トリスタン式癒し術
「ああ……本当に疲れた」
ユリウスはベッドに深く沈み込み、天井の染みをぼんやりと見上げていた。襲撃事件後、各所からの事情聴取と報告要請に一日中振り回され、ようやく解放されたのが夕暮れ時だった。ダミアンが「後は任せておけ」と気遣ってくれたおかげで早期に逃げ出せたものの、精神的には相当疲弊していた。
(やはり王族や貴族と深く関わるのは性に合わない)
ドアが静かに開き、トリスタンが湯気の立つカップを2つ乗せた盆を持って入ってきた。彼の白黒の毛並みがランプの光で優しく照らされている。
「大変でしたね、ユリウス」
トリスタンがベッドサイドテーブルに盆を置く。ハーブティーの香りがふわりと漂った。
「ありがとうございます……」
「よかったら気晴らしに書庫にでも行かない? しばらく整理していなかったので、新しい資料も届いていると思うよ」
「んー……」
ユリウスは曖昧な返事しか返せなかった。身体だけでなく、心も鉛のように重い。あの襲撃は確かに自身の油断や驕りが招いた事態だ。最善の行動を取れなかったことで友人であるダミアンとレオネルを危険に晒し、命の危機に瀕した。その光景が脳裏に焼き付いて離れなかった。
「……重症ですねぇ」
トリスタンが小さなため息をつく。彼はベッドサイドに腰掛け、しばらく考え込むように沈黙した。そして突然「あっ!」と小さく声を上げた。
「ユリウス」
「はい?」
「ちょっと……試してみたいことがあります!」
トリスタンは決意に満ちた表情で立ち上がり、躊躇なく制服のベストとシャツを脱ぎ始めた。
「えっ……ちょっ……トリスタンさん?」
「いいからいいから! ほら!」
トリスタンはあっという間に上半身裸になると、そのままベッドの中央に仰向けに寝転んだ。パンダ獣人特有の柔らかな黒と白の毛並みが眩しい。彼は自分のお腹をぽんぽんと叩き、満面の笑みを浮かべた。
「ささっ、遠慮せずにどうぞ!」
「……え? なにを?」
「こうするんですよ! 弟が小さい頃、落ち込んだ時はいつもこうやって慰めていたんだよ!」
ユリウスは困惑しながらもトリスタンのお腹に恐る恐る手を伸ばした。指先に触れたのは……
**フカッ……**
驚くほど柔らかく、しっとりとした感触。適度な弾力があり、その下に確かな筋肉の存在を感じる。白い毛並みに埋もれるように指が沈み込み、温もりが伝わってくる。
「では……失礼しますね?」
ユリウスはそっと体重をかけ、全身でトリスタンのお腹にダイブした。
**ボフッ!**
「おおっ!?」
トリスタンが驚いた声を漏らす。ユリウスの身体が白黒の毛玉の中に埋もれる。鼻先に当たるのは濃密な獣臭と汗の匂い。そして、包み込むような柔らかな毛皮と体温の心地よさ……
(な、なにこれ……)
ユリウスの目がぱちくりと開かれる。まるで最高級の羽毛布団に包まれたような安心感。トリスタンの呼吸に合わせて微かに上下する振動すら心地よい。緊張していた全身から力が抜けていくのを感じた。
「ふぁー……」
思わずため息が漏れる。
「これは……たまらないですね」
「でしょ? 弟はこれで泣き止んで、すぐ眠っちゃうんだよ」
トリスタンがくすくすと笑う。笑うたびにお腹の筋肉がぷるぷると震え、その振動がユリウスに直接伝わる。
(ああ……これは病みつきになりそう)
「あー、これはたまらないなぁ……」
ユリウスは目を閉じ、トリスタンの毛皮に顔をうずめた。トリスタンはその様子を見て満足そうに微笑みながら、優しくユリウスの頭を撫で始めた。二人の間には穏やかな時間が流れていた――その時だった。
「失礼するぞ、ユリウス! ちょっと話があるのだが――」
バタン!
扉が勢いよく開き、ライナスが姿を現した。彼の赤茶色の犬耳がぴんと立ち、緑色の目が大きく見開かれた。その視線の先には――上半身裸でベッドに横たわるトリスタンと、そのお腹に全身を預けてリラックスしているユリウスの姿があった。
「なっ……!?」
ライナスの後ろから続いたザナヴァスが固まる。
「な、なななななななっ!!?」
黒狼男の耳がピンと立ち、顔が見る見るうちに真っ赤に染まる。声にならない驚愕が喉の奥で詰まり、尻尾が逆立った。
「おやおや……これは……タイミングが悪かったかな?」
ライナスは落ち着いた様子で眉をひそめながらも、目は細めて状況を観察していた。
「ああ! ち、違う! これは誤解です! 間違ってますよ!」
トリスタンが慌てて起き上がろうとするが――ユリウスが彼のお腹にしっかりと顔を埋めているため身動きが取れない。
「ユリウス! 君からもちゃんと説明してください!」
トリスタンの必死な叫び声が部屋中に響き渡った。
***
食堂のテーブルに並んだ料理がほとんど減っていない。トリスタンのパンダ獣人特有の黒い鼻がわずかに赤らみ、彼はフォークを握ったまま俯いていた。耳は垂れ下がり、大きな手で額を押さえている。
「食べないのですか?」
正面に座ったユリウスが純粋な瞳で尋ねた。彼はすでにステーキを半分ほど平らげていた。
「……心臓が止まるかと思ったよ」
トリスタンが深いため息をつく。
「確かに誤解を招く状況でした……気が動転してしまって」
「でも……本当に気持ちよかったですよ」
ユリウスがにっこりと笑う。屈託のない笑顔にトリスタンの頬が再び熱くなる。
「……また……お願いできますか?」
「えっ!?」
「トリスタンさんの『あれ』! また試してみたいんです」
「そ、そっか……」
トリスタンは戸惑いながらも頬が緩むのを感じた。
「じゃあ……今度はちゃんと鍵をかけてからにしようね……」
小さな声で呟きながら、彼はようやくスープに手を伸ばした。
(ああ……また誤解されそうになったらどうしよう)
そんな不安と、
(でも……ユリウスのあの嬉しそうな顔を見ると……)
複雑な感情が胸の中で絡み合うトリスタンだった。




