機能していることが一目でわかる。しかもこの小型化と省エネルギー化は前代未聞だ。
「とりあえず試作品なのですが、もし宜しければエドワード様の部屋に置かせていただけませんか?毎回急にお邪魔するのが申し訳なくて……」
それを聞いてエドワードは複雑な心境になった。彼の発明は素晴らしいが、世に出せば間違いなく世界が変わる。そしておそらくそれは危険を伴う。
「それは構わないが……これを安易に世に出したらまずいと思うぞ」
「実は周りからも散々言われてまして」とユリウスは苦笑する。
「ですからとりあえず信頼のおける方にのみお渡ししようかと」
エドワードの胸が高鳴る。「信頼のおける方」という言葉は彼にとって何よりも重く響いた。この天才が自分をそう認識してくれているという事実に。
翌日の午後、エドワードは多忙な一日を過ごしていた。朝から昼過ぎまで食事も取らず自室で仕事をしていた彼は、ようやく一区切りついて椅子に深く沈み込んだ。
ふと視界の横に機械仕掛けの鳥籠が見える。昨日ユリウスが置いていった通信機だ。立ち上がり鳥籠に近づくと、まるで生きているかのように機巧鳥が彼の方へ歩み寄ってきた。
「ふふっ」思わず微笑むエドワード。「お前が歌でも歌ってくれたらいいのにな……」
そう呟いた瞬間、鳥の動きがカタッと止まった。一瞬の静寂。そして……。
「♪〜〜♪」
エドワードの目が見開かれる。鳥の喉元から流れてきたのは紛れもなくユリウスの歌声だった。清らかで澄んだ声が機巧鳥の水晶越しに伝わってくる。
彼は息を飲んだまま、そっと鳥籠を開け機巧鳥を掌に乗せる。肩に移動させた鳥は心地よさそうに身を委ねる。その振動と歌声が直に体に響いてくる。
エドワードは机に戻り、ゆっくりと椅子に腰掛けた。目を閉じる。ユリウスの歌声は続く。まるで部屋全体が優しい魔法に包まれていくようだった。
「この……繋がりを壊したくない」
エドワードの瞳から一筋の涙がこぼれた。それは喜びと畏敬と恋慕の入り混じったものだった。
窓から差し込む夕陽が部屋を橙色に染める中、機巧鳥の歌声だけが響いていた。その音色はラザフォード家の廊下へも微かに漏れ出ていたが、誰も気づく者はいなかった。この小さな奇跡は二人だけの秘密となった。
そしてエドワードは確信した。ユリウスを失うことなど考えられない。どんな障害があろうとも、この繋がりを守るためなら何でもしようと。
機巧鳥が肩で小さく揺れ動くたびに、エドワードの心臓も鼓動を打ち続けた。それは新しい希望の旋律だった。そして同時に、二人の絆が確かに芽吹き始めた瞬間でもあった。
この魔法的な贈り物は偶然ではなく、ユリウスの気遣いだったのかもしれない。あるいは彼の本能が既にエドワードとの特別な関係を感じ取っていたのだろうか。どちらにせよ、この日の出来事が二人の絆を強固なものにしたのは間違い無かった。




