生贄の儀
暗い地下回廊。ユリウスとジャファルの戦いはさらに苛烈さを増していた。
「はぁっ!」
ユリウスの剣が閃く。しかしジャファルの動きは尋常ではない。長年の暗殺術が培った身のこなしで連撃をかわし、反撃の隙を狙う。
「なぜ……そこまで強い……! まだ子供のはずだ……!」
ジャファルの息が上がる。
「さあ?」ユリウスが涼やかに笑う。
その時──遠く離れた円形空間から響いてくる魔物の咆哮と怒号が、微かにだが確かに地下回廊にまで届いた。
ユリウスの蒼い瞳が鋭く光る。
ジャファルの動きが一瞬止まった。
その刹那を逃さない。
「『蒼雷』!!」
ユリウスの剣から迸る青い雷光が──ジャファルの防御を貫き、空間そのものを切り裂いた!
***
一方、円形空間ではすでに死闘が始まっていた。
「ぐあっ!」
カリムの放った槍が異形の魔物を貫く。だがそれはかつての仲間だ。彼の瞳に涙が滲むが、すぐに拭い去る。敵は止まらない。
「集中しろ!」
ラシードが叫びながら横薙ぎの一閃で二体を斬り伏せる。だが敵の数はあまりにも多かった。円周から次々と新たな魔物が湧いてくる。マリクは高みの見物とばかりに冷笑している。
「ふふふ……これが我が力……! 大国を滅ぼす最初の礎となれ!」
マリクが両手を高く掲げた。黒い瘴気が渦を巻き、天井に巨大な魔方陣を描き出す。
「まずはその血からだ……皇太子よ!」
瘴気が矢となってラシードへと降り注いだ。
***
「ぐぅっ……!」
カリムは地面に組み伏せられていた。かつての仲間──ラジャスの異形化した巨腕が彼の背を押さえつけ、ハサンの魔獣となった爪が喉元に突き立てられている。痛みと屈辱で顔が歪む。
「離せ……離せよ……!」
無駄な抵抗だった。理性を失った魔物の力は尋常ではない。全身が軋み、肋骨がきしむ音さえ聞こえる。
一方でラシードも窮地に陥っていた。
「はぁ……ぐっ……!」
腹部を貫いた瘴気の矢が焼けるような痛みを引き起こす。血が流れ落ちるのを感じながらも、彼はなおも剣を振りかざし抵抗した。しかし次の瞬間、数体の魔物が一斉に跳びかかり、四肢を掴んで羽交い締めにした。
「くそっ……離せぇっ!」
ラシードが怒号を上げる。必死に身をよじるが、鉄のような腕が彼を締め付ける。骨が軋む音が響いた。
「……まだ殺すな」
マリクが冷たく命じた。
その言葉に従い、魔物たちの締め付けが僅かに緩む。だが逃れるには程遠い。ラシードは唇を噛みしめた。屈辱と焦燥が胸を焼く。
「台座へ……」
マリクが指を指した。
部屋の中心が微かに震動し始めた。床石が割れ、螺旋階段がせり上がって来る。その頂上には……一つの盃が置かれていた。
「あれはこの前の……!」
カリムが驚愕の叫びを漏らした。
「……やめろ……!」
ラシードが抗うが、魔物たちに引きずられていった。
***
「さあ……その腕を差し出せ」
マリクが残忍な笑みを浮かべる。魔物の一体がラシードの右腕を強引に持ち上げる。血管が浮き出るほど締め付けられ、痛みで呻き声が漏れた。
「くそぉっ……!」
ラシードが激しく暴れるが、無駄だった。マリクが懐から小さなナイフを取り出した。
「そのまま動かすな」
「止めろぉーっ!!」
カリムの絶叫が虚しく響く。マリクは一切振り向かない。ナイフが煌めいた。
「ぐああっ!」
鮮血が迸った。ラシードの右腕の内側が深々と切り裂かれている。傷口からは真紅の血が滴り落ち、盃の中へと吸い込まれていった。
「……これで良い……」
マリクが満足げに盃を覗き込む。盃には既に何人分もの血が溜まっていた。ラシードの血が加わった瞬間──盃が鈍く輝き出した。
「……あれは……!?」
カリムが呆然と呟く。
マリクの狂気じみた哄笑が空間を支配した。
「さあ……生贄を捧げよう! 古の龍よ! 数多の血と肉と──皇族の血によりてこの地に再び顕現せよ! 我らに祝福を!!」
盃の輝きが増幅する。大地が微かに振動し始めた。
「さあ……その首を!」
マリクがラシードの頭を乱暴に押さえつけ、盃の縁へと押し当てる。盃の縁には鋭利な刃が仕込まれていた。ラシードが必死に首を振るが無駄だ。
「くそっ! やめろーっ!!」
カリムが絶叫する。
「ぬぉおおおーーーっ!!」
ラシードが吼えた。首筋に鋭い刃が触れる。皮膚が裂け、一筋の血が伝った。
マリクが刃を握る手に力を込めた。その瞬間──
***
轟音が響いた。
「……えっ!?」
カリムの目の前で信じられない光景が広がった。
マリクの右腕が……肘から先が吹き飛んでいた。切断面から黒い液体が噴き出し、地面に黒い水たまりを作っていた。
「な……何ぃっ!?」
マリクが悲鳴を上げる。切断された腕を押さえ、後ずさった。
「うおおっ!」
同時にもう一つの奇跡が起きた。カリムを押さえつけていた魔物──ラジャスだった者が突然光に包まれ、爆発四散したのだ! 悪臭と共に黒い煙が立ち上る。
自由になったカリムが跳ね起きる。顔を上げた先に──
「お待たせしました!」
清冽な声が響いた。
入り口の暗がりから一筋の光が差し込む。そこに立っていたのは……
「ユリウス!」
カリムが歓喜の声を上げた。
ユリウスが颯爽と歩み出る。左手には血塗れのジャファルを引きずっていた。ジャファルは完全に意識を失い、糸の切れた操り人形のように揺れている。その右腕は無残に折れ曲がり、顔面は血と腫れで原型を留めていない。
「ユリウス……!」
ラシード必死に声を絞り出す。
「来てくれたのか……!」
「間に合って良かったです!」
ユリウスが微笑んだ。その蒼い瞳には決意の光が宿っている。
「さて……」
ユリウスの視線がマリクへと向けられた。途端にその表情が変わる。冷たい怒りが彼の全身を包み込む。
「これ以上好き勝手させませんよ!」
彼の右手に握られた剣が微かに唸り声を上げた。




