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フェンリル

ユリウスの手の中で、ドライアドの枝が微かに脈動している。それは指針のように方向を変えながら、彼を森のさらに奥へと導いていった。


「この先か……」


木々はますます密集し、苔むした岩肌が露出した断崖絶壁に差し掛かった。崖の上からは白い滝が流れ落ち、霧となって辺りを包んでいる。


「ここが……」


滝の背後に洞窟のような入口が見える。枝は確かにそこへ導いていた。ユリウスは岩場を慎重に登り、滝の裏側へと潜り込んだ。


洞窟内部は意外にも明るかった。壁面に埋め込まれた水晶が淡い緑色の光を放ち、幻想的な雰囲気を醸し出している。枝の脈動が一段と強くなり、ユリウスの足は自然と最深部へと向かった。


突然——


「そこで止まれ」


低く轟くような声が洞窟中に響き渡った。ユリウスの足が自然と止まる。


洞窟の中央には巨大な狼の姿があった。全身を覆う銀色の毛並みは月光のように輝き、琥珀色の瞳が鋭くユリウスを見据えている。体長はユリウスの十倍はあろうかという巨躯だ。


「ヴァルガルム様……」


ユリウスは畏敬の念を込めて呟いた。


「よく来た、人間の愛子よ」フェンリルが口を開いた。その声には疲労の色が濃く滲んでいる。


「ドライアドたちの使者か」


「はい」ユリウスは一歩前に出た。


「ユリウス・クラウディールと申します。森を救うために来ました」


フェンリルの目が細められる。その視線には警戒と、わずかな好奇心が混ざっていた。


「単純明快な答えだな」フェンリルは鼻を鳴らした。


「だが事態は複雑だ。見てみるがいい」


ヴァルガルムは前脚を軽く掲げた。ユリウスの目の前に、映像のような光景が浮かび上がる——


暗く歪んだ空間で蠢く漆黒の存在。無数の触手が伸び、触れた樹木を瞬時に枯らしてしまう。その中心には巨大な蛇の頭部が垣間見える。


「ヨルヴァース……」


「そうだ」ヴァルガルムがうなずいた。


「かつて英雄ラグナルに封印された忌まわしき存在。何者かの干渉により封印の力が弱まったのだ」


フェンリルの体がわずかに震えた。彼自身の銀色の毛並みに、ところどころ黒い斑点が見える。


「我が力も蝕まれつつある。かつては容易に抑え込めた邪気も……今は限界に近い」


「どうすれば……?」

ユリウスの問いにフェンリルは長い沈黙を挟んだ。琥珀色の瞳に深い苦悩が浮かぶ。


「我の力の一部をお前に与える……」


ヴァルガルムの低い声が洞窟に響き渡った。その言葉にユリウスは思わず身を乗り出した。


「えっ……可能なのですか?」


フェンリルは琥珀色の瞳を細め、「普通なら無理だが」と断言した。しかし彼の目は遠くを見つめるように遠い記憶を探るように輝いていた。


「だが……ごく稀に英雄の器たるものが世界には現れることがある。かのラグナルもそうだった……」


言葉には懐かしさと崇敬の念が滲んでいた。ユリウスにとって伝説の英雄の名は本の中の存在にすぎなかったが、フェンリルにとっては共に戦った戦友だったのだろう。


「お前もそうだ」


ヴァルガルムの視線がユリウスに向けられる。


「存在としては人よりもむしろ我々に近しいものを感じる」


その言葉にユリウスは戸惑いを覚えた。自分はただの人間であり、魔法の才能はあってもそれは単なる個性に過ぎないと考えていた。

でも思えばリュミナとヴォルカの時にも力の一部を貰った覚えがある。


「それ故に我々はお前達のようなものを愛子と呼ぶのだ」


「僕が……」


ユリウスは手のひらを見つめた。これまで考えてもみなかった運命の重さがそこにあった。しかしフェンリルは即座に付け加えた。


「……ただの個性に過ぎぬ。そう思い悩む必要はない」


彼の言葉には諭すような温かさがあった。千年以上の時を生きる賢者の言葉には不思議な説得力がある。


「とにかく、それでもリスクは0ではない。どうするかはお前に任せる」


フェンリルの琥珀色の瞳が試すようにユリウスを見据えた。銀色の体毛に混じる黒い斑点が増えてきていることにユリウスは気づいた。


一瞬の沈黙が流れる。ユリウスは深呼吸をした。


「……僕はやります」


彼は決然と言った。


「そのヨルヴァースというのを野放しにするわけにはいきません」


「そうか……」


フェンリルの表情に複雑な感情が浮かんだ。それは愛しさとほんの少しの哀れみが混ざった複雑な眼差しだった。選択の重さを知る者の眼差しだ。


「ならば準備せよ」


ヴァルガルムはゆっくりと姿勢を変え、ユリウスの前に鼻先を差し出した。


「我に触れ、目を閉じよ」


ユリウスは躊躇いなくフェンリルの鼻先に手を伸ばした。その触れた瞬間、温かな波動が彼の全身を包み込んだ。


「受け入れよ」


フェンリルの声が直接頭の中に響く。


「案ずるな。お前ならきっと力に飲まれることはなかろう」


その言葉を最後に、視界が白い閃光に包まれた。


何千、何万冊の本を一気に読んだような膨大な情報が脳裏に流れ込んでくる。知識や感情、記憶—それは単なる力ではなく、魂そのものに触れるような経験だった。


(これは……リュミナやヴォルカの時の比じゃないな……)


ユリウスは混乱しながらも自分を取り戻そうとする。彼の天才的な頭脳は自然とその情報の流れを整理しようとしていた。


(心を落ち着かせよう……一つ一つの波を受け入れて行くんだ……)


彼は静かに呼吸を整え、迫り来る力の奔流と向き合った。


数分とも永遠とも感じられる時間が過ぎた。やがて白い光の洪水は徐々に収束していった。ユリウスはゆっくりと目を開けた。


そこは真っ白な空間だった。周囲には何もない。そして正面に立つのは鏡でしか見たことのない自分の姿だった。


「これは……夢?」


ユリウスは自分の声が反響することなく空間に吸い込まれていくのを感じた。目の前のもう一人の自分は厳かに微笑んで言った。


「この力で何をしたい?」


それは自分自身への問いかけだった。


ユリウスは一瞬考え込む。伝説の力を得て、世界を救う勇者になるのか? 理想の騎士になるのか?


「そうだね……」ユリウスは静かに答えた。

「世界を救うなんてらしくないよ。僕は自由に楽しく生きたいんだ。その為にやるべき事をやる、それだけだよ」


もう一人の自分はにっこりと笑い、光の中に溶けて消えた。白い空間もまた徐々に薄れていき、ユリウスの意識は現実へと引き戻されていった。


眩さが消えたとき、目の前には再びヴァルガルムの姿があった。


「どうだ?何か変わったか?」


フェンリルが尋ねる。その声には僅かな期待が含まれていた。


ユリウスは自分の手のひらを見つめ、それから顔を上げて答えた。


「……はい。ありがとうございます。お力、お借りします」


彼の瞳には新たな決意が宿っていた。そしてその時—


「来る……!」


洞窟全体が激しく揺れた。天井から小さな岩石がバラバラと落下してくる。


ヴァルガルムの琥珀色の瞳が危険を察知して光った。


「気付かれたか……!奴が来る……!」

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