新たな厄介ごと
サンドワームの脅威が去って間もなく、城下町に新たな噂が立ち上った。
「幻を見せ人を誘惑し連れ去る魔物」という怪談めいた話が、人々の間で急速に広まっていったのだ。
「また厄介事が増えたか……」
ラシードは執務室の窓から遠くの町並みを見つめ、深くため息をついた。紅蓮教団の動向も気になる中での新たな問題。彼はハキームを呼び寄せた。
「ユリウスという小僧に聞いてみるか。魔術に関する知識なら誰よりも詳しいはずだ」
「はっ」ハキームは即座に応じた。「ちょうど今ごろならば——」
城内をユリウスを探す二人は、広場の方角から湧き上がる歓声を耳にした。
「何事だ?」
ラシードが足早に向かうと、広場の中心にユリウスの姿があった。彼は両手を宙に広げ、何やら呪文を唱えている。
「さぁみなさん!いきますよー!」
明るい掛け声と共に、ユリウスの手から噴き出した水が空中で踊り始めた。
**水龍舞!**
清冽な水が宙を舞い、複雑な軌跡を描いていく。それは巨大な蛇のようにうねり、鷹のように舞い上がり、最後には優美な花の形となって頭上で弾けた。きらめく水滴が太陽の光を受けて虹色に輝き、群衆からは驚嘆の声と拍手が沸き起こる。
「すごい!」
「見たことねぇ芸だ!」
「涼しいぜ!」
冷たい水しぶきを浴びた人々が歓声をあげる中、ラシードは呆然と立ち尽くした。何をしている?あのような術を、こんなにも堂々と……?
群衆の中に弟・ハリードの姿を見つけた。彼もまた手を叩きながら目を輝かせていたが、兄の姿に気づくと駆け寄ってきた。
「兄上!ご覧ください、ユリウス殿が水のルーンを使って井戸の水脈を探し当ててくれたのです!おかげで城下の水不足が一気に解決しました!」
「……本当か?」ラシードは声を詰まらせた。
ハリードは興奮気味に語った。「はい!あの泉から湧き出る水は澄んでいて、しかも量も多い。魔術で掘り当てたとは思えないほど自然な水脈なのです。彼の知識はまさに神業……」
「他国の者が……この国の危機を救ったというのか?」ラシードの声は低く震えていた。
ラシードの胸に、これまで感じたことのない痛みが走った。プライドと理想が激しくぶつかり合う。この国の民の安寧は、彼自身が何より重んじるものだった。しかし——他国の人間が、それも若い魔術師がやすやすと成し遂げているという事実。これが屈辱なのか?それとも……?
「ラシード皇子!」
ふと顔を上げると、ユリウスがにこやかに手を振っていた。その純真な笑顔が、今のラシードには眩しすぎる光だった。
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執務室に戻ったユリウスは、ラシードとハキーム、ハリードの三人から質問攻めに遭っていた。
「幻惑魔術……ですか?」
ユリウスは首を傾げる。「うーん、なくはないですけど……精神系統の術は結構難しいんですよね」
彼は真剣な表情で続ける。「だって相手を理解してイメージを共有しないと、かけられた人が耐えられなくて壊れちゃうこともあるんですよ?あ、もちろん相手のことを考えなければ難易度はぐっと下がりますけどね。ただし知識は必要不可欠です!」
さらっと恐ろしいことを言うユリウスに、一同はごくりと唾を飲んだ。
「魔物もいますよ。有名なのは海のセイレーン。あれも歌声で船人を誘うと言いますし、砂漠にも似たような精霊や魔獣がいてもおかしくはないと思います。ただ……」
ユリウスは眉をひそめた。「今回のケースはちょっと変ですよね。こういう魔物って普通は特定の場所に住み着いてるはずなんです。急に現れて人を連れ去るなんて……まるで何かを探してるみたい」
ラシードとハリードは、同時に険しい表情になった。それは彼らの胸中に渦巻く不吉な予感を言葉にしたようだった。
(やはり……紅蓮教団の仕業か?)
(それとも古竜復活の前兆が……?)
緊張感が執務室を覆う中、ユリウスだけが無邪気な好奇心で目を輝かせている。
「よし、まずは現場検証から始めましょう!」
その宣言に、ラシードは唇を引き結んだ。未知なる敵の影が見え隠れする中で——彼は初めて、真の意味での覚悟を感じていた。自らの誇りを乗り越え、民を守るために何をすべきか。その答えは、もはや言葉ではなかった。
「ユリウス」
ラシードが静かに呼びかける。
「……力を貸してくれ」
彼の声には、これまでの傲慢さとは異なる響きが宿っていた。




