いつもの騒ぎ
翌朝。レギア・レオニス学院長室。
「……以上が砂漠帝国アラムでの一件の全容です」
ユリウスが丁寧に報告書を提出する。レギア学院長は深く息をついた後、疲労の滲む笑みを浮かべた。
「よくぞ帰ってきたな。龍討伐とは……それを成し遂げるとは」
「僕だけの力ではありません」ユリウスは静かに答える。「砂漠の民と協力できたからこそです」
「謙虚さは美徳だが……兎に角苦労をかけてしまったね。今はゆっくり休みなさい」レギアは机の上で指を組んだ。疲労は隠せない。
「ありがとうございます」一礼して退室するユリウス。扉が閉まった瞬間、その背中には隠しきれない安堵の色が浮かんでいた。
「あの……ユリウス?」
困り果てたトリスタンの声が響く。ベッドの上で仰向けになった彼の腹に顔を埋め、ユリウスは一心不乱に深呼吸を繰り返していた。
「もうちょっと……もうちょっと……」うわ言のように呟く。
「今回も本当に大変だったんだね」トリスタンは諦めたようにため息をつき、大きな手でユリウスの頭を優しく撫でた。汗と砂と埃にまみれた旅装束は脱ぎ捨てられ、今は互いに簡素な学院服姿だ。
「昼は暑いし夜は寒いし敵は怖いし……結局魔術の調査全然できなかったし」ユリウスは鼻先をトリスタンの厚い胸板に擦りつけながら不満を漏らす。
「特に砂漠の魔術体系が気になるのに……肝心の資料が……」
「アラム帝国でそんな大冒険だったとは」トリスタンが柔らかい声で答える。
ユリウスは突然ピタリと動きを止め、顔を上げた。純粋な目でトリスタンを見つめながら「トリスタンさんの匂い……すごく落ち着きます」と真顔で告げる。
「……そ、それは良かった」トリスタンが微妙に顔を赤らめると同時に、ノックの音がした。
「入るぞー」
無遠慮に扉を開けたのはザナヴァスだ。彼は室内の光景を目にするや否や――
ユリウスがトリスタンの腹に顔を埋めている異様な構図を認めた瞬間、凍りついた。
「……何をしてるんだ?」
「ああ、ザナヴァス先輩。見てください!トリスタンさんの毛並み!」
ユリウスは顔を上げずに答える。「このふかふかな肌触り……あとこの独特の匂い……これは研究価値があるかもしれません!」
「あー……」ザナヴァスの眉間に深い皺が刻まれる。その目は明らかに困惑と羨望(?)の入り混じった複雑な色を湛えていた。
「こら!ユリウス!トリスタン困ってんぞ」
ザナヴァスの怒声に、ようやくユリウスが顔を上げる。その頬はトリスタンの毛並みの型で微かに赤くなっていた。
「困ってます?」
「うーん……そろそろトイレに行きたいかな」トリスタンが優しく窘める。
「しょうがない……」ユリウスは名残惜しそうにしながらも、ゆっくりとトリスタンの巨体から降りた。
「じゃあザナヴァス先輩、代わりにお願いします」
間髪入れずにユリウスは両手を広げ、純粋な眼差しでザナヴァスを見つめる。
「ば、馬鹿野郎! 誰がそんな恥ずかしい真似を……やらねえ!」
ザナヴァスは顔を真っ赤にして後ずさりする。しかし内心では「実は少し……いやかなり興味がある」という葛藤が渦巻いていた。拳を握りしめて必死に自分の中の獣(欲情)を抑えつける。
「ええー? ダメなんですか?」ユリウスが心底残念そうな顔をする。
「そうだ! 兄貴に頼めばいいだろ! 兄貴なら喜んで……いや違う! 何でもない!」
必死の言い訳が逆に墓穴を掘る。ユリウスはポンと手を打った。
「そうですね! エドワード様ならやってくれそうです!」
そう言うが早いか、ユリウスの身体がフッと霞んだ。
「速すぎるだろ……」トリスタンとザナヴァスは呆然と見送るしかなかった。
***
「エドワード様! お願いがあります!」
突如として部屋に出現したユリウスに、執事のダグナスと椅子に座っていたエドワードが文字通り凍りついた。ダグナスは手にした湯気の立つティーカップを傾けたまま硬直し、エドワードは書類を握りしめた指が白くなるほど緊張している。
「実はかくかくしかじかでして……」
「……ななななな……なに?」
エドワードの声が上擦り、顔はみるみるうちに林檎のように紅潮していく。ユリウスはその反応を気に留めることなく、期待に満ちた表情で言った。
「トリスタンさんの腹毛みたいに……エドワード様にも顔を埋めさせてもらえませんか! 砂漠の埃と汗で僕の感覚が麻痺していて……新鮮な毛並みが恋しいんです!」
場が沈黙に包まれた。ダグナスがカップを取り落としそうになり「あぶな……!」と叫ぶ声だけが響く。
「駄目……ですか?」
ユリウスは小首を傾げて上目遣いでエドワードを見つめた。その無垢な瞳は殺人的だった。
ズキューン!という擬音が聞こえそうなほど激しくエドワードの心臓が跳ねる。次の瞬間、彼は机に突っ伏してしまった。
「エドワード様!」
「エドワード様! 大丈夫ですか!?」
ダグナスとユリウスが慌てて駆け寄る。
エドワードはその日丸一日目を覚さなかったが、顔はとても幸せそうだった。




